16『雪葬』
窓の外にちらちらと雪が舞い始めた。
「寒いっ」
隙間から入ってくる風の冷たさにきゅっと肩をすくめる。
「ねえ、雪遊びしたいなあ」
そうつぶやくと、後ろから呆れたような声が返ってきた。
「ルルナ様、雪遊びはさっき散々いたしましたでしょう。風邪をお引きになられますよ」
「でも私、もっと雪遊びをしたいな。ナリノお姉ちゃんもそうでしょ?」
「明日も明後日も雪は降ります。今日はもうやめておきましょうね」
そう言いながら、椅子に腰掛けたナリノお姉ちゃんは目を細めて笑う。
昨日の朝からずっと退屈だった。
今日の朝は少しだけ雪遊びをしたが、それ以外はずっとこの部屋に閉じ込められている。
ナリノお姉ちゃんはご飯を持ってきてくれたり、たまに部屋に来て髪をとかしてくれたりするけど、またすぐにどこかへ行ってしまう。
部屋を出ようと試してみたものの窓にもドアにも厳重に鍵がかかっていて出られない。
ベッドの上で寝転がってお母さんのことを考えるか、カーペットの模様をなぞって迷路遊びをするか、そんなことばかりしていた。
ここに来る前はもっと楽しいことをしていたような気がする。
「楽しいことがしたいなあ。何か面白いところに行きたい!」
床にごろんと寝っ転がり、手足をじたばた動かした。
体力が余って仕方がない。
「ロッキー様が戻って来られるまでは大人しくしていましょう」
ナリノお姉ちゃんはそればっかりだ。
退屈すぎて全身がむずむずと疼く。今すぐにでも思いきり駆け出したい。
「ナリノお姉ちゃんはどうせすぐ出て行っちゃうでしょ。私だけこんなところに閉じ込められて、嫌んなっちゃう!」
右に左にゴロゴロと転がりながら叫ぶ。
するとナリノお姉ちゃんがゆっくりと立ち上がった。
「どこか行くのっ?」
期待を込めて見上げると、ナリノお姉ちゃんはにっこりと笑って言った。
「それではルルナ様、面白いものを見に行きましょうか」
「面白いものっ? 行くっ!」
私は跳ねるように立ち上がり、ナリノお姉ちゃんの腕にしがみついた。
わくわくで胸が高鳴る。
「面白いものってなあに?」
「雪よりも、魔力よりも、もっと面白いものです」
「わあっ! 楽しみ!」
そのとき、お姉ちゃんが私の腕を一瞬だけギュッと握った。
驚いてお姉ちゃんの顔を見つめる。
「ルルナさん。このことは、絶対に──内緒ですよ」
お姉ちゃんのいつもの優しい表情が、一瞬裏返ったようにかげっていた。
⭐︎⭐︎⭐︎
死を目の当たりにしたことは、これまで数えきれないほどあった。
幼いときから幾度となく人を殺したし、仲間や身内が目の前で殺されることもあった。
でも──。
「慣れねえな……」
また雪が降り始めた。
雪の上に板一枚挟んで横たわるサムルを見つめる。
撃たれて死んだってのに、いつもと変わらない優しい顔で眠っている。
本当に死んだんだな。
心のどこかでまだ生きていると信じていたからこそ、まだこの事実を受け入れられない自分がいた。
「サムル……」
冷たい風が吹きつけ、頬がズキズキと痛んだ。
副団長に殴りつけられ半ば無理やりルミリュマへ帰らされたのがもう5時間ほど前だ。
5時間前、様々な感情がぶつかり合い、もはや何も感じないまま気付けば雪葬所にいた。
ダロックの敷地の隅にある雪葬所は、昼でも薄暗い。俺が辿り着いたとき、サムルはすでにここに寝かされていた。
「サムル!!」
駆け寄り顔を覗き込むと、紛れもなくサムルであるということが確認できてしまった。
それからずっとここに座りこんでいた。
サムルの顔を見たり、その向こうにあるデカい木の木目を目で追ってみたりして、サムルと初めて会ったときのこととか色々思い出したりしていた。
2時間ほどが経った頃、俺の隣に陣営長が立っていた。俺たち出撃兵の総指揮官だ。
サムルの死を聞きつけ弔いに来たのだろう。
俺は立ち上がる元気もなく、挨拶も敬礼もなしに、ぼーっと宙を眺めていた。
普段なら懲罰案件だ。
「ロッキーお前、部下を亡くすのは初めてだったか」
いつになく気を遣った口調で、陣営長が俺に話しかける。
俺は小さく頷いた。
「そうか」
陣営長はそれ以上何も言わず、ただサムルの胸にしばらく手を置いていた。
「葬式は今夜だ。ルヴィ副団長と俺とお前で執り行う」
それだけ言い残し、陣営長は去って行った。
アイツからしたら部下とはいえ兵士のひとりやふたり任務で亡くすのなんて普通のことなんだろう。
血も涙もねえとは思わない。
そうでもないと陣営長なんかは務まらないんだろうからな。
膝の間から見える灰色の雪に目を落とす。
サムルって何歳だったか。
入団してまだ間もないから、16くらいか。
俺にも16のときがあったのに、16のときの自分よりも今のサムルのほうがずっとずっと若く幼く感じる。
もちろんサムルがその覚悟も持って入団してきたのは分かっている。
俺だって敵に殺される覚悟を持って兵士になったし、出撃任務のたびに今日死ぬ気でいる。
でも、追いつかねえよ。
俺が指揮を取っていなかったら、例えば仮にナイリスが班長だったら──。
「くそっ! 何でだよ! 何でっ……」
地面を足で何度も蹴り付ける。
その度に手応えのない雪が弾け散るだけだった。
俺はその場に寝転がり、現実逃避をするように目を瞑った。
そして、帰還から5時間が経った。
顔に雪が積もり、髪は体温で溶けた雪でしっとりと濡れている。
ザク、ザク、とゆったりとした足取りで誰かが近づいてきた。
足音は俺の足の先の方で眠るサムルのそばで止まった。
上半身を起こす。
制服の表面を雪がザラザラと滑り落ちていく。
「誰だ?」
そこにいたのは、長い白髪を低い位置で束ねた背の低い老人だった。黒いカーテンのような布を身に纏っている。
「お前さんは初めてみる顔じゃな」
老人はしわがれた声で俺に向かってそう言った。
すぐに俺からは目をそらし、サムルの横に座って身体に積もった雪を手で払うと、彼の胸に両手を当てた。
そして何かぶつぶつと唱えながらサムルの胸元に指を突き立て──その指をゆっくりと沈み込ませた。
老人の指がどんどんサムルの体内へ入っていく。
「何して……」
あれは地球で副団長にされていたことと同じだ。
側から見りゃあんなことになっていたのか。
「ジジイもしかして、操魔師か」
葬式や契りの儀式など、あらゆる儀式を司る者──存在することは知っていたが、実際に出会ったのは初めてだ。
身なりからしても、操魔師なのは確実だろう。
「儀の最中に喋るものではない」
老人はサムルの顔をじっと見つめ集中しているようだった。
俺もつられて息を止め、その様子を見守る。
やがて老人はサムルから指を引き抜くと、その指を小さな瓶に差し込んだ。
指先から青い煙のようなものがゆらゆらと瓶に入っていき、ぬるりと充満していく。
「すげえ……」
魔力ってあんな色してるのか。
何をしているのかは分からないが、見入ってしまった。
「サムル様の魔力は、まだ温かい」
老人は瓶に蓋をすると、立ち上がって俺を見た。
「何だよ」
「金髪の青年よ、ボイトルの使徒様を担ぎ上げてくれぬか」
「ボイトルの使徒?」
俺が首を傾げると、老人はサムルに目を向けた。
「サムルのことを言ってんのか」
「彼はボイトルの使徒として生まれ変わるのじゃ」
「はー。そういう教えだったな」
適当に受け流し、俺は言われた通りサムルの身体を持ち上げた。
「あれ? 軽くねえか」
サムルの身体は幼い子供のようにひょいと持ち上がってしまった。
中身が空っぽになっちまったようで、不意に寂しさが込み上げてくる。
「さっき魔力を抜いたからじゃな」
なるほど、胸に指を差し込んでいたのは、そこから魔力を抜いていたのか。
老人は掛け声を上げながら、サムルが寝ていた板を持ち上げた。
そこには、大きな雪の穴が四角く深く掘られていた。
降り続く雪によって押し固められ、溶けることがなかったかなり昔の雪の層まで届いている。
「この穴にボイトルの使徒様を入れてくれぬか」
天使族の葬送。雪の中に身体を還し、戦いの神ボイトルの使徒として送り出す。
年がら年中ずっと雪が降る街だからこその葬り方だ。
「分かったよ」
サムルを足元からゆっくりと穴へ入れていく。
──ここに埋められたら、二度とこいつに会うことはできねえんだな。
そう思いながらも、弔ってやらねえとという義務感でサムルを穴の底へ寝かした。
「サムル」
薄暗い雪の部屋に眠る部下に声をかける。
ひょっこり起きてきそうなほど穏やかな表情。
「操魔師の爺さんよ、もう雪で埋めちまうのか」
老人は落ち窪んだ目を小さく見開いてから、ゆっくりと首を横に振った。
「埋めるのは葬式が終わってからじゃ。お前さん、葬式は初めてかね」
初めてってわけじゃねえが──。
そう言おうとしたとき、老人が何かに気付いたように頷いた。
「ああ、お前さんは悪魔族かね」
老人の目は俺の耳を捉えていた。
尖った耳とピアス。
俺が悪魔族であるということは耳を見れば一目瞭然だ。
「ああそうだよ。悪魔族で悪かったな。悪魔村じゃあ風葬だし、そのボイトルって神もいねえ。死んで生まれ変わりがあるなんて、呑気な天使族の考えそうなことだぜ」
老人の信仰心を逆撫ですることを恐れず、吐き捨てるように言った。
しかし老人の次の言葉は、俺の思っていたものとは違った。
「悪魔族であることが悪いと思っているのは、お前さん自身じゃないのかね」
その言葉を理解するより先に、頭を掴まれて激しく揺さぶられたような重い感覚が全身を走った。
「あ……」
何か言い返そうとしたとき、向こうから人影がふたつこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
副団長と陣営長だ。
副団長の顔が鮮明に見えるほど近づいてきた頃、俺の頬がまたジンジンと傷み始めた。
「ルヴィ副団長様。そしてピックス陣営長様。この度はサムル様の誉れ高い殉職、心より尊敬をいたします。皆様の大切なサムル様を、私ギュラが、責任を持ってボイトルのもとへお還しいたします」
老人が胸に手を当て、二人に敬意を示す。
俺は副団長と目を合わせないように、陣営長の隣に立った。
「ギュラ操魔師。本日はよろしくお願いいたす」
「ええ。それではこれよりサムル様の葬儀を執り行います」
老人が天を仰ぎ、何かぶつぶつと唱えたその時だった。
「あれ……雪が止んだ……」
さっきまで止めどなく降り続いていた雪が、示し合わせたかのようにぴたりと止んだのだ。
まさかな。
操魔師であって、操天師──ってわけじゃねえもんな。
その後、老人はサムルの眠る穴に向かって何かを唱え続けた。
ただその光景を眺めるばかりで、俺の知っている悪魔村での葬式とは似ても似つかなかった。
途中、何度か副団長の様子を窺った。
陣営長を挟んで副団長の方を横目で見ると、彼はいつもの如く無表情だった。
目線の先にはもちろんあの老人がいるのだろうが、その先にサムルの姿を見ているようには感じられなかった。
何というか──サムルを「想って」はいないように見えた。
当然と言えばそうなのかもしれない。副団長とサムルに直接的な関係はなかったし、直接二人きりで会話をしたことすらなかったかもしれない。
──俺の葬式でも、副団長はあんな顔でいるんだろうか。
俺だけは特別だっていう思い込みは、きっと本当に思い込みだ。
サムルが死んだことがそれを証明してしまった。
「ロッキー」
陣営長に名前を呼ばれてハッとする。
「雪をかけるぞ」
「レッカレ……」
サムルを埋めるときが来た。
穴を覗き込む。
ここに全員で雪をかけ、サムルに永遠の別れを告げるのだ。
「それでは雪をおかけになってください」
老人の言葉で副団長と陣営長が雪を掬い上げたとき、俺は慌てて声を上げた。
「ま、待ってくれ。夜灯花を添えてもいいですか」
俺の村では、夜灯花を逆さにして供えることが最高級の弔いだった。信仰には縁のない俺でも、仲間が死んだときは必ず夜灯花を供えて葬送していた。
「夜灯花……ですかね」
老人が困惑した声を漏らす。
「俺の村じゃこれがいちばん……」
「ロッキー」
副団長の刃のように冷たい声が俺の言葉を遮った。
「やめろ。サムルは天使族だ」
鋭い目つき。
「……はい」
殴られて以来初めての会話だった。
俺はその場にしゃがみ込んで頭を抱えたくなった。
副団長の言葉が、悪魔族を否定しているように聞こえてしまった。
違う。副団長はそういう意味で言ったんじゃねえ。
サムルは天使族だから、天使族の葬式をしてやらなきゃいけない、悪魔族の風習を持ち込む場じゃない──そういう意味だ。
分かってる。
でも、サムルの顔に雪をかけているそのときも、俺の頭の中は副団長に殴られたときの衝撃と、さっきの言葉のことでいっぱいだった。
サムルの最後の姿を惜しむことすらできねえほど俺は副団長のひとつひとつの行動や言動に弱い──。
「ルヴィ副団長。代表してサムル様の魔力をお取り入れください。これでサムル様の魔力は引き継がれてゆきます」
老人はそう言うと、副団長にさっきサムルから抜いた魔力を入れた瓶を渡した。
副団長は迷いのない手つきで瓶の蓋を開け、口元に寄せてゆっくりと息を吸う。
瓶の中の青い魔力が副団長の口の中に吸い込まれていく。
思わず息を呑んだ。
サムルが、副団長の中に入っていく。
そんなふうに見えた。
こんな儀式があるなんて知らなかった。
「──それでは、サムル様が戦いの神ボイトルの使徒となり永遠に戦士としての誇りを持たんことを」
老人の締めの言葉で、葬式が終わった。
不自然に四角く縁取られたサムルの雪の棺には、名前が刻まれた棒が深く刺された。
──終わった。
俺の部下はこれで「死んだ」。
まさか実は生きていても、こんな深い雪に埋められたんじゃ出てくることは不可能だろう。
二度とサムルと会うことはできないのだ。
これで正真正銘、終わったのだ。
「ロッキー様とおっしゃるのですな。契りの際はぜひ私めをお呼びください。ギュラと申します」
老人はそう言うと、俺からの返答を待たずに去って行った。
横一列に並んだままの俺たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
また雪が降り始める。
一粒の雪が俺の鼻先に落ちてきたとき、副団長が低い声で言った。
「ロッキー、お前は今夜から3日間、懲罰房だ」




