第18話 凱旋
リクトリア山脈から王都ヴァルガルディアに戻った日の夕方。
王城前の大広場には、何千人もの獣人国民が集まっていた。雪原の浄化の知らせが、私たちが帰還する前に、すでに獣人国全土に広まっていたのだ。
「リリアーナ様!」
「銀狼王陛下!」
「リクトリア浄化、おめでとうございます!」
人々の歓声が、私たちの馬車を取り囲んだ。
「リリアーナ。手を振れ」
ガレオン様が、馬車の窓を開けた。
「えっ、私が?」
「お前は、もう獣人国の英雄だ。それに、三日後の婚礼で、彼らの正式な王妃になる」
「……はい」
緊張しながら、馬車の窓から、人々に手を振った。
「うわー、可愛い!」
「銀の妃様、ありがとうございます!」
「我が領地の治癒師団も、リリアーナ様のおかげです!」
子供たちが、雪の中、馬車を追いかけてきた。手作りの花束を、馬車に向けて差し出してくれる。
思わず、涙ぐんだ。
(エマ)
(私、こんなに、人に必要とされる場所に、来られたのね)
王城に戻ると、ヴェルナが大広間で待ち構えていた。
「リリアーナ! 帰りが、二日も早いじゃない! 婚礼の準備、まだ何もできてないのよ!」
「ヴェルナ、ただいま」
「『ただいま』じゃないわ! 三日後よ、三日後! ドレスのサイズ合わせも、宝飾の選定も、髪型の試行も、まだ何もしてない!」
「えっ、三日後って、ガレオン様、本気だったの?」
ガレオン様が、私の隣で、満足げに笑った。
「もちろん、本気だ。運命のつがいに対する独占欲は、三百年待った男には、もう一日も無理だ」
「ガレオン様!」
「ヴェルナ。任せた。リリアーナを、最高の花嫁にしてやってくれ」
「お任せください、陛下」
ヴェルナは、両手を腰に当てて、にっと笑った。
「リリアーナ、覚悟しなさい。今夜から三日間、寝ないわよ。私の家伝の薬草水で美容パック、グリゼルダ団長監修の魔力増強療法、王宮御用達の宝石鑑定士による指輪と冠の選定、そして――最高峰のドレスメイカー、ジゼル・フォン・スワンウィングを呼んだわ。獣人国第一の白鳥族、伝説のドレスメイカー」
「……すごい」
ヴェルナは、私の手を引いて、王城の奥の私的な間に向かって歩き始めた。
「ガレオン様、リリアーナをお借りしますわ! 三日後の婚礼まで、彼女に近づかないでください!」
「えっ、そんな!」
「これは、獣人国の伝統です、陛下。婚礼前の三日間、花嫁は花婿に会わない。別の女のものになる前の、最後の試練です」
ガレオン様の表情が、複雑になった。
「……三日間、お前に会えない、と」
「会えないなら」
私を抱き寄せて、頬に唇を落とした。
「これを、三日分、置いていく」
「ガ、ガレオン様!」
ヴェルナが、両手を腰に当てた。
「陛下。離してください。三日間です」
「わかった、わかった」
――夕食後。
私の部屋に、伝説のドレスメイカー、ジゼル・フォン・スワンウィングが訪れた。純白の翼を背に持つ、年配の白鳥族の女性。優雅で、品があり、しかし鋭い目を持っていた。
「リリアーナ様。火刑から逃れ、獣人国でつがいを得て、三百年の呪いまで解いたお方。そのような女性に相応しいドレスを、心を尽くしてお作りいたします」
「ありがとうございます」
「リリアーナ様。あなたは、どのようなドレスを、お望みですか?」
「私が、希望を?」
「ええ。あなたの希望が、最も大切です」
しばらく考えた。
「ジゼル様。白を、基調にしたいです」
「白、ですね。獣人国の婚礼ドレスは、伝統的に、銀か、漆黒なのですが」
「はい。それでも、白を希望します」
自分の胸元の、母の形見のロケットを、握った。
「私は、人間として生まれて、獣人国で生まれ変わりました。白は、母やエマが大切にしてくれた、人間だった頃の私の色です。その『過去の私』を、あの結婚式に連れて行きたいです」
「素敵なお考えですわ」
ジゼルは、微笑んだ。
「では、白を基調にして――そこに、銀の刺繍。ガレオン陛下の銀狼の毛並みを、そっと忍ばせる、伝統との架け橋として。スカートの裾には、淡い水色の、雪の結晶の刺繍。雪原で出会った瞬間の、お二人の記憶を表現します」
「あぁ、それ、すごく嬉しいです」
思わず、声を上げた。
「ジゼル様、私のこと、たくさん調べてくださったのですね」
「ヴェルナ様から、すべて伺いました」
ジゼルは、ヴェルナを振り返った。ヴェルナは、ふいっと顔を背けた。
「べ、別に、リリアーナのために頑張ったわけじゃないわ。私は、獣人国の名誉のために――」
「ヴェルナ、ありがとう」
抱きついた。
「ちょ、ちょっと、リリアーナ! やめなさい!」
ヴェルナの耳が、また真っ赤になった。
――夜。ヴェルナとジゼルが帰った後、私の部屋の扉を、ミーナがそっと叩いた。
「お嬢様、お夜食をお持ちしました」
「ミーナ。ねぇ、ちょっと、座って」
ミーナの手を取って、ベッドの端に座らせた。
「ミーナ、アッシュ様のこと」
ミーナの肩が、ぴくり、と跳ねた。
「お、お嬢様、私、その――」
「アッシュ様、ミーナのこと、本気みたいよ」
「……」
「あなた、アッシュ様のこと、どう思ってる?」
ミーナは、しばらく俯いていた。そして、ぽつり、と言った。
「……好き、です」
「やっぱり!」
「で、でも、私は、ただの侍女で、アッシュ様は獣人国の重臣で――」
「ミーナ、それは関係ないわ」
両手を握った。
「私だって、ただの没落令嬢で、ガレオン様は獣人国の王よ。身分なんて、関係ない。心が、繋がっているかどうか、それだけ」
「お嬢様……」
「ミーナ、私の婚礼の日に、あなたが介添えとして、ずっと隣にいてくれるわよね。その日、私のブーケを、アッシュ様に届けて」
「ブーケ、を?」
「獣人国の伝統で、新婦のブーケを、独身の女性が受け取ると、次に結婚すると言われているの。私は、それをミーナに渡したい。そして、それを、ミーナがアッシュ様に渡すの」
「で、でも、それは、私から告白するみたいに――」
「そうよ。ミーナ、自分で、伝えていいのよ」
ミーナの目から、ひと粒、涙が溢れた。
「お嬢様、私、もう、ガレオン様とお嬢様を見ていて、本当に、本当に――」
「ミーナ。アッシュ様も、絶対、応えてくれる。私が保証する」
「は、はい!」
ミーナは、両手で涙を拭いた。
「私、頑張ります!」
抱きしめた。
(エマ)
(私、ちゃんと、誰かを支える人にも、なれてるかしら)
(あなたが、私にしてくれたみたいに)




