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追憶は蘭の香に咽ぶ  作者: ちとせ鶫
第2幕 追い、溢れ、零れる/第1章 追う

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第22話 「冷視」 ——あの目は、私を見ていない

 皇帝の目のことを、翌朝も考えていた。


 見られた。長く、見られた。それは確かだった。でも——見られていたのに、見られていなかった気がした。


 矛盾している。でも、そう感じた。


 あの目は、私を見ていた。でも、私を見ていなかった。


     * * *


 朝の水運びの帰り道、泠廊を通った。


 蘭衣を着てから、泠廊を通るたびに足音が二つになった。あの廊で「二つのまま歩く」と決めてから、今日も振り返らなかった。もう一つの足音を、ただ連れて歩いた。


 歩きながら、蒼冽の目を思い返した。


 何かを見ていた。確かに何かを見ていた。でもその「何か」は、私ではなかった。


 私の顔を見ていた。私の衣を見ていた。でも——その奥に、別の誰かを見ていた。私を通して、別の誰かを見ていた。


 そういう目を、私は知っていた。


 晩蘅妃の目も、最初はそうだった。茶を飲んで止まるとき、字を見て止まるとき——私を見ているのに、私ではない誰かを見ていた。


 でも晩蘅妃の目は、少しずつ変わった。あの香りよく茶を淹れられた日、初めて「私として」見てくれた。


 蒼冽の目は——まだ、変わっていない。


     * * *


 廊の角を曲がったとき、廷烽とすれ違った。


 朝の巡回だった。廷烽は真っ直ぐ歩いてきて、私とすれ違う直前に少し頭を傾けた。私も頭を下げた。


 すれ違いざまに、廷烽の目が私を見た。


 一瞬だけだった。


 でも——その一瞬に、昨日の蒼冽の目との違いが、はっきりわかった。


 廷烽の目は、私を見ていた。私だけを。他の誰かを通してではなく、ただ目の前にいる私を、真っ直ぐに見ていた。


 その違いが、今日は特に鮮明だった。


     * * *


 晩蘅妃の宮で茶を点てながら、考えた。


 蒼冽は私を「像」として見ていた——そう思った。


 像というのは、私が考えた言葉だった。正確かどうかわからない。でも他に言葉が見つからなかった。像。実物ではなく、その形を借りた何か。私の顔と衣と声を、別の誰かの像として見ていた。


 その誰かが泠蘭であることは、もう確信に近かった。


 蒼冽は泠蘭を知っていた。泠蘭に何らかの感情を持っていた。そして今、泠蘭に似た私を見て——泠蘭を見ていた。


 私を見ていなかった。


 それが——不思議と、怖くはなかった。悲しくもなかった。ただ、確かめたいと思った。


 蒼冽と泠蘭の間に、何があったのか。


     * * *


 晩蘅妃が茶を飲んで、ふと動きを留めた。


 今日の静止は短く、一口含んで、少しだけ間を置いて、また飲んだ。それだけのことだった。


 私は頭を下げたまま待った。


 晩蘅妃が言った。


「昨日、何か感じましたか」


 予想外の問いだった。


「はい」と私は答えた。正直に。


「何を」


 私は少し考えた。


「あの方の目が——私を見ていなかった気がしました」


 晩蘅妃が、静かに息を吐いた。


 否定しなかった。肯定もしなかった。ただ、息を吐いた。


「そうですか」とだけ言った。


 それ以上は何も言わなかった。


 でも——その「そうですか」の中に、多くのものがあった気がした。


     * * *


 夕方、暁燕に会った。


「昨日、皇帝さまに御覧になったって、聞いたよ」と暁燕は言った。

「どこで聞いたんですか」

「廊で。」と暁燕は言った。「もうけっこう広まってるよ」


 また噂だ、と思った。でも今日は、噂の中心にいることへの怖れより、別のことが頭にあった。


「皇帝さまと、泠蘭様は——どういう関係だったか、知っていますか」


 暁燕が固まった。今度は長く固まった。


「......それは」と暁燕はゆっくり言った。「聞かない方がいいと思う」

「なぜですか」

「知ったら、戻れない気がするから」


 戻れない。


 あの既視感に近い感覚を覚えたあの日。私が感じたことと、同じ言葉だった。先に進んだら戻れない。でも——


「もう、戻れない気がします」と私は言った。「蘭衣を着た日から」


 暁燕は、しばらく黙っていた。


 それから、小さく頷いた。


     * * *


 夜、茶器を手の中で握った。


 蒼冽の目は、私を見ていなかった。

 でもそれは——蒼冽が泠蘭を見ていた、ということだ。今も、泠蘭を。


 泠蘭は死んでいる。でも蒼冽の目の中には、まだいる。


 それが何を意味するのか。

 私はまだ、答えを持っていなかった。


 でも——探し始めた。

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