第62話 6=1+2+3
「すう、がく、ぶ……?」
史の言葉を、慧が繰り返した。
「そんな部活があるんですか?」
「うん、そうらしい」
「何をする部活なんですか?」
「え? さぁ、中身まではあたしも……」
史が遠海姉妹を見た。双子も首を振った。
慧は周囲を見回した。伊緒菜が彼女の肩を叩き、「あそこにいるわ」と指差した。
薄い緑色のパーカーを来た三人組の女子高生が、固まって話をしている。全員、「広島県 南翠高校」と書かれたゼッケンを背中に付けていた。
声をかけようか、と慧が逡巡しているうちに、
「これより、団体戦決勝戦を始めます」
とスタッフがアナウンスした。
テーブルを挟んで、両チームが向かい合う。その周りを三十人近い数の選手たちが囲み、試合が始まるのを待っていた。
「では、団体戦決勝戦、萌葱高校対、南翠高校の試合を始めます。両チームの先鋒は席についてください」
慧が席に着く。向かいにも、背が高く、髪を刈り上げた人物が座った。慧は最初、随分な美男子が相手だなと思った。しかし、南翠の選手は全員女のはずである。彼女は顔が男性的なだけで、声は立派な女子であった。
「初めまして」少女が親しみやすい笑顔を浮かべた。「南翠高校数学部2年の、的場あす香です」
「初めまして。萌葱高校QK部1年の剣持慧です。……あの」
「ん?」
あす香は笑顔のまま、小首を傾げた。
「数学部、って、数学をやる部活なんですか?」
「ああ、そうだよ」あす香は照れ臭そうに続けた。「変でしょ、部活でまで数学やるなんて」
「えっ、いえっ」慧は声が裏返りそうになった。「そんなことないですっ」
あす香は切れ長な目をぱちくりとさせたあと、
「そう? ありがと」
と答えた。
「ではこれより、萌葱高校剣持慧選手対、南翠高校的場あす香選手の試合を始めます。まずはカードドローをお願いします」
素数判定員がテーブルにカードを広げた。慧とあす香が同時にカードを引いて表にする。慧がハートの5、あす香がダイヤの2。先攻は慧だ。
判定員がカードを回収し、二人に十一枚ずつカードを配る。
「これより、1分間のシンキングタイムを始めます」
宣言されると、慧とあす香は手札を取った。
慧は自分の手札を見て、平均的な手だな、と思った。A、2、3、4、5、5、5、T、J、K、K。一見して奇数が多そうだが、QKの世界では5を偶数扱いすることが多い(一の位に5を使えないからだ)。その考えでは、偶数が六枚、奇数が五枚、そして二桁カードが四枚。最も平均的な手である。
それでも、5が三枚あることは、慧にとっては有利な手だ。エイミー戦では結局出番がなかったが、これだけ5があれば、5のべき乗が出せる可能性が高い。
たとえば、5^3=A25が出せる。5^5=3A25もだ。他には……。
考えているうちにシンキングタイムが終わった。慧の持ち時間が減り始めた。
慧はまだ考えていた。
5^5=3A25を出すと、残りは4、T、J、K、K。この組み合わせですぐ思いつくのは、4JKとTK。だがこれらは、全部枚数が違う。連続して出すことはできない。
四枚出しではKJTKがあるが、これを出すと4が余る。4は素数ではないので、出せない。
5^3=A25ではどうか。これを出すと、残りは4、5、T、J、K、K。これらはT5K、4JKと分けることができる。悪くは、なさそうだ。
慧が悩んでいる間に、あす香はカードを組み終わっていた。慧には悪いが、これはほぼ勝ちだろうな、と考えていた。
もっとも、あす香にとって、勝負は二の次だった。彼女はただ、自分の好きな数を出したいだけだった。勝負にこだわる部長や後輩には怒られるが、それでも好きな数を出すのはやめられない。
数学部でQKをやっているのは、あす香を含め三人だけだった。残りの七人は、何度かやったら飽きてしまった。数に興味がなかったのだ。
数学が好きだからといって、数が好きとは限らない。数学が扱う対象は多彩だ。数は、そのうちの一つに過ぎない。
あす香は、部で一番“数好き”を自負していた。QKをやっている部長も後輩も、興味の対象は数自身ではなく、数という体系が持つ性質だった。個別の数の具体的な性質に興味を持っているのは、あす香だけだ。
「合成数出しします」
慧はようやく出すカードを決めた。慧は場に四枚、そして素因数場に三枚のカードを並べた。
「3A25=5×5^4」
おお、と周りの選手たちがどよめいた。
慧にしてはトリッキーな出し方だった。5^5は、5×5^4でもあるため、このような出し方が可能になる。QKでは、素因数分解は一意ではないのだ。
残りの手札はKJTK。素数だ。
「合ってます。合成数出し、成功です」
判定が下され、手番が移る。あす香は伏せていたカードを持ち、ふぅ、とため息を吐いた。
「やれやれ。四枚出ししてくれて、良かったよ」
「え……」
あす香は、人から好かれそうな笑顔をしていた。不穏な内容を告げられたにも関わらず、慧はその顔に好感を抱いた。
「カード運が良かった。きみが三枚か四枚を出してくれれば、確実に勝てる手札だったんだ。――ジョーカーをQとして、KJQJ」
場に、四枚のカードが出される。慧もあす香も、そのカードが四枚出し最強であることは覚えていた。
「13111211は素数です」
手番が移る。これに勝つには合成数出ししかないが、慧の手札に一枚加えても、それは不可能だ。
「パスします」
慧は悩むことすらできなかった。代わりに、あす香の手札を睨む。
「まだそんなにあるのに、もう勝ち確なんですか?」
「うん。だって、この七枚を一度に出すからね」
七枚出し! またしても巨大素数なのか、と慧を含め、体育ホールにいる誰もが思った。
だが違った。あす香は、場と素因数場にカードを並べた。
「あたしの大好きな数の一つ。8Q8=2^6×Q7!」
おお、とまた会場がどよめいた。その中に、何人か頷いている選手が見える。この合成数出しを知っていたのだ。慧も、これはよく知っていた。この数は……。
「合っています。合成数出し、成功です。よってこの試合、的場選手の勝利です!」
たった二手で負けてしまった。自分が二手で勝てるつもりでいたのに……。
あす香は笑顔のまま「ありがとうございました」と頭を下げた。慧もつられて頭を下げ、席を立つ。
仲間たちのもとに戻ると、「運が悪かったわ、慧」と伊緒菜が肩を叩いた。
「相手の手札が良すぎた。向こうは絵札五枚にジョーカーまであったのだから」
「それに、あんな合成数出しができるなんてね」と津々実も慰めるように言う。「あれは計算したのかな。それとも、大好きとか言ってたから、覚えてたのかな?」
「あのくらいなら簡単に計算できるけどね」と、美沙が右手の指を動かしながら言う。
「そりゃ君らはね……」
伊緒菜が眼鏡を押し上げて、解説した。
「たぶん、覚えてたんでしょうね。あれは有名な合成数出しよ。七枚中六枚が偶数という、超お得な偶数消費型合成数だから」
「なるほど」津々実が頷いた。「だから大好きってことですか。戦術的にとても強いから」
「違うと思う」
慧が言い切った。彼女にしては、強気な言い方だった。
「そんな理由じゃない。あれは、完全数だからよ」
「完全数?」
津々実が「なにそれ」と尋ねた。
「自分自身を除く約数の和が、自分自身になる自然数のこと。例えば、6の約数は1と2と3の三つだけど、これらの和は6になる。こういう数を完全数と言うの」
「へぇ……。で、8128も完全数なの?」
ええ、と慧は頷いた。
「だから覚えてたんだと思う」
伊緒菜が首を傾げた。
「でも、それだけで素因数分解まで覚えるかしら?」
「覚えます。だって、偶数の完全数は、必ず2 ×(2 -1)で表せることが知られていますから」
「えっと……?」
慧は具体例を挙げた。
「さっきの8128は、n=7の場合です。2^(7-1)は2^6ですし、2^7-1は128-1=127です。この二つの積が四番目の完全数8128になることを覚えていたんだと思いますす。ちなみにn=5にすると、三番目の完全数496になります」
津々実が小さく手を挙げた。
「nが6のときは、完全数じゃないんだ?」
「うん。2^n-1が素数になるときだけ、完全数になるの。2^6-1は63で、これは素数じゃないから、完全数にならない」
「そういう覚え方は、私の想定外だわ」
伊緒菜は肩をすくめた。
「どうすればいいですか?」
みぞれが不安そうに伊緒菜を見上げた。伊緒菜は腕を組んで、
「そうね……もし合成数出しが得意なのだとしたら、慧と戦うつもりで戦えば勝てるんじゃないかしら?」
「慧ちゃんと……」
みぞれと慧の目が合った。部内での戦績は、みぞれの方が優秀である。
慧の出す合成数は幅広い。覚えているものも多いが、その場で計算してしまうものもある。一方、南翠の選手は覚えている合成数を中心に出してくる可能性が高い。あす香がそうだったからだ。ならば、出せる合成数の幅は、慧より狭いかもしれない。
「これより中堅戦を始めます。両チームの選手は席に着いてください」
判定員に呼ばれ、みぞれはとぼとぼと対戦テーブルに向かった。出てくる合成数の幅が狭くとも、完全数なんて特殊な覚え方をしている相手だ。今まで慧が出さなかったような、とんでもない合成数を出してくるかもしれない。
慧が負けたので、ここでみぞれが勝たなければ、萌葱高校は敗退である。団体優勝の座に着けない。何が何でも勝たなくては。
対面に座ったのは、あす香とは対照的に、背の低い少女だった。みぞれと同じくらいの身長である。細長い眼鏡を、ちょこんとかけている。
「ええと、初めまして。萌葱高校の古井丸みぞれです」
みぞれが頭を下げる。少女はぴしっと座ったまま、眼鏡の奥からじーっとみぞれを見つめた。
「初めまして。南翠高校数学部1年、西村愛詩です。愛の詩と書いて愛詩です。Do you see?」
「え、ええと?」
みぞれは意味が分からなかった。なにかジョークを言ったらしいことは分かったので、愛想笑いを浮かべた。
「む。部の先輩たちは"I see"って答えてくれたのに」
みぞれはノリに着いていけなかった。
「ではこれより、萌葱高校古井丸みぞれ選手対、南翠高校西村愛詩選手の試合を始めます」
素数判定員が告げ、両者に十一枚ずつカードを配った。
「先攻は古井丸選手です。ではこれより、1分間のシンキングタイムを始めます」
みぞれはタイマーの音と同時にカードをめくった。そして、絵札の多さに目を見張った。
3、4、6、6、7、T、J、Q、Q、Q、K。偶数の多さもQの多さも、気にはならない。六枚も絵札があれば、圧倒的に有利だ。早速、何を作れるか考えた。
Qが三枚あるので、QQQJが作れる。二桁カードがすべて揃っているので、KTQJが作れる。この上に7を付けた7KTQJや、五枚十桁のQJQTKも可能だ。選り取り見取りである。どう組み立てようか。
愛詩も、じっと静かにカードを見つめていた。ポーカーフェイスだったが、内心は渋かった。愛詩の手札は、A、A、2、2、3、7、7、T、J、K、ジョーカーだった。2があるのはありがたい、合成数出しがしやすいからだ。奇数が七枚とやや多めなのもありがたい、組める素数の幅が広がるからだ。
だが相手はあの宝崎伊緒菜の後輩、古井丸みぞれだ。彼女の強さは知っている。三枚出しから六枚出しまで、幅広く素数を覚えていると推測される。
弱点といえば、戦略の甘さくらいだ。宝崎伊緒菜は手札が弱くても戦略で勝つが、みぞれはまだ粗削りである。付け入る隙はそこだろうか。
一分が経過した。みぞれはいつも通り、山札から一枚ドローした。Aだ。奇数を引けたのはツイている。
手札の十二枚を、三枚出し四つか、四枚出し三つに分けられないか、考える。三枚出しだと、作れる最強の素数はKTJ。しかしこれだと、Qが三枚余ってしまう。できればQを使った素数を考えたい。
四枚出しなら、KTQJを作る手がある。残るQは二枚、いま引いたAと組み合わせて、QQ7Aが作れる。そして残った3、4、6、6の四枚は……4663が素数だ。
組めた。みぞれは手札を並べ替えて整理する。
まず4663を出し、次にKTQJで親を取る。最後にQQ7Aを出してみぞれの勝ち。
いや、先にQQ7Aを出すべきか。KTQJにカウンターされる危険は十分にある。もしカウンターされたら、手札の四枚中二枚がQになってしまう。それはさすがに苦しい。Q二枚を先に消費すべきだろう。
みぞれはそう決めて、場に四枚出した。
「4663」
「4663は素数です」
判定員がタイマーを切り替えると、愛詩も山札からドローした。それから、手札を舐めるように見渡した。
三十秒ほど経過したとき、愛詩はぴりっとした表情でみぞれを見つめ、言った。
「パス」
「えっ?」
4663で、パス? みぞれは困惑した。
場が流され、みぞれの手番になる。愛詩が何を考えているのか、みぞれには分からなかった。
最初の予定通り、QQ7Aを出すべきか? 4663でパスなら、それもパスすると考えられる。
でも、とみぞれは愛詩の顔を見た。もし4663に返せないほど手札が悪いのなら、追い詰められた表情をしそうなものだ。だが彼女は、澄ました表情をしている。単なるポーカーフェイスなのか、それとも……。
もしかしたら、こちらの四枚出しを誘っているのかもしれない。自分は手札を確保したままで、みぞれの手札を一方的に減らそうとしているとは考えられないか。
次にみぞれが四枚出しをしたら、愛詩はKJQJで親を取るつもりなのかもしれない。そしたら、みぞれの手札は四枚、愛詩の手札は八枚。愛詩が六枚出しをしてきたら、みぞれはカウンター不可能だ。愛詩の狙いはこれか?
もしそうなら、みぞれは四枚出しすべきではない。五枚出しや六枚出しをすべきだ。
例えば六枚出しなら、KTQQQJがある。愛詩がこれに返せる素数を持っていなければ、みぞれは7Aを出して勝てる。五枚出しなら、QJQTKのあとにQA7で勝てる。
本当に愛詩が六枚出しを狙っているとしたら、その六枚はあまり大きくないはずだ。もし大きいなら、今この場で親を取り、その大きい六枚を出してしまえば良い。そうしなかったのは、愛詩の六枚が小さいからだとは考えられないか。
もし愛詩が小さい六枚出しを狙っているのなら、みぞれはここでKTQQQJを出すべきだ。愛詩はこれには返せない。だが愛詩は、それをこそ狙っているのかもしれない。本当は大きい素数を持っているのに、みぞれに六枚を出させるために、4663でパスしたのかもしれない。
みぞれは悩んだ。四枚出しか、六枚出しか。どちらを出すかで、勝敗が――優勝が決まると、直感した。




