第12話 父、跪く
三日後、ジョージ・フォン・アッシュフォード侯爵が、馬車で獣人国に到着した。
謁見の間ではなく、王城の小さな応接室に、私は彼を呼んだ。ガレオン様も、同席してくれた。
応接室の扉が開いた。そこに立っていたのは、わずか一ヶ月前まで、私の父だった男。
――別人のようだった。
髪は、白く染まっていた。背筋は、丸まっていた。立派だった顔は、痩せこけて、皺だらけになっていた。
「リリ……」
父は、私の名前を、最後まで呼べなかった。
私は、立ち上がらなかった。お茶も勧めなかった。ガレオン様の隣の椅子に座ったまま、彼を見つめた。
「お座りください、ジョージ侯爵。お父様、と呼ぶことは、もうありませんが」
父の喉が、ぐっと、鳴った。
「アッシュフォード領の救援、お願いに参りました」
「ええ、手紙、拝見しました」
机の上の書類を、父の前に滑らせた。
「条件を、提示します」
父は、震える指で、書類を広げた。
『アッシュフォード領 治癒派遣契約 条件書
一、アッシュフォード家は、獣人国に対し、領地の南半分(金属鉱山地帯を含む)を、無償で割譲する。
二、アッシュフォード家は、現当主ジョージ・フォン・アッシュフォードの侯爵位をヴァルデンツ王国王家に返上し、爵位を「子爵」に格下げする手続きを、即時開始する。
三、現夫人エルザ・フォン・アッシュフォードを、ノーラ・セルデン事件の偽装幇助の罪で、ヴァルデンツ王国の警察に引き渡す。
四、上記の条件を全て呑む場合、獣人国はアッシュフォード領に治癒師十名を派遣する』
父の顔が、紙のように白くなった。
「リリアーナ、これは――」
「お受けにならないなら、領民は死に続けます」
容赦しなかった。
「お受けになっても、爵位の格下げと、領地の半分を失う。ですが、領民の命と引き換えなら、安いものでしょう?」
「私が……侯爵位を、返上……」
「いえ、もうあなたは、侯爵には、相応しくありません」
立ち上がった。
「私を見捨てて、義母とセシリアに騙され、領民まで救えなかった。それが、あなたが『侯爵』として遺した、すべてです」
「リリアーナ――」
「お父様」
初めて、その言葉を、口にした。
「私は、もう、あなたの娘では、ありません」
父の目から、ひと粒、涙が溢れた。
「私が、いえ、父が、悪かった。済まなかった、リリアーナ」
「謝罪は、領民にしてください」
書類を、ゆっくりと指差した。
「一度だけ、聞きます。お受けになりますか?」
父は、長い沈黙の後、震える手で、ペンを取った。
そして、書類に、署名した。
『ジョージ・フォン・アッシュフォード』
最後の、侯爵としての、署名。
「ご署名、ありがとうございます」
書類を畳んだ。
「治癒師団は、明日の朝、領地に派遣します。エルザ夫人は、今夜中に、ヴァルデンツ王国の警察に引き渡してください」
「は、はい」
「もう一つ。アッシュフォード家は、もう私の家族ではありません。今後、私への手紙も、訪問も、お控えください。私が、あなた方と関わる理由は、もう、ないのです」
父は、何も言わずに、私を見上げた。その目には、もう、涙はなかった。ただ、深い、深い、後悔だけが、残っていた。
「失礼します」
震える足で立ち上がり、応接室を後にした。




