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負けたら王都が沈むので、嘘の通じない聖女選定を嘘つき幼馴染と頭脳戦で勝ち抜く  作者: 宵星 凪


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第17話 水色の徳紐

 出発の朝、候補の館の門の前に、小さな人だかりができていた。


 まだ空は白みかけたばかりで、石畳には夜露が残っている。門番の神殿兵が困ったように槍を立てていた。その足元に、子どもが七、八人、肩を寄せ合うようにして並んでいる。みんな擦り切れた上着に、裸足に近い靴を履いていた。


 一番前に、ネネがいた。


「お姉ちゃん!」


 伊吹が門をくぐるなり、ネネが駆け寄ってきた。前歯の抜けた口で、満面の笑みを浮かべている。後ろの子どもたちも、わっと声を上げて伊吹を取り囲んだ。


「ネネ。どうしたの、こんな朝早くに」


「今日から聖山(せいざん)に行くんでしょ。市場(いちば)で聞いたの。だからみんなで見送りに来たの」


「みんなって」


 伊吹は子どもたちを見回した。知らない顔ばかりだった。でもどの子の顔も、ネネと同じように日に焼けて、同じように痩せていた。一番後ろに、腕を組んだ背の高い男の子が一人、少し離れて立っていた。足が速そうな、引き締まった脚をしている。肩から灰色の布を斜めに掛けていた。お供の印だった。告解の間で、ノラの後ろに黙って立っていた子だと、伊吹はそのとき気づいた。その子だけは伊吹に近づいてこないで、じっとこちらを見ていた。


「貧民街の子たちだよ。お姉ちゃんが男の人を三人やっつけたの、みんな知ってるの。かっこよかったって」


「やっつけたって言わないで」


「でもやっつけたもん」


 ネネはけらけらと笑って、それから急に真面目な顔になった。背中に隠していた手を、そっと前に出す。


 手のひらの上に、細い紐が一本載っていた。


 水色だった。何本もの糸を、少しいびつな編み目で丁寧に編み込んである。ところどころ太さが揃っていないのは、小さな手で一生懸命編んだからだろう。


「これ、あげる」


「これ」


「徳紐(とくひも)。お姉ちゃん、紐を一本も巻いてないって、ボルクさんに笑われてたでしょ。だからネネが編んだの。神殿で買ったやつじゃないから、本物の徳紐じゃないけど」


 ネネは少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。


「水色はね、慈悲の色なんだよ。お姉ちゃん、慈悲に心を預けてたって、昨日、市場中の噂になってたの。荒くれ者なのに慈悲だって。ネネはね、最初から知ってたよ。だって、お姉ちゃんは、ネネの手首に薬を塗ってくれたもん」


 伊吹は何も言えなかった。


 喉の奥が熱くなって、言葉が出てこなかった。この子は自分のお金なんて一枚も持っていない。藁(わら)の物置で寝て、客の食べ残しをかじって、それでもこの糸をどこかで手に入れて、夜なべして編んだのだ。


 伊吹は黙って紐を受け取ると、左の手首に巻いた。ネネが手伝おうと手を伸ばしてきたので、端を結んでもらった。小さな指がぎゅっと固く結び目を作った。


「……ありがと」


 声がかすれた。伊吹は一度咳払いをして、言い直した。


「大事にする。絶対」


 ネネの顔がぱっと明るくなった。後ろの子どもたちが歓声を上げた。腕を組んでいた男の子だけがふいっと顔を背けて、それでも少しだけ口の端を緩めたのが見えた。


 透が隣で、そのやりとりを黙って見ていた。聖山へ向かう北門の手前で、市場を抜けた。


 朝市が始まったばかりで、パンを焼く匂いと、果物の甘い匂いが混ざり合っている。伊吹は手首の水色の紐を何度も見下ろしながら歩いていた。気がつくと、隣にいたはずの透がいなかった。


 振り返ると、透は一軒の屋台の前で足を止めていた。


 蜜菓子(みつがし)の屋台だった。木の串に刺した小さな揚げ菓子に、金色の蜜がとろりとかかっている。透はその串を、じっと見ていた。


「透」


「ん」


「食べたいの」


「別に」


 透の瞬きが一度だけ止まった。


 伊吹はため息をついて、屋台の主人に銅貨を二枚渡した。串を一本受け取って、透の手に押しつける。


「はい」


「いや、俺は別に」


「嘘つき」


 透は串を持ったまま固まった。それから顔をわずかに赤くして、屋台の裏手の角へすたすたと歩いていった。壁のほうを向いて、背中を丸めて、こそこそと菓子をかじっている。


 伊吹は呆れて、それから少しだけ笑った。昔からそうだった。透は甘いものが好きなくせに、人に見られるのをひどく恥ずかしがる。小学生のとき、伊吹がもらった飴を分けてやると、透はいつも机の下に潜って食べていた。


「変わってないね、そういうとこ」


「何か言った?」


「変わってないねって言ったの」


 透は壁のほうを向いたまま、耳まで赤くなった。聖山(せいざん)の麓(ふもと)には昼前に着いた。


 見上げると、灰色の岩山(いわやま)が高くそびえていた。山肌(やまはだ)を縫うように細い道が続いていて、ところどころに小さな建物が見える。祠(ほこら)だと、神官が言った。三日かけてあの道を登り、頂上の祭壇(さいだん)に献納品(けんのうひん)を届ける。それが第二の試練だった。


 候補たちは麓(ふもと)の広場に集められて、それぞれに頭巾(ずきん)付きの外套(がいとう)と杖と、大きな巡礼袋(じゅんれいぶくろ)を渡された。袋の中には品が詰めてあった。麦の袋に、油の壺に、薬草の束。それから栓をした小さな瓶が二本。瓶を振ると、とろりと重い音がした。


「灯実(とうみ)の酒にございます」


 年配の神官が候補たちの前で巻物を広げた。


「これより、第二の試練、関所(せきしょ)の巡礼(じゅんれい)の掟(おきて)をお伝えいたします。まずは皆さまの袋の品と、その値打ちを」


・麦の袋 値打ち1 1人に4つ

・油の壺 値打ち2 1人に3つ

・薬草の束 値打ち3 1人に2つ

・灯実の酒 値打ち8 1人に2つ ただし申告できぬ品


「そして関所(せきしょ)の掟にございます」


・その1 道中の3つの祠が、それぞれ関所となる。関所ごとにくじで二人一組となり、一人が一度ずつ運(はこ)び手と関守(せきもり)を務める


・その2 運び手は献納箱に品を5つまで詰めて封をし、門の前で関守に中身を申告する。申告は「この箱の中身は、〇〇が〇つだけです」の形とする


・その3 申告できるのは麦と油と薬草のみ。灯実の酒は申告できぬ


・その4 関守は箱を通すか、検(あらた)めるかを選ぶ


・その5 通せば、箱の中身はすべて運び手の献納(けんのう)となる。通った箱は祠番(ほこらばん)が封をして頂上へ送り届ける


・その6 検(あらた)めれば、祠の中の神前で、運び手が申告を言い直す。声となれば申告は真であり、関守は申告された品の値打ちと同じだけ、己の品を運び手に払う。声とならねば、申告と違う品はすべて関守のものとなる


・その7 取引は自由。ただし門の前の約束は守らずともよい。祠の軒下で神前に誓った約束のみ、破れぬ


・その8 お供は申告も検めもできぬ。耳打ちのみ許す


・その9 頂上に届いた献納の値打ちの合計で順位を定める。献納箱に詰めず、袋に残った品は数えない。下の2人は聖灯(ランタン)を1つ失う


・その10 関所のあいだ、祠の灯明に手を触れてはならぬ。門の前には縄を張り、縄の外を神前の外とする


・その11 1位に灯の雫を1滴。さらに1位に3目盛り、2位に2目盛り、3位に1目盛りの灯油を授ける


 神官が巻物を巻き終えると、候補たちのあいだに小さなざわめきが広がった。


 伊吹はその9の掟を、頭の中で何度も繰り返していた。下の2人は聖灯を1つ失う。伊吹のランタンには火が一つしかない。下の二人に入れば、そこで終わりだ。


 広場の端で、白蓮が朔に何か話しかけていた。


 白蓮は閉じた目を朔に向けて、穏やかに微笑んでいた。白蓮の細い声が伊吹のところまで聞こえてきた。


「朔。今度はわたくしに偽りを信じさせないでくださいね」


 朔は一瞬だけ黙って、それから小さく、でもはっきりと頷いた。


「はい。今度は全部本当のことだけ、お伝えします」


 白蓮は満足そうに頷いて、朔の腕に手を添えた。白蓮のランタンには火が一つしか残っていない。伊吹と同じだった。下の二人に入れば、白蓮も終わる。それなのに白蓮は昨日よりずっと穏やかな顔をしていた。


 山道の入口に向かって歩き出しながら、伊吹は透の袖を引いた。


「ねえ。さっきの掟、もっと簡単に言って。長すぎて、半分くらい頭に入ってない」


 透は少し考えてから言った。


「学校の持ち物検査みたいなものだよ」


「持ち物検査」


「うん。生徒は鞄の中身を先生に申告する。中身は教科書が3冊だけです、って。先生はそのまま通すか、鞄を開けて調べるかを決める。開けて、本当に教科書だけだったら、疑った先生が生徒に謝って、お詫びの品を払う。でも漫画が隠してあったら、その漫画は先生に没収される」


「なるほど」


「この試練で一番値打ちがあるのは、灯実の酒なんだ。1本で値打ち8。麦なら8袋分だよ。でも酒は申告できない。だから酒を運ぶには、麦や油だと嘘をついて通してもらうしかない」


「漫画を隠して、教科書だけですって言うってこと」


「そう。それで、ここが肝心なんだけど」


 透は歩きながら、前を行く候補たちの背中に目をやった。


「門の前は縄の外なんだ。神前の外。この世界の人も門の前なら嘘がつける。だから皆、門の前では平気で嘘の申告をする。関守はその嘘を顔や声や箱の重さで見抜くしかない。でも検めて祠の中に入ったら、そこは神前だ。嘘の申告は声にならない。そうなったら、隠してた酒は全部取られる」


 透の話し方が少しずつ熱を帯びてきた。告解の間の囲いで、心の当てっこだと言ったときと同じだった。


「つまりね、伊吹。これは嘘と度胸の勝負なんだ。どれだけ堂々と嘘をつけるか。どれだけ相手の嘘を見抜けるか。誰を信じて、誰を疑うか。三つの関所で、全員がそれを繰り返す。告解の間が一対一の心の当てっこなら、これは全員で騙し合う山登りだよ」


 伊吹は黙って聞いていた。それから自分の巡礼袋を見下ろした。


「じゃあ、私には無理じゃない」


「え」


「私、門の前でも、嘘つけないから」


 言ってから、しまったと思った。透が足を止めて、伊吹の顔をまじまじと見ていた。


「つけない?」


 透は声を低くした。


「つかない、じゃなくて?」


 伊吹は答えなかった。


 この世界に来てから、何度か嘘を言いかけたことがあった。告解の間で、いいえと言いかけたときもそうだった。そのたびに、胸の奥が焼けた。言おうとしても、言えない。そういうふうに体ができてしまったみたいだった。神前の外でも同じだった。そのことを、伊吹はまだ誰にも話していなかった。透にさえ。


「どっちでもいいでしょ」


 伊吹は前を向いて歩き出した。


「どうせ私は嘘なんかつかないんだから。つけてもつけなくても、同じこと」


「同じじゃないよ!」


 透が追いついてきて、伊吹の前に回り込んだ。いつもの穏やかさは消えていた。


「伊吹、それ、いつから? 告解の間で、いいえって言いかけて黙ったとき、すごく苦しそうだった。あれ、我慢してたんじゃなくて、本当に痛かったの?」


「だからどっちでもいいって言ってるでしょ!」


 思わず声が大きくなった。前を歩いていた候補たちがちらりとこちらを振り返った。伊吹は唇を噛んで、声を落とした。


「心配されるの、嫌なの。弱いって思われるのも嫌。私は嘘をつかないって、自分で決めてここまで来たの。体がどうなってようが関係ない。それでいいでしょ」


 透はしばらく黙って、伊吹の顔を見ていた。


 何か言い返されると思った。理屈で詰められると思った。でも透はふっと肩の力を抜いて、少しだけ笑った。


「うん。それでいいと思う」


「……え」


「伊吹は嘘をつかない。最初から、そういう人だった。それなら、それでいいんだ」


 張りつめていた肩から、すっと力が抜けた。責められなかったことに、自分でも驚くくらいほっとしていた。


 透は伊吹の隣に並んで、山道のほうへ顔を向けた。灰色の岩肌の上に、最初の祠の屋根が小さく見えていた。


「嘘をつくのは俺の仕事だから」


 透は穏やかな声で言った。


「伊吹は嘘をつかないで、勝てばいいんだよ」


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