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10『先生と呼べ』

10『先生と呼べ』

「お前……どうやって拘束具を外した!」


 俺の声が暗い廊下に響きわたった。

 既に防魔室に足を踏み入れている副団長が驚いたようにこちらを振り返る。


「なんで拘束具が外れてんだよ……」


 情けなく声が裏返る。


 防魔室の光景は異様だった。


 部屋の真ん中で地べたにへたり込んでいるルルナ。

 天井から力なく垂れ下がった鎖。

 そして鎖の先についている拘束具は、叩き割られたように砕けている。


 俺の方こそその場にへたり込みたかった。


 ルルナがやったに違いない。

 あの拘束具をボロボロにするなんぞ、魔獣か化け物がすることだ。


「ロッキー、早く部屋に入れ」


 副団長の声にハッとする。

 俺は急いで防魔室に入り、扉を勢いよく閉めた。


「お前! 逃げようったってそうはいかねえ。ちょっとでも変なことしてみろ。容赦なくその場にねじ伏せるからな!」


 まさか俺が記憶を消したってのに、こんな凶暴性が残ってしまうとは……くそ。

 こんなやつを指導教育なんてできんのかよ。明らかに無謀だ。危険すぎる。


 もう一回忘却魔技をくらわすか?

 いやでも魔技に魔技を重ねるのは──。


「ロッキー! ルルナを見ろ」


 ハッとする。


「え?」


「ルルナをよく見ろ」


 副団長の言う通りにルルナを見た。


 床にまで這うボサボサの白髪。

 ボロボロの布から伸びる痩せ細った白い腕。

 折り曲げた膝は骨に皮一枚貼り付けたようだ。

 そして、幼く丸みを帯びた頬は淡く火照り、大きな黒い瞳からポロポロと涙を──。


「お前……」


 心のトゲがスッと抜けたようだった。


 今のルルナからは、何の敵意も反抗心も感じ取れなかった。


 俺を引っかき、俺に頭突きをし、拘束具をぶっ壊した「凶暴なルルナ」は、既にここにはいなかった。


「お前、普通のガキになっちまったのか……」


 大粒の涙を次々と頬に伝わせながら、ルルナは俺のことをまっすぐに見つめている。

 まるで親に助けを求める小さな子どものようだ。


「ルルナ。怯えなくていい。君は近くで倒れていたんだ。私たちはそれを助けてここに連れてきた」


 副団長がルルナの肩に手を置いて言った。


 なるほど、そういう設定にするんだな。


「私たちは君の味方だ。怖くない」


 ルルナは副団長の顔をじっと見つめ、副団長の腕のあたりをぎゅっと掴んだ。


 その仕草が何とも言えずガキらしかった。


「ロッキー、早くこっちにきてルルナに質問をしろ」


 この「質問」とは、ルルナがうまく忘却魔技にかかっているかを確認する作業だ。

 俺の魔技精度の答え合わせみたいなものになる。


 俺はゆっくりとルルナに近付き、向かい合って地べたに座った。

 ルルナの身体は、今までよりも余計に小さく見えた。


「お、おっす……」


 ぎこちない挨拶しかできない。こんな姿を副団長に見られていることが恥ずかしい限りだ。


「えーと……俺の名前はロッキー。んで、この人はルヴィ副団長……。お前の名前は?」


 あーっ間違えた!

 副団長がルルナに向かって何度も名前呼んでただろ!

 今さら聞いてどうする!


 副団長が苦笑いしているのが見えた。

 今からでも質問を変えて──。


「ルルナ……」


 少女から、か細い声が漏れた。


「あ……」


「私の名前はルルナ」


 奇声を上げて襲ってくるルルナのイメージが、一気に崩れた。


「そ、そうか。よろしくなルルナ!」


 副団長も小さく頷く。

 言語は忘れていないという証明もできた。

 嬉しくなった俺は、テンションを上げて質問を続けた。


「よしルルナ、自分の年齢は分かるか?」


「7歳……」


「7歳か! 俺の村じゃもう一人前の年齢だな。じゃあ、性別は?」


「女の子……」


「女の子だな! じゃあこれが何色か分かるか?」


 俺は着ている制服の胸章を指差した。


「黄色……」


「正解だ!」


 よし、順調だ。


 ここまでは「消していない記憶」の確認作業だ。

 この部分まで忘れさせてしまうと、生活の基盤さえも失ってしまって厄介になる。


 問題はここからだ。


「よし、じゃあ──」


 俺は改めて座り直した。

 ルルナは相変わらず目に涙を溜め、俺の目をじっと見つめている。


「ルルナの出身地はどこだ?」


 涙の後遺症で小さなしゃっくりをこぼしながら、ルルナは首を傾げた。


「出身地って分かるか? 生まれ育った場所だぜ」


「……分からない」


 ──よし。

 俺は大きく頷いた。


 ここの記憶が消せているなら、結果は見えたようなものだ。


「友達はいるか?」


「……分からない」


「魔技は使えるか?」


「まぎ……?」


「じゃあ最後に──ルルナはここにくる前、何をしていた?」


 トドメの質問だ。


 ふいに綱渡りの少年の言葉を思い出す。


── 一晩で十数人の大人の男を相手していた。毎晩だ。


 何度思い出しても、胸の奥がぎゅっと掴まれたような苦しさが押し寄せる。


 覚えていてくれるな。


 願望も込めて、俺はルルナの返答を待った。


「……覚えてない……」


 ほっと胸を撫で下ろす。


 副団長のほうに目をやると、彼も目を閉じてふうと息を吐いていた。


「……ありがとう。これで質問は終わりだ」


 俺はルルナの頭にポンと手を置いた。

 細い髪が絡まり合い、指にギシギシと引っ掛かる。


「ルルナ。ここはダロックといって、悪者を倒す強い兵士が集まる場所だ」


 ガキに分かるように説明するにはこれが限界だ。

 だんだんと分かっていけばいい。


「ルルナはここで、強い兵士なるんだ。そのために、今日から俺がお前の先生になる」


「先生……?」


「そうだ。親みてえなもんだと思ってくれてもいい」


「親……」


 ルルナの瞳が少しだけ揺れた。


「親……親……」


 何度もその言葉を繰り返す。


「そうだ、親だよ。お父さんでもいいしお母さんでもいいし、なんせ俺はこれからルルナの──」


 言いかけたそのとき、ルルナの唇がぶるぶると大きく震えた。

 続いて肩が震え出す。

 伏せたまぶたも震え出す。


 そして──。


「ああぁぁっ!!!」


 ルルナの大声に、驚いて手を離した。

 突然泣き出してしまったのだ。


 おいおい急に何なんだ……。


 壊された拘束具が目に入り、俺は身構えた。


「おかあさあぁん!!うわあぁぁぁん」


 お母さん? お母さんって言ったか?


「お前まさか母親の記憶が……」


「お母さん! お母さんに会いたいよーっ」


 俺は完全に無視で、ルルナはなおも大声で泣き続ける。


 おいおい……母親の記憶が残ってるんじゃ俺の忘却魔技は意味ないじゃねえかよ……。


 生活に必要な記憶のみ残し、それ以外の記憶は全て消す。これが今回の目的だった。

 複雑な調整がいるから、忘却魔技が得意な俺が選ばれたってのに……おい、まさか失敗してしまったのか……。


「お母さあん! お母さあーん!」


 狂ったように泣き叫ぶルルナ。

 それを呆然と見つめる俺。


「ロッキー」


 肩をポンと叩かれた。副団長だ。


「お前はこの状況をどうする」


 そう言い残し、副団長は焦る素振りも見せずに部屋を出て行ってしまった。


 追いかけようとしたが、思いとどまってその場に座り直す。


 お前はこの状況をどうする──。


 試されているんだ。

 俺がルルナの指導者として相応しいのかどうか。


 俺は、涙をボロボロと流し、食われてしまいそうなほどに口を大きく開けて騒ぐルルナをじっと見つめた。


 ガキそのものだ。


 ガキはすぐに泣く。泣けば誰かが守ってくれるからだ。


 そして、守ってくれる人がいない環境に置かれた途端、自分の身を自分で守ることもできず、ただただ死んでいく──。


 気付いたら、俺はルルナを抱きしめていた。

 制服のコートも脱ぎ捨てていた。


「ルルナ。泣くな」


 驚いたのか、ルルナは声を上げるのを止めた。


「親と離れてひとりぼっちになったんだもんな。そりゃ不安だろうよ。お前まだ7歳だもんな」


 できるだけ優しい声で語りかけた。

 ルルナがしゃくり上げるたびに、胸に振動が伝わってくる。


「その気持ちは痛いほど分かるぜ。俺もそうだったから……」


 時間をかけて、ルルナの体温が伝わってきた。

 やっぱりこいつはただのガキだ。体温が高い。


 この湿った背中。懐かしいな。


「でもな、ルルナ。ひとりぼっちになっても、必ずお前を導く恩人ってのは現れる」


 指が通らない髪を何度も何度も撫でた。

 ルルナの呼吸が少しずつ落ち着いてくる。


「お前を守れるのは、何も親だけじゃねえよ」


 頭に浮かぶのはただひとりだった。

 あの日、俺を拾った副団長も同じようなことを言った気がする。


 ルルナにとっての俺が、俺にとっての副団長みたいな存在になることは──さすがにないだろうが。


「うぅ……お母さん……」


 最後の声を振り絞ったような、消え入りそうな声でルルナがこぼす。


 こいつ、そんなに母親の記憶が鮮明なのか?

 奴隷をしていたようなガキだ。母親なんてとっくに死んでるかもしれねえ。


 それで俺が守ってやるって、親の代わりになってやるって言ってんのに、それでもなお本当の母親を求めんのか?


 水面の泡が浮いてくるように、小さな苛立ちがふつふつと湧き上がる。


「お母さん……」


 そんなに母親がいいなら、さっさと母親のとこに行けばいいじゃねえか! すでに屍かもしれねえけどな!


 そんな言葉をぐっとこらえ、同時にルルナをぎゅっと抱きしめた。


「……いいぜ。俺が母ちゃんに会わせてやるよ」


 自分でも驚くほど、口から出まかせだった。


「え? ほんと……?」


 俺の顔を覗き込むルルナの目は、涙と期待でキラキラと輝いていた。


「ロッキー先生を舐めんじゃねえ。俺の手にかかれば、お前の母ちゃんのひとりやふたり一瞬で見つけてやるよ」


「本当に……?」


 まだ信じきれていない顔だ。


「あぁ。俺は嘘はつかねえ!」


 少し間が空く。

 また泣き出すかと身構えたそのとき、ルルナはぱっと顔を明るくして、にっこりと笑った。


「やったあ! お母さんに会えるーっ!」


 細い身体でぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ。


 初めて見たルルナの笑顔。

 先ほどまで不幸な顔を貼り付けていたとは思えないくらい、ガキらしい無邪気な笑い方だ。こちらまで自然と頬が緩む。


 俺のその場しのぎの嘘については一旦置いておくとして……。


「よし! 機嫌が治ったんなら、俺の話を聞け! いいかルルナ! 俺のことはロッキー先生と呼べ!」


「ロッキー先生!」


「そうだ! 先生の言うことは絶対だぜ! 分かったな!」


「分かったーっ!」


 ルルナが明るい声を部屋に響かせ、一際高く飛び跳ねたときだった。


「ロッキー様」


 部屋の扉の向こうから声がした。


「ナリノか」


 扉を開けると、補助団員のナリノが恭しく佇んでいた。


「少女の泣き声が止んだら部屋に入れと、ルヴィ副団長様が」


 ナリノは、温かい飲み物の入ったカップと、ヘアブラシやタオルが入ったカゴを持っていた。


「ルルナ様ですね。わたくし、補助団員のナリノと申します。本日はルルナ様の身なりを整えるために参りました」


 ナリノは、不思議そうな顔をしているルルナにカップを手渡した。


「飲めルルナ。お前ここにきてから何にも飲み食いしてねえだろ」


 俺が声かけると、ルルナは素直にカップに口をつけた。


 全く、副団長の気遣いには頭が上がらねえ。

 ルルナを言いくるめるのに必死で、こいつの身体のことなんて何も考えちゃいなかった。


「ロッキー様、ルルナ様の髪をお切りしましょうか? 随分と伸びているようです」


「あぁ……そうだな。戦闘のときも髪は短い方が──」


 言いかけて止まった。


「いや、やっぱ切らなくていいや。整えるだけにしてやってくれ」


「承知いたしました」


 床に座ってカップの中を覗き込むルルナの背後に回り、ナリノは髪をブラシでとかしはじめた。

 引っ掛かるたびに、ルルナの頭が後ろに引っ張られる。


 ああ、いいな。この光景。なんだ。懐かしいな。


 俺はふうっと息をつき、その場に座り込んだ。

 思えばここ数日間、ルルナに感情を振り回されっぱなしだった。


 ここにきてルルナの笑顔を見られて、ようやく一段落ついたような気がする。


 俺は足を前に投げ出し、姉妹のような二人をぼんやりと眺めていた。


「ルルナ様、先にお着替えをいたしましょうか」


 ナリノはそう言って、ルルナが纏っているボロ布に手をかけた。

 そして俺をキッと睨む。


「ロッキー様。失礼ですが、あちらを向いていただけますか?」


「あっ、え? あぁ、そうだな……出て行っておくよ」


 ナリノにこんな目を向けられるのは初めてだ。

 俺は慌てて立ち上がり、部屋の扉を開けて外に出た。


「あっ」


 驚いて声が出た。

 部屋の前の廊下に副団長が立っていたのだ。


「副団長いたんですか」


「よくルルナの感情をコントロールしたな。さすがロッキーだ」


 なんだ、聞いてたのかよ……。


「まあ、かなり苦し紛れですけど……」


「方法はどうでもいい。あの場面では、ルルナを激昂させず落ち着かせることが目的だった。お前はその目的を果たしたんだ。賞賛に値する」


 薄暗い廊下でも、副団長の目が俺をまっすぐに見据えているのが分かった。


「ありがとうございます……でも、これからどうすれば。あいつ、母親の記憶を残したままです。これでは今後の計画に支障が」


「……確かに、母親に守られる温もりを知っているのとそうでないのとでは、兵士になる覚悟を形成する過程で違いが出てくる可能性はある。ただ──」


 副団長が言葉を切ったと同時に、防魔室から少女ふたりの笑い声が微かに漏れてきた。


「ただ?」


「だからと言って、ルルナにもう一度忘却魔技をかけるわけにもいかない。ならば今の状況を利用するほかないだろう」


「利用……」


「ルルナの母親への愛情や恋しさを利用するんだ。さっきお前がやったように」


 副団長が、この上なく残酷なことを言っているように思えた。でも確かに俺がさっきルルナについた嘘は、ルルナ自身の寂しさや苦しみの「利用」に過ぎないのだ。


 身体がずんと重くなる。


「ロッキー、お前には最近無理をさせすぎてしまったな。今晩の地球出撃任務に備えて、少し寝ろ。お前が任務から帰ってくるまで、ルルナは一旦俺が預かる」


 副団長は俺の方にポンと手を置いた。


 そうだ、俺は今晩、兵士として最後の任務に行くんだ。

 それにしては身体が疲れすぎている。最後にゆっくり休めたのはいつだ?


「ロッキー」


 副団長の低い声が廊下に響く。


「はい」


「最後の任務だ。必ず成功させて、必ず帰ってこい」


「……レッカレ」


 反射的に返事をした。

 しかし副団長の目を見て、ふと胸がざわついた。


 今まで一度も向けられことのない目だった。

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