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8『黒鳥の少年』

 ダロック本部を取り囲む高い塀の中に、崩れて隙間が空いている場所が一か所ある。


 俺はその隙間に身体をねじこませ、外へ通り抜けた。

 無断で外へ行くときはいつもこうしている。


 視界が開ける。

 ダロック周辺は気味が悪いほど静かだ。

 民家も畑もなく、乾いた土道だけが城下町まで伸びている。


 人目を避けたいときには都合がいい。


 道端の低木に積もった雪が、風に吹かれて顔にかかった。


「はぁ……」


 無意識にため息がこぼれる。

 さっきのナイリスの言葉がやけに胸の奥をついた。


──悪魔族だから、飛べないの!


 分かってんだよ。

 俺が悪魔村出身の、悪魔族の血を引いた悪魔族で、それ故に飛ぶことができないことくらい。

 生まれたときからそれは理解しているつもりだ。


 悪魔族っていうだけで忌み嫌われ、傷つけられ、石を投げられてきたのは俺自身だ。

 自分たちの身を守るために他種族と戦わなければならないときに、飛ぶことができずに負けた経験だって何度もしてきた。


 分かってんだよ。


 地面の石ころを思い切り蹴飛ばす。

 少し宙に浮いて、すぐにコロコロと地面を転がっていった。


 でも──。


「負けたくねぇ!!」


 ナイリスにだって、部下や後輩たちにだって、負けたくねえんだ。

 ルルナにだって……。


 俺がダロックで最強の兵士だってことを俺以外のやつ全員が認めるまで。

 じゃないと俺は……副団長に見捨てられてしまう……。


 俯いた視線の先に、雪が一粒落ちた。

 見上げると、薄い結晶たちがはらはらと舞い降りてきている。


「……腹減ったな」


 ひどく感傷的になっていたことに気付き、俺は深く息を吸ってまた歩き出した。


 ⭐︎⭐︎⭐︎


 しばらく歩くと、人通りが増えてきた。

 石造りの建物が隙間なく並び、空が狭くなる。

 先ほどまで吹きざらしだった風も弱くなった。


 エルスガルド──王城を囲むように城下町が広がる、この星屈指の都市だ。


 その更に中心にあるノルデ市場に足を踏み入れた瞬間、押し潰されそうな熱気が身体を包んだ。

 客を呼び込む露天商たちの太い声が響き渡っている。


「ダロックの制服だ!」


 母親に手を引かれた小さな子供が、俺を指差して叫んだ。

 周りの市民たちも、つられて振り返る。


「ダロックの兵士ですか」

「いつもありがとうございます」


 その場にいた大勢が俺を取り囲み、口々に感謝や称賛の言葉を述べた。


 俺はにっこりと笑って見せて、右手を胸に当てた。


「皆さんの安全な生活のためですから」


 おぉーと歓声が上がる。


 そのとき、ひとりの老婆が俺の左手をぎゅっと握った。


「ボイトルの使徒様……雪辱を果たしてください……」


 老婆は俺を見上げながら、祈るようにそう言った。

 手の温もりがじんわりと伝わってくる。


「……必ず」


 市民たちが去ると、俺は急いで制服のコートを脱いだ。この真っ白な制服は良くも悪くも目立ってしまう。


 この辺りの人々は、城下町だけあり城直轄の組織であるダロックをかなり崇拝している。

 かつて地球人の脅威に晒された者も多いからこそ、余計に俺たちは英雄視されるのだ。


 まったく、他人任せな奴らだ。


「まあ俺は飛ぶことすらできねえ兵士ですけど……」


 そう卑屈に呟いたとき、近くで大勢の歓声が沸き起こった。


「おおっ! 浮いてるぞ!」

「すげえな!」


 声の方に引き寄せられて行くと、小さな広場に多くの市民が群がっていた。

 皆の視線の先には──宙を歩く少年。


「は!? 何だありゃ」


 よく見ると、細いロープのようなものをピンと張り、その上をゆっくりと歩き渡っているようだった。

 取り囲むように集まって見上げる群衆たちは、少年が一歩進むたびに歓声を上げている。


 近くの露天商たちも、商売そっちのけで彼に釘付けだった。


「魔技ではねえな……」


 俺は群衆から少し離れたところにある石の上に座り、少年のことを眺めた。


 やがて少年はロープの上を渡り切り、華麗に宙返りして地面に着地した。

 その身のこなしは腹が立つほどに軽やかで、騒ぎ立てる観客に紛れて俺もつい声が出てしまった。


 すると、観客たちは各々何かを取り出し、少年の身体に向かって投げつけ始めた。

 ほとんどが硬貨、花、果物──どうやらあれが彼への「賞賛の証」らしい。


 投げつけるってのがまた斬新だ。


「こんな稼ぎ方があるなんて知らなかったな……」


 しばらくすると広場の熱が少しずつ冷めていき、観客たちは満足げに続々とその場を離れていった。


 俺は立ち上がり、投げつけられた「報酬」を拾い集める少年のもとへ歩み寄り、硬貨を差し出した。


「よお天才少年。素晴らしい芸だったぜ」


 少年がこちらを振り返る。

 まだ10歳にもならないくらいだろうか。ぱっちりとした目と赤い頬が幼さを感じさせる。


 しかし彼から返ってきた言葉は、少年の無垢なイメージとは真逆のものだった。


「悪魔族の奴から貰うもんなんて何もねえだよ」


 高い声とは裏腹に、吐き捨てるような言い方。

 明らかな悪意が露呈していた。


 ガキ相手とはいえ直接的な発言に、胸の奥がチクリと反応する。


「……俺が悪魔族だってよく分かったなあ」


「その尖った耳に大量のピアス。誰が見たって明確だでよ」


 少し訛りの入った語尾。どこか地方の出身だろう。


「それから……手に持ってるそのコート。裏返しているが、お前さんダロックの兵士だろ。悪いが僕は遠い村出身だから洗脳教育は受けてねえだよ。地球人は嫌いだが、お前さんを英雄扱いはしねえ」


 少年は、コインを一枚一枚地面に並べて数えながら言った。

 何とも大人びた物言いだ。

 この若さで出稼ぎに来ているのだ。普通のガキとは違うに決まっているが。


「別に英雄扱いなんかしなくていいよ。だから制服脱いでんだ」


 俺はこの舐めたガキに興味がわき、その場にどっかりとあぐらをかいて座った。


「お前、名前は? どっから来たんだ? この稼ぎ方はどこで教わった? それから……あの芸はどこで身に付けた?」


 少年は俺を睨み上げる。いかにも迷惑そうな表情に、俺は妙にわくわくした。


「うるせえ悪魔族だな。僕はこれから次の広場に移動しなきゃなんねえだよ。これやるからよそへ行ってくれろ」


 そう言って、硬貨を一枚投げつけてきた。


「うるせえとは何だ。俺だってお前の客だぜ。お前の綱渡りは見事なもんだった。見入ったよ」


 少年は無視して硬貨を数え続けている。


「俺も昔、ここでひとりで商売を……物売りをやってた。お前を見るとふと思い出してな」


「……ルルナ?」


 少年の突然の言葉に不意を突かれて、俺は目を見開いた。


 ルルナ? 今こいつ、ルルナって言ったか?


「おま……なぜそいつのこと」


「白髪の女の子。その子に殴られただか? めちゃくちゃ細い子じゃないか。それが悔しくて逃げてきただか?」


「どういうことだ!」


 俺は咄嗟に立ち上がり、一歩後ろへ下がった。


「あー、そうだね、悪魔族は飛行系の魔技が使えない。それで仲間に馬鹿にされただね。そんで抜け出してきたと」


 少年は、俺を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。


「──まさかお前……俺の脳内が透視できるのか」


 へらっと笑い、少年は頷いた。


「断片的にだけどね。でもお前さんの脳内には、はっきりとそのルルナって子の姿が貼り付いてる」


 うっと喉が詰まる。


「……そんな魔技どこで覚えた?」


「僕の種族は生まれたときから身に付いてる。黒鳥(ムスダリン)族だ」


──黒鳥(ムスダリン)族……。ルルナが奴隷として働いていた村が確か黒鳥(ムスダリン)村だった。


 よく知らない種族だが、そんな能力があるのか。


 そして、常にあいつのことが頭にこびりついて離れないのが、この少年にはバレてるのか……。


 恥と悔しさが同時に襲ってきた。


「そんな化け物じみた力があるなら、他にいくらでも稼ぎようがあるじゃねえか。もったいねえ」


 自分の気持ちを振り払うように大声でそう言うと、少年はフンと鼻を鳴らした。


「これは僕の力じゃない。僕の()()の力だ。僕が努力をして身に付けたものでもないし、僕にしかできないことでもないでね」


 少年はあくまでも落ち着いた声で、静かにそう言った。


「でも……」


「もったいないのはお前さんだ。種族の生まれによって扱えない魔技に固執して、一体何が得られるだ」


 脳天を突き刺されたような衝撃が走った。


 この少年の言う通りだ。

 俺がやるべきは、できないことをできるようにすることではない。

 この強い魔力と高い身体能力を、もっと得意な魔技に活かして伸ばしていくことだ。


「お前……ガキのくせに的を射たことを言うじゃねえか」


「見下していた奴に見下されることは常だでね」


 少年は嘲笑まじりにそういうと、荷物をまとめて市場の方へ歩き出した。


「お、おいもう行くのかよ。何かの縁だ、名前くらい言っていけよ。俺はロッキーだ」


 呼び止めると、少年は面倒くさそうに振り返った。


「ロッキーだかジャッキーだか知らねえだが……名乗る代わりにひとつ教えておいてやる」


「なんだよ」


「ルルナは相当な傷物だ」


「はあ?」


 突然何を言い出すんだこいつは。ルルナの何を知っている?

 また俺の頭ん中を読んでからかおうってか。


 何か言い返そうとしたが、少年の次の言葉で、俺の頭は真っ白になった。 


「一晩で十数人の大人の男を相手していた。毎晩だ」


──一晩で……十数人の、大人の男……?


「……は? それって……」


「奴隷時代のルルナだでね」


 少年はそういうと、持っていたカバンから何かを一つ取り出し、俺に向かって放り投げた。

 放心状態でキャッチする。


 丸い、黄色い果物だった。

 妙に胸がざわついた。


「ルルナのほうが、お前さんのことを怖がってるだろうな。お前さんと二度と会うことはねえだろが、まあ、ルルナのこと、うまく扱えやあ」


 果実の甘ったるい香りが強く鼻につく。


 一晩で十数人の男──。


 その言葉が、頭の中で何度も反響した。


 俺は結局何も言えず、ただ去っていく少年の小さな背中を見つめることしかできなかった。

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