第14話 呪われた地へ
リクトリア遠征隊出発の朝。獣人国の王都ヴァルガルディアの北門に、漆黒の馬車十台と、白虎・銀狼の獣人騎士団五十名が並んでいた。
「リリアーナ様、お準備、整いました」
ミーナが、私の最後のマントを整えてくれた。厚手の白い毛皮のマント。
「ミーナ、留守のあいだ、よろしくね」
「はい、お嬢様。どうか、ご無事で」
その後ろで、アッシュが、ニヤニヤしていた。
「ミーナ、俺がいないあいだ、寂しいって言って?」
「アッシュ様、煩いです!」
ミーナの頬が、真っ赤になった。
馬車に乗り込もうとしたとき、ヴェルナが駆け寄ってきた。
「リリアーナ。これ、持って行って」
ヴェルナの手のひらには、淡い緑色の小瓶があった。
「我が家伝の薬草水。雪山の寒気で、肌が荒れるのを防ぐの。陛下に綺麗な顔を見せるため、毎晩塗りなさい」
「ヴェルナったら」
笑った。
「あと、これも」
もう一つ、小さな包みを差し出した。包みを開けると、淡い水色のリボンが入っていた。私の指輪と、同じ色。
「ヴェルナ、私のために、調べてくれたの?」
「べ、別に、暇だっただけよ」
ふいっと顔を背けた。けれど、その耳は、真っ赤だった。
「リリアーナ。行こう」
「はい」
馬車が出発した。最初の三日は、平穏だった。獣人国の街道は、ヴァルデンツ王国とは違って、整備が行き届いていた。馬車は揺れも少なく、夜は温かい湯と、新鮮な肉料理を楽しめた。
四日目の朝。ついに、雪山道に入った。
馬車では進めなくなった。ここから先は、獣体に乗って進むしかない。
「リリアーナ。私の背中に、しっかり捕まれ」
人型だったガレオン様の輪郭が、みるみる白銀の毛並みに包まれていく。人化を解いた、本来の狼の姿。人の二倍はある巨躯が、私の前に、伏せた。獣体の温かさが、雪山の冷気の中で、頼もしい火のように感じられた。
彼の銀色の背中に、慎重に乗った。獣人騎士団も、それぞれ獣体に変わって、私たちの周りを駆けた。白虎のアッシュ。狼の若い騎士たち。圧巻の光景だった。
雪山の風は、冷たかった。けれど、彼の毛並みに身を寄せていると、不思議と寒さを感じなかった。
「ガレオン様。銀狼姿、本当に、綺麗ですね」
『お前にだけ、見せたい姿だ』
声が、私の心の中に、直接、響いた。
「えっ、声が、頭の中に?」
『獣体のときは、思念で会話できる。運命のつがい同士なら、なおさら』
「すごい……!」
「ガレオン様、聞こえてますか? 私の心の声、聞こえてる?」
『ああ、聞こえている』
「えっ、独り言、全部?」
『お前の独り言、全部聞いている。最高に、面白いぞ』
思わず、彼の銀色の毛並みに顔を埋めた。恥ずかしすぎる。
『安心しろ。獣体のときだけ、聞こえるだけだ。普段は聞こえない』
「よ、よかった……」
『でも、たまに、獣体になって、お前の心の声を聞きたい』
「やめてください!」
雪山を駆ける銀狼の背中で、彼を叩いて笑った。笑い声は、白い吐息になって、雪原に消えていった。
◆
――笑いながら、ガレオンの思念の奥では、別の声が、静かに響いていた。
明日、彼女は、三百年誰も解けなかった呪いに、挑む。
強大な魔力を持つ者ほど、呪いの残滓に、魂を喰われやすい。歴代の王たちが挑んで、誰一人成功しなかった理由は、単純な力不足ではない。呪いそのものが、術者の生命力を、静かに、確実に、蝕んでいくからだ。
(言うべきか)
(言えば、彼女は怯むだろうか)
――いや。
彼女は、怯まない。むしろ、危険を知れば知るほど、頭の中で、対処法を組み立て始めるだろう。それが、リリアーナという人間だ。
だが、ガレオンには、ひとつだけ、彼女に言えないことがあった。
もし、明日、何かを失うとしたら――それが、彼女の側であってはならない。
三百年待った女を、これ以上失う怖さを知るくらいなら、自分が引き受けるほうが、よほど容易い。
雪山の風の中、ガレオンは、その予感を、誰にも――彼女にすら、明かさないまま、胸の奥に、しまい込んだ。




