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9『おはよう、ルルナ』

 ルルナが眠りから覚めたのは、次の日の夜明け前だった。


 ダロックに戻ったあと、居ても立ってもいられなかった俺はルルナが眠る防魔室で彼女を見張っていた。


 すやすやと眠るルルナにつられてうとうとしかけたとき、突如小さなうめき声が聞こえた。


「うぅ……」


 俺は飛び起き、ルルナの顔を覗き込んだ。


「お、起きたのか!」


「うう……あぁ……」


 拘束されたままのルルナは、苦しそうな顔で身体をくねらせていた。

 もうじき意識がはっきりするだろう。

 

 あんなに強力な忘却魔技をかけられて、わずか一日で目覚めるなんて……こいつ、やっぱりイカれてやがる。


「ふ、副団長に報告しねえと」


 俺は防魔室を飛び出し、副団長室へと猛ダッシュした。


「ルヴィ副団長ぉーっ!」


 呼び鈴も鳴らさず、副団長室の扉を勢いよく開け放つ。

 さすがの副団長も驚いたようで、立ち上がって顔をしかめた。


「なんだロッキー……入ってくるときは必ず呼び鈴を鳴らせと……」


「ルルナが!」


 大声で叫ぶと、副団長はぴくりと反応した。


「目覚めたのか?」


「目覚めました! 俺はこれからどうすればいい!」


「妙に早いな……ロッキーの忘却魔技をかけられて一日で回復するとは」


 しみじみと言っている場合じゃねえだろ。


 俺は副団長のもとへ走り寄り、両肩をぎゅっと掴んだ。

 目を丸くした副団長の前髪がふわりと浮く。


「俺はこれから──ルルナの指導者であり教育者なんですよね? 一体ここから俺はどうすればいいんですか」


 興奮している俺を諌めるように、副団長は俺の制服のボタンを留め始めた。


「……ロッキー、制服はきちんと着ろ。指導者としての気品というものがある」


 指導者としての気品……副団長はそんなことまで考えていたのか。


 副団長の顔を見上げる。

 確かに俺は、いつも整然としていて抜かりなく、どんなときも冷静な副団長しか知らない。


 俺もこんな風に──。

 そう思ったところで笑えてきた。なれるわけがねえ。


「……ガキじゃあるめえし。ボタンくらい自分で留めますよ」


 まんまと熱を下げられた俺は副団長の手を軽く振り解き、全開だった制服のボタンをひとつひとつ掛けていった。

 副団長はじっと見守っている。


「ロッキー、計画を話そう」


 制服を整えた俺を確認して、副団長はゆっくりと椅子に腰掛けた。


「そんな悠長な……ルルナはもうじき目覚めるんすよ」


「焦っても仕方がない。お前にはきちんと方針を認識しておいてもらいたい」


 副団長の穏やかな視線の中に、一本だけ鋭い意志が混じっているようだった。


 俺は黙って頷き、背筋を伸ばして胸に手を当てた。


「二つだ」


 副団長は細い指を二本立てる。


「一つ目。今後ロッキーは、一線を退き、ルルナの指導教育に専念する」


「一線を退く……」


 胸の奥をちくりと刺された。

 地球に降り立つことも。

 仲間と肩を並べて戦うことも。

 当たり前のように続くと思っていた。


 ただ、覚悟はしていたことだった。副団長だって、俺を拾ったときには既に地球への出撃兵ではなかった。


 でも……。


「……少し移動するか」


 俺の表情から悟ったのか、副団長はそう言って出口のほうに向かった。


「どこに」


「中庭で話そうか」


 俺は黙って後に着いて行った。


 長い階段を降りて棟の外に出ると、辺りはまだ暗かった。

 足元は見えないが、踏み締める感覚で深く雪が積もっているのが分かる。


「さみぃ……」


 副団長は構わず進み続ける。俺は置いていかれないように雪を蹴り上げるようにして進んだ。


 やがて真っ暗だった視界に、ぼんやりとした暖かな光が現れ始めた。

 それは中庭に近付くほどに明るくなり、足を踏み入れると、眩しいほどに光り輝いていた。


 夜灯花──夜に光る花だ。


「久しぶりにここに来たな……こんなに咲いてましたっけ」


 俺は眩しさに目を細めながら、中庭を見渡した。

 煌々と光を放つ夜灯花たちが、雪に埋もれながらも一面に咲き乱れていた。

 ツンとした甘い匂いが鼻の奥をくすぐる。


 ここに来ると、懐かしいような悲しいような、切ない気持ちが押し寄せてくる。


 俺はたまらず目を背けた。


「……ロッキー」


 副団長は中庭の端の石段に腰掛け、俺に目を向けた。

 夜灯花の灯りが、副団長の顔の輪郭をやわらかく縁取っている。


「一線を退くことについて、お前が辛く感じるのは分かる。しかし、兵士として出撃任務をこなしながら指導者になることは困難を極める」


 俺は小さく頷いた。


「分かってます。俺だって、一生出撃兵としてやってくのが無理なのは分かってた。副団長みてえに指導者になるか、陣営長みてえに兵士の長になるか……どんな形であれ、出世してそうなるのは時間の問題だ」


 俺は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと続けた。


「ただ……俺の班の奴らを突然見捨てることになるってのと……そのときが早すぎたってのは……ある」


 ナイリスたちの顔が頭に浮かぶ。

 まだ兵士となって日の浅い新兵も含め、俺に慕って着いてきてくれた奴らだ。


 そういや、昨日あいつらを失望させたっきりだな……。


「お前の班の者たちには、俺から直接きちんと話をしておく。ナイリスもレオもサムルも、お前を随分と慕っていたようだからな」


 昨日のあいつらの表情を思い出せば、そんなことはなかったような気がするが……まあ、あれは俺が突っ走りすぎたんだが。


「副団長が言うなら……あいつらも納得するか」


「そうなるよう尽力する。今日の夜、ロッキー班は出撃任務があるだろう。それを最後に……ロッキーには、出撃兵を引退してもらう」


 引退。

 全てが終わってしまうような物悲しい響きだ。

 でも、悲観はしない。これは副団長からの俺に対する「期待」なのだ。


「……了解です。その代わり、最後ぐらい派手にやらせて欲しいぜ。前回の任務みてえにヌルい作戦じゃ有終の美は飾れねえよ」


 俺の様子にホッとしたのか、副団長の表情がかすかに和らいだ。


「分かった。お前の身を案じてあまり大きな任務には就かせないようにしたいところだが……今夜は、最後に相応しい任務となるよう調整しておく」


 やっぱり前回の小規模な村全滅任務は副団長の算段だったんだな。


「……で、あと一つはなんですか」


 俺が聞くと、副団長は一呼吸置いてから口を開いた。


「あと一つは、お前に伝えておきたいことだ。……ロッキー、絶対に目的を見失うな」


「目的……」


「以前にも言ったが、ルルナの件については彼女の魔力の強さを見込んでのものだ。彼女はうまく教育すれば、必ずダロックを支える兵士となれる」


 副団長の口調に、いつもよりも感情がこもっていた。


「ロッキー、お前の目的は何だった」


「……地球人を全滅させることです」


 副団長は黙って頷いた。


「ルルナを一人前の兵士に育てることは、その目的に向かっていくための重要な過程なんだ。どうかルルナと過ごす中で、そのことを片時も忘れないでほしい。一時の感情に流されて、ルルナを放棄したり自暴自棄になってしまったりすることは絶対に許さない」


 夜灯花に照らされた副団長の目が、爛と光る。

 俺をまっすぐに捉えたその目が、俺自身を捕えようとしているように感じて……少し怖くて、少し嬉しかった。


「お前の持てるリーダーシップや度量を、今後はルルナに対して発揮してほしいと願っている」


「……レッカレ」


 胸が熱くなる。


 俺は胸に手を当て、副団長をまっすぐに見つめた。


「ロッキー、お前を信じている」


 その一言だけで十分だった。俺は昔から、副団長のその言葉に弱い。


 副団長の表情が少し緩んだのを感じて、俺は全身の力を少し抜いた。

 その場に座りこみ、夜灯花に被った雪をすくいとる。

 刺すような冷たさが掌にじんわりと広がった。


「正直……最初は意味分かんなかったよ。急に呼び出されて、奴隷のガキを連れてこいなんて訳の分からねえ命令されて。連れて帰ってきたかと思えば、記憶を消して俺が指導者? 未だに訳分かんねえよ」


 掴んだ雪を遠くへ投げる。


 副団長は黙って聞いていた。


「それに、副団長がやたらあいつのことを丁重に扱おうとするから余計にムカついた。つい昨日まで、あいつが目覚めたらボコボコにしてやろうってマジで思ってた」


 また雪を掴んで投げる。また掴んで投げる。

 宙に散る雪が、夜灯花の灯りに照らされてキラキラと輝いた。


「でも昨日、むしゃくしゃしてエルスガルドまで行ったんだが……そこでルルナの奴隷時代を知ってるって奴に会ったんだ」


 視界の端で、副団長の身体がかすかに反応するのが見えた。


「あいつ……慰み者をやらされてたみたいでな」


 自分で言いながら、ため息が出た。


「同情したよ。俺が世間知らずだったのかもしれねえが、奴隷なんてみんな肉体労働だけやってんだとばかり」


 ルルナと初めて対面したときのことを思い出す。


「あいつ、奴隷市場でひどく怯えてたんだ。俺を攻撃したのも、大人の男が怖かったからなんだろうな」


 首筋に残る傷に触れた。

 傷はもう塞がっているが、まだ痛みがあるように感じた。


 よほどの覚悟がない限り、あんなガキが大人の男にこんなに深い傷を与えられるはずがない。


「だから……俺は今、あいつをボコボコにしてやろうとかは思ってねえ。ただ……どう扱えばいいのか──」


 助けを求めるように副団長のほうを振り返った瞬間、俺は次の言葉を失った。


 副団長は膝に肘をつき、握った手を額に押し当てていたのだ。

 顔は見えないが、肩が僅かに震えている。


 こんな風になっている副団長を初めて見た。


「副団長……?」


 俺が呼びかけると、副団長はハッとして体を起こした。


「ああ、すまない……少し思うことがあってな」


 やけに動揺しているようだった。


 さすがの副団長もショックを受けるんだな……。

 この人にもそういう同情心というか、子供への保護意識というか、そういうのがあったのか。


 俺は妙に感心してしまった。


「いや……俺の方こそ一方的に話してすみません」

 

 副団長は小さく頷き、ゆっくりと立ち上がった。そして夜灯花を一輪抜き取る。


「そろそろルルナが目覚めた頃だろう。今後はロッキーに一任するつもりだが、初めは立ち会おう。行こうか」


「はい」


 俺も立ち上がり、副団長の後ろを着いていく。

 尻が雪で濡れてしまったが、そんなことがどうでも良かった。

 思い出したように、緊張感が全身を脈打たせていた。


 地下への暗い階段を一段一段降りていく。副団長が持つ夜灯花の灯りがぼんやりと足元を照らしている。

 ルルナのいる防魔室に近付くにつれ、俺の心臓はバクバクと暴れ回った。


 苦しいほどの鼓動がピークに達したとき、防魔室の前にたどり着いた。


「ロッキー、お前が先に入れ」


「待ってください副団長……警戒したほうがいい。俺は今のところ、あいつと対峙するたびに襲われてる」


 奴隷時代の恐怖が原動になっている可能性が高いとはいえ、記憶を消した今、そのトラウマが深層心理から完全に消え去っているとは限らない。


「どちらにせよ今後お前が手懐けなければならない相手だ。今この扉を開けないことの理由にはならない」


 副団長は言いながらドアノブに手をかけた。


「あっ、副団長、待っ……」


 俺の意思とは無関係に開いていく扉。俺は咄嗟に目を背けた。


 副団長の足音がカツカツと部屋へ入っていく。


「おはよう、ルルナ」


 副団長の穏やかな声掛けを聞き、俺は恐る恐る部屋の中に目を向けた。


「……は?」


 目の前に広がる光景に、俺は目を疑った。

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