エピローグ
ガンタンの目は湖に向いていた。
「メイのために、ここにはもどらないつもりでいたんだが……」
「そんなあ。だってガンタンさんがいないと、メイはなんにも食べないんですよ」
「そのとおりなんだがな。メイには自分の力で生きてほしかったのさ。ところがあとになって、ひとつ思い出したのさ。メイのヤツ、水がからっきしダメだってことをな」
「どういうことですの?」
「ヤヨイさんから聞いてただろ、前の湖には魚がいることを。だからメイと別れるときにな、腹がへったら湖で魚をとれと言ったんだ。だがな、水が大の苦手なメイにとっちゃ、こいつは無理な注文じゃねえか」
「それで心配になったんですね」
「ああ、思ったとおりだった。魚をとるのは、やはりメイには無理だったんだ」
「もう少しもどるのが遅かったら、メイ、ほんとに死んでたかも?」
ヤヨイがメイを見やる。
そのメイ、うっすらと目を開けていた。
「メイ!」
ヤヨイが顔をほころばせる。
「オッカアー」
メイはガンタンに向かって両手を伸ばした。だっこをしてくれとせがんでいる。
「おう、目をましたな」
ガンタンはメイを抱き上げてやった。
「オッアー。ドコニモ、イカナイデ」
メイがガンタンにしがみつく。
「ああ、どこにも行くもんか」
「ホントニ、ホントダネ」
「長いことひとりにして悪かったな。これからはずっといっしょだ」
「ワーイ。ズット、イッショダ」
山荘での一週間。
ひとりぼっちだった、メイ。
ずっとおなかをすかせていた、メイ。
夜の闇に、風の音に、おびえていた、メイ。
どれほど淋しく、不安であったかしれない、メイ。
さまざまなことを思い、ガンタンは目がしらを熱くしたのだった。
「オッカアー、オイラ、ハラヘッタ」
メイが腹をなでて食べ物をねだる。
「まあ、あい変らずね」
ヤヨイはつい笑ってから、さっそくセンベイの袋を開けてやった。
「ワーイ。センベイダ、センベイダ」
メイがバリバリと、すごい勢いでセンベイをかじり始める。
「ガンタンさん。わたし時々、メイに会いに来てもいいかしら?」
「あたりまえじゃねえか。ここはヤヨイさんとこの山荘なんだぜ」
「ありがとうございます」
「メイには自分でエサをとれるよう、これから教えようと思ってるんだ。それを手伝ってもらえると、オレとしてもありがてえんだが」
「もちろん喜んでお手伝いしますわ」
「メイのヤツ、いつか野生にもどるかもしれん。そんときは自分でエサをとれなきゃ、ここじゃ生きていけんだろうからな」
ガンタンの目が淋しそうに湖に向く。
「でも野生にもどったときは、メイと別れることにもなるんですね」
「だろうな」
「これからメイ、どう成長していくのかしら。それに寒い冬、乗り越えられるかしら?」
「できるだけのことはしてやるさ。それでダメならしかたねえ。とにかく今は、ここで自由に遊ばせてやりてえんだ」
「そうですね」
ヤヨイは思った。
野生にもどろうともどるまいと、ここでメイをずっと見守ってやろう。それがメイを誕生させた責任、自分たちが犯した罪の償いなんだと。
「じつはゲシロウとトウジも、ここに来ることになってるんだ。まあ、自由の身になってからだがな」
「じゃあゲシロウさんたち、ガンタンさんが生きてることを知ってるんですね?」
「ああ、オレが連絡したからな」
「いつ、それにどうやって?」
ヤヨイにはおどろくことばかりだ。
「ここに来る前、二人のいる警察署に寄ったのさ。もちろん警官に変装してだがな」
「よく気づかれずに」
「警察では、とうにオレは死んでるんだ。幽霊なんだから捕まりっこねえ」
「そうですわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「オッカアー、モットクイテエ」
メイが叫ぶ。
センベイの袋がからっぽになっている。
「オマエは万全じゃねえんだ。そんなにいっぺんに食ったら、腹をこわしちまうじゃねえか。散歩をして体をならしてからだ」
「ジャア、サンポ、シヨウ」
メイはガンタンのズボンをつかんだ。
さっそく湖の方へと引っぱっていく。
ここちよい風が湖面を吹き渡り、岸辺にはやわらかな波が打ち寄せていた。
湖のほとり。
「オッカアー、マッテヨー」
道草をくったメイが、前を歩くガンタンを短い足でちょこちょこと追いかける。
そんなメイを……。
ガンタンが立ち止まり、やさしいまなざしで振り返る。
神無山に降り注ぐ陽の光に、森も湖もまぶしいほどに輝いていた。
(完)
最後までガンタンとメイにお付き合いくださりありがとうございました。