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【Night 62】限界




「────!」

ばったりと倒れてしまったクラヤミを見て、ヒカリは絶句した。手を取ろうとしてしゃがみ込むと、倒れたクラヤミが本当の影───この世界が長い夜に包まれる前の影───のように見えた。

「だいじょうぶ!?」

『……ごめん、ちょっとくらっとしちゃった……』

クラヤミはヒカリの手を掴むことなく、自力で立ち上がった。手だけではなく、顔からも黒い液体が垂れ始めていた。

『……さっきのこと、もう少しくわしく話すね』

しかし白い目だけは変わっていない。相変わらず、無表情を保っている。心配しつつも、ヒカリは小さくうなずいた。本来なら敵であるはずのクラヤミを、本気で心配していた。

『……ヒカリちゃんは気づいていると思うけど、わたしにはいくつもの″力″があるんだ。空をとんだり、けがを治したり……』

「……ありがとう」

ヒカリも呟くように言った。クラヤミの「けがを治す」力には、もう2回救われている。

『……どういたしまして。あとそれと、わたしには他の力もあるんだ。その中に、″入れかわるば所をせいぎょする力″と″太ようをしずませておく″力もある』

「……?」

ピンときていないヒカリを見て、クラヤミは付け足した。

『……目をはなしたば所がべつのば所に入れかわってたよね? あれは「わたしがいたから」なんだ。この世かいだとわたしがいるだけでああなるんだけど、わたしが入れかわるば所を決めることもできるよ』

要は、A地点と隣り合うB地点があったとすると、A地点に立つ者がB地点以外の場所を見たときに、クラヤミがB地点と入れかわる場所を好きに選ぶことができた、ということだ。

ヒカリは考えた。そうであれば、今までのご都合主義的な巡り会いはクラヤミによるものだった可能性が高いということになる。もしそうなら、一体なぜそうしたのか? それはヒカリにはまだ分からなかった。

『……″人間″……まあ、ヒカリちゃんたちからする「()」をこの世かいにつれてきたのもわたし。ば所の入れかえをやってたのもわたし。太ようをずっとしずめたままにするために力を使ってたのもわたし』

そしてクラヤミはそこまで言うと、一度自身の左手を見た。左手の指がもはやないと言っていいくらいに短くなっている。

その動き自体は一瞬だった。またヒカリに目を戻して、言った。今度は幾分、小さな声で。

『……でも、使いすぎたみたいだね。力を』

風が吹いて、ヒカリの身体を微動させる。久しぶりに温度変化を感じた瞬間だった。マフラーをしているにも関わらず、首の芯までが氷点下にまで下がったような気がした。

『……さいしょからわかってたんだ。「人間」にはこの力をせいぎょできないって。いずれ、力にたえきれなくなって、こうやって体がこわれちゃうって』

人間と聞いて、数秒間頭の上に疑問符を浮かべていたが、思い出した。そういえば、影からすると、「人類」がヒカリ達のことで、「人間」がクラヤミ達、影のことだった。

『……でも、それでも、とにかく外に出たいって思ったから…あと、みんなわたしにきたいしてたから、きょう力した。おとーさんに』

クラヤミは続ける。

『……それで、今までずっと力を使い続けてきて、こうなっちゃったってわけ。わたしは多分、もうすぐきえる。体の形がなくなって……しぬ』

最後の2文字が、その場いるヒカリに重くのしかかった。何て声をかければいいんだろう?

『……わたしがしんだら、太ようが出てくる。太ようをしずめるわたしの力がなくなるから。みんなは───「人間」は、太ようのある場所ではそんざいできない。わたしみたいにどろどろになって、地面にはりついて、対応する「人るい」の足下にい動する。つまり、かげにもどる。「人間」はその時しぬから、今度は、いしきを持たない「から」として』

ヒカリは反射的に、自らの足下に目をやった。闇に囲われて、今は何もない。しかし太陽が出てきて影ができる。しかしそれは行動を制限された「人間」ではなく、意識を持たない「人間″だったもの″」。クラヤミの場合は、その地面に張り付く影は「クラヤミの身体」ということになるのだ。生きていない、クラヤミの「殻」。命あったものが命無い物に置き換わる。少し身体が震えた。

『……もうすぐそうなる。ヒカリちゃんたちがいるかぎり、それはひっくりかえらない』

言い終えると、クラヤミは地面に座り込んでしまった。自らが作った黒の水たまりに腰掛ける形となったが、気にしている様子はなかった。目を閉ざしていた。

そして時が流れる。クラヤミの声の記憶が遠ざかっていく。響きがどんどん、昔のものになっていく。

これで、クラヤミが言いたかったことは終わりなのだろうか。

違和感が何個も見つけられた。

…………。

………。

……。

終わりらしい。

ならば、とヒカリは口を開いた。

「〈クラヤミ〉ちゃん……」

『……?』

クラヤミはゆっくりとヒカリの方を向いた。その乾いた表情が、もうそっとしておいてくれ、と言っているようだった。

構うもんか。

「……なんで、ヒカリをまたつかまえないの?」

不思議だった。ヨウタの影がヨウタをすぐに取り戻そうとしたのに対し、クラヤミは捕まえるどころか、けがを治している。

影の行動にしては、矛盾に溢れている。

クラヤミは、数秒間ヒカリの目を見つめていたかと思うと、やがてこう返した。

『……今さらつかまえたって意味ないよ』

首を大げさに横に振ってみる。

「ううん。もっとべつのわけがあるでしょ。ヒカリをつかまえたくないわけが」

そしてヒカリは歩き出した。前へ、クラヤミの方へと。靴がクラヤミのものだった黒い液体状のものを踏み込み、ピチャ、ピチャと音がする。多分、靴の裏にくっついている。

「ヒカリがいえにかえったあとナギさんにあえるようにしたのも、〈クラヤミ〉ちゃんからでたヒカリがヨウタさんのにあえるようにしたのも、テリカさんのにあえたのも、ナギさんのにあえたのも、〈クラヤミ〉ちゃんにあえたのも、ぜんぶぜんぶクラヤミちゃんがそうなるようにしたんでしょ? ……それに、ナギさんをたすけるときの、かいちゅうでんとう」

『……!』

クラヤミがわずかに反応を示したのがわかった。

「あれ、〈クラヤミ〉ちゃんでしょ? ヒカリがナギさんをたすけたいとおもったのがわかったから、かいちゅうでんとうをヒカリのそばによういした……それに」

とうとうクラヤミの目の前に辿り着いた。大きな白い目が、ヒカリを見上げている。

「〈クラヤミ〉ちゃん、ないてたよね」

『……え?』

「ヒカリをつかまえるちょくぜん、ないてた」

『……ないてない』

首を横に振るクラヤミの腕に触れようと、手を伸ばす。手だった場所は、もうなくなっている。

「ないてた」

『ないてないってば!!』

指の消失によって棒状になった腕を使って、クラヤミはヒカリを払った。腕は当たらなかったものの、腕を振ったことによって黒い流動体がヒカリの服に飛び散り、いくつものしみを作った。

『……あ』

「……」

『……ごめん』

「ううん。だいじょうぶだよ……あ」

それは唐突だった。ヒカリの予期していないタイミングだった。

「〈クラヤミ〉ちゃん……」

『……』

「やっぱり……」

するとクラヤミは顔を半分の長さになっていた腕で拭った。そしてヒカリに顔を向けた。

『だからないてないって……』

言っているそばから、クラヤミの白い目から、液体が流れ出ていた。一見目のあたりが溶け始めたように見えるが、ヒカリには分かっていた。

「……」

透明に見えた。その涙は、黒の塊ともいえたクラヤミの目から流れているとは考えられないほど透き通っていた。もちろん暗かったので確証はなかったが、少なくともヒカリはそう感じた。

『……あれ……なんで……』

どうやら自分が泣いていることに、クラヤミはようやく気づいたようだ。自らが作った水たまりを覗き込んだのか。さすがに暗いから反射しないはずだが。ひょっとすると、ヒカリよりもずっと前に気がついていたのかもしれない。いや、きっとそうだろう。

クラヤミはそのまま、腕を顔に押し当ててうつむいてしまった。ヒカリに顔を見せまいとしているようだった。

ヒカリは思い出していた。あの、ナギの台詞せりふ

───オレたちはもう仲間だろ? 気兼ねなく話せよな。

前にクラヤミに向けようとした時は、言う前に封じられた。しかし今はそんなことはない。

(……なかま……)

ヒカリは少し考えて、口を開いた。

「〈クラヤミ〉ちゃん」

あれだけヒカリから顔を逸らしていたクラヤミが、ゆっくりとヒカリを見た。意表を突かれたような表情のまま、右目から一筋の涙がこぼれていた。

迷わず、続けた。

「おさんぽに、いかない?」

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