第63話 51
愛詩は小学生の頃から、プログラミングが好きだった。
プログラミングは試行錯誤の連続だ。ある目的が存在し、それを達成する方法を考える。閃いたアイディアを図で表し、プログラムに落とし込む。たいてい、一度ではうまく行かない。プログラミングを間違えるからだ。そのミスを修正し、再び動かす。想定した通りに動いても、やはり、たいていうまく行かない。アイディアそのものが間違っているからだ。
アイディアを修正し、コードを書き直し、再度挑戦する。やり直すたびに間違いが見つかる。そのたびにアイディアとコードが洗練されていく。愛詩はその繰り返しが好きだった。
小6のとき、愛詩は素数と出会った。1と自分自身でしか割り切れない特殊な数。愛詩は早速、1億以下の素数を探すプログラムを作った。そのプログラムは、結果が出るまでとても時間がかかった。ネットで調べて、より高速に素数を見つけるアルゴリズムを知った。それを自分のコードに埋め込み、より高速に、より大きな素数を見つけていった。
ある日愛詩は、入力した数字を並べ替えて、素数を返すプログラムを作った。まさかそれが、数年後に大活躍するとは知らずに。
南翠高校に入学後、愛詩は数学部に体験入部した。そこの部長、東雲楓佳は、愛詩の持ってきたプログラムを絶賛した。
「これはすごい! 僕らがまさに探し求めていたものだよ!」
この部がQKを始めたのは、ほんの一年前だった。当時の新入生だった的場あす香が、こんなゲームがあるのですが、と紹介したのだ。早速何人かの部員は興味を示し、大会があると知って、来年の出場を目指すことにしていた。
愛詩は説明を聞いて、役立ちそうなプログラムがあります、と話した。そして翌日、そのプログラムを持っていったのだ。
「これって、返す素数は最小のものだよね」楓佳が指摘する。「最大の素数を返すようにはできない?」
「できます。検索する順番をひっくり返せばいいだけなので。ちょっと動作は遅くなるかもですが」
愛詩はその場でプログラムを書き換えてしまった。
「きみすごいな! これで、QKの研究が進むぞ!!」
プログラムを初めて褒められて、愛詩は嬉しかった。この部に貢献しよう、と彼女は決心した。
伊緒菜ならどうするか。みぞれはそう考えていた。
愛詩は4663でパスした。彼女の手札がこれに勝てないとは考えにくい。何かを狙っているのは確実だ。
みぞれが四枚出ししたら、愛詩はKJQJで親を取り、六枚出しするかもしれない。そのときみぞれの手札は四枚なので、カウンター不可能だ。一方、ここでみぞれが六枚出しし、愛詩がそれにカウンターしてきた場合も、やっぱりみぞれはカウンター不可能になる。
でもそれは、枚数不足によるカウンター不能だ。だから枚数さえあれば、カウンターできる可能性が残る。伊緒菜ならこういうとき、ドローするだろう。
「一枚引きます」
みぞれは山札から一枚引いた。出たカードは5。悪くはない。
そしてみぞれは、場に四枚出した。
「KTQJ」
みぞれの今の手札で作れる最強素数だ。もしこれで親が取れたら、5QQ7Aでみぞれの勝ち。取れなかったとしても、次のドロー運が良ければカウンターできる可能性は残る。
みぞれは愛詩の様子を確認した。愛詩は場のカードを眺めたあと、じっとみぞれの顔を見つめた。細長い眼鏡がきらりと光る。
「なるほど、なるほど。そうきたか。……《《そっちを選びましたか》》」
「えっ」
ポーカーフェイスの愛詩が、少しばかし笑顔を見せた。
「これは賭けでした。そっちが五枚以上出したり、KJQJを出したりしていたら、ほぼ私の負けでした。でも、手札十二枚の状態で四枚出ししたのなら、残り八枚も四枚出し二組に分けられていると考えるべき。そのうち強い方がKJQJでなければ、私が勝てる。そう踏んだんです」
博打タイプだったのか! 予想外だった。堅実な手を用意している前提で考察していた。
「ジョーカーをKとして、KJTK!」
四枚出しで二番目に強い素数だ。判定を聞かずとも、二人にはそれがわかっていた。
「きみはこれには返せない。これに返せるのはKJQJのみだけど、もしKJQJを持っているなら、先にそっちを出しているはず。確実に親が取れるから」
その通りだ。みぞれはこれに返せない。一枚ドローしても無理だ。
だがみぞれには、まだ勝機がある。愛詩の残り手札はまだ八枚もある。ここで一枚ドローして手札を増やしておけば、向こうが何枚出ししても対応できる。
「一枚引きます」
山札からドローした。出たカードは、なんとジョーカー。これはツイている。愛詩が六枚出し以下なら今の手札のままどうとでも対応できるし、七枚出しされても、またドローして手札全部を使う素数を出せればみぞれの勝ちだ。
「パスします」
場が流れる。愛詩の手番だ。
「手札六枚ですか」愛詩はみぞれの手札をじっと見つめていた。「古井丸さんなら、私が七枚出ししてもカウンターしそうですね」
「も、もちろん、そのつもりです」
みぞれは少しだけ胸を張った。威嚇のつもりだった。
「それなら私も、あす香先輩みたいに、全部出します」
周囲がまたざわついた。残り八枚をすべて出すのか。
「あす香先輩が何度も繰り返すので、私も覚えたんですよね。門前の雀、みたいな」
みぞれはまた意味が分からなかった。愛詩は解説する素振りも見せずに、カードをすべて出した。
「たしか、こうだったはず。2^A7=A3T72」
「じゅ、十七乗!」
慧が出すのはせいぜい十三乗である。だが、もしかしたらこれも、何か有名な数なのかも知れない。
素数判定員がタブレットを操作した。これがあっていれば愛詩の勝ち、すなわち南翠高校の優勝である。
判定が下された。
「合ってます! 合成数出し、成功です。よってこの試合、西村愛詩選手の勝利です!」
周囲から歓声が上がる。愛詩が初めて、顔をほころばせた。歓声に紛れながら、素数判定員が定型句を続ける。
「またこれにより、南翠高校は二本先取とまります。よってこの勝負、南翠高校の勝利です!」
「ありがとうございましたっ」
愛詩は頭を下げると、さっと立ち上がって後ろへ駆けた。
みぞれも、部員達のところに戻った。
「ご、ごめんなさい……」みぞれは三人に向かって頭を下げた。「負けました……」
「みぞれのせいじゃないよ!」
津々実がみぞれの言葉に被せるように言った。慧がその横でうつむく。
「私が勝ってれば……」
「け、慧ちゃんのせいじゃ……」
「いえ、私たち全員のせいよ」
三人の会話に、伊緒菜が割って入った。声には張りがあったが、表情は暗い。
「伊緒菜先輩……」
怒られるのかとみぞれは不安になったが、伊緒菜はそうしなかった。
「慧は運が悪かった。最初に五枚出しをしていれば勝てていたかもしれない。みぞれは読みが甘かった。作戦そのものは、悪くなかったけれど」
私でもああしたかもしれない、と伊緒菜は付け加えた。
「そして私は、油断したわ」伊緒菜はため息を吐いた。「まさか数学部なんてね。新生QK部だと思って、ろくに調査しようともしなかった。数学部だとわかってれば、ああいう素数の覚え方をしているとわかっていれば、それなりの対策ができたのに」
後輩たちは黙って伊緒菜を見つめていた。彼女は本気で悔しがっていた。自分がしっかり対策を立てていれば、みぞれ達なら勝てたと確信しているのだ。
「そして津々実は」伊緒菜は津々実の鼻先に指を突き付けた。「もっとしっかり応援してほしかったわ」
「え、あ、はい、すみません」
急に自分に矛先が向いて、津々実は間の抜けた返事をしてしまった。伊緒菜はにやりと笑って、眼鏡を押し上げた。
「落ち込むのはここまでにしましょう。反省は帰ってからすればいいわ。それより今は――」伊緒菜はみぞれに目配せした。「午後の個人戦に目を向けましょう」
「は、はい」
みぞれは顔を上げて、背筋を伸ばした。そうだ、まだ個人戦が残っている。むしろ本番はこれからだ。
「それと、慧は――」
伊緒菜は体育ホールの出口を指差した。
「早く追いかけなさい。出ていくみたいよ」
「え?」
振り返ると、緑色のパーカーを来た三人組がホールを出るところだった。南翠高校数学部の三人だ。
「えっと、でも、先輩たちは……」
慧は戸惑いながら伊緒菜を見た。伊緒菜が慧を睨み返す。
「私達のことは放っといていいわ。それより、早く声をかけないと後悔するわよ。ほら、行ってきなさい」
そう言って、慧の背中を押した。二三歩よろけてから、慧は再び伊緒菜を振り返った。いつものにやりとした表情だ。それを見て、慧は無言で会釈すると、外に向かって走り出した。
ホールの外はロビーだ。出口の方に、緑色のパーカーは見えない。三人組は、ロッカールームに向かっていた。
後姿を追いながら、慧はまだ悩んでいた。私なんかが声をかけていいのだろうか。向こうは数学部だ、自分より遥かに数学が得意かもしれない。私が仲間に加わろうとしても邪魔なだけかもしれない。それに、今この会場では敵同士だ。歓迎してくれるだろうか。
だけど、ここで声をかけなければ、たぶん二度と話しかける機会はない。伊緒菜に押された背中が、じんわりと熱を帯びる。慧はほんの少しだけ、勇気を出した。
「あ、あのっ。数学部の……」
パーカーの三人が振り返る。背の高い少女が慧に気付いた。
「あれ、さっきの。萌葱高校の人だよね」
「はい。萌葱高校の剣持慧です」慧は三人の顔を見ることができず、セーラー服の裾をいじりながら聞いた。「あの……数学部って、何をしてるんですか?」
一年生と二年生の二人が、お下げの少女を見た。少女はハスキーな声で言った。
「数学に興味あるの?」
「え、えっと……少し……」
「それは嬉しいね。僕は部長の東雲楓佳。歓迎するよ」
楓佳は大人びた笑顔をした。
「うちは色々やってるけど、メインの活動は数学検定や数学オリンピックへの出場だね。あとは、大学の数学を勉強したり、論文を読んだり……。ああ、高校数学は全員、一年の夏休みまでに終わらせてもらう。これはマストだ」
予想よりもハードなことをやっているようだ。
「論文って、どんな?」
「最新の論文を読むことは、さすがにないかな」
「サガミさんなんかは読んでますよ」とあす香。
「ああ、たしかに。まぁあの人は別格だし」
どうやら、そういう人もいるようだ。慧は感心していた。
「最近は何を読んだっけな……。みんな好き勝手に読んでるけど、僕らはQKの影響で、素数が絡む論文をよく読むね。完全数のやつとか」
「完全数」慧はピンときた。「それで、2の17乗を覚えてたんですか?」
「うん、そう」愛詩が頷く。「あす香先輩が、ずっとぶつぶつ呟いてるから、覚えちゃった」
「いやだって覚えたいでしょ、メルセンヌ素数!」
2^n-1の形の素数はメルセンヌ素数と呼ばれる。2^17-1=131071は、6番目のメルセンヌ素数だ。これと2^16の積は、6番目の完全数8589869056になる。
「たった51個しかないんだし」
「51個しか、ってことはないんじゃないですか?」
慧は反射的に突っ込みを入れていた。
「現在知られているのがそれだけってだけで」
「え? ああ、そうだけどさ」
くすくすと楓佳が笑う。
「あす香のこだわりは置いといて」楓佳が慧の顔を見る。「どうする? 僕らはこれから、外に食べに行くんだけど、きみも行く?」
「いいんですか?」
「うん。というか、きみこそいいの? 誘っといてなんだけど」
伊緒菜の顔を思い出す。
「大丈夫です。先輩から行って来いって言われましたから」
「そっか。じゃあ、行こうか。仲間が増えて嬉しいよ」
仲間、と言われて慧は嬉しかった。みぞれ達も、慧にとって仲間だ。でも、数学の話は通じない。数学の話を受け入れてはくれるが、話せるわけではない。
数学を話せる仲間ができるかもしれない。慧は、胸の高鳴りを感じた。




