第32話:香ばしい醤油の誘惑! 前夜の焼きおにぎりと男の友情
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物語は、フェス前日の夜へ!
夕方の喧騒が去り、静まり返った大聖堂前広場で、一人黙々と作業を続ける孤高の天才魔導師ユリアス。
男同士の静かな友情と、明日の本番へ向けた固い誓いを描く前夜祭の締めくくりです!
そして――次回はいよいよ、【チャリティ屋台フェス本番】が開幕します!
今夜の前夜祭飯テロも、どうぞ温かいお茶片手にお楽しみください!
夕暮れ時の凄まじい熱狂と香気の嵐が嘘のように、夜の大聖堂前広場にはシンとした静寂が広がっていた。
時計の針はすでに夜の八時半を回っている。
「明日の本番は夜明け前から大忙しになるから、今日はもう解散してしっかり寝よう!」という俺の呼びかけに、ルミアもクラリッサも、そして警備の打ち合わせを終えたシルヴィアも素直に頷き、それぞれの宿舎や屋敷へと戻っていった。周囲の露店主たちも早々に店仕舞いを終え、広場を渡る風はすっかり澄んで心地よい冷気を帯びている。
だが――広場の最奥、高く組み上げられた特設ステージの上だけは、いまだに青白い魔導の燐光がチカチカと瞬いていた。
「……くっ、第三音響増幅回路の魔力干渉係数が、コンマ〇二秒だけズレているな。……再計算だ。励起術式の減衰曲線を修正して……駄目だ、焦点が合わん……」
ステージの中央、山のような羊皮紙と複雑に発光する魔導コードに囲まれ、一人の青年がこめかみを押さえてよろめいていた。
宮廷魔導師団筆頭、ユリアス・フォン・クロイツェル公爵だ。
昼間あれほど美しく整えられていたプラチナシルバーの髪は乱れ、彫刻のように端正な顔立ちには濃い隈が刻まれている。弟子たちを「明日に響くから帰れ」と無理やり休ませ、自分一人で広場全体のスピーカーと大画面スクリーンの最終調整を背負い込んでいたのだ。
「思考速度が落ちている……。完全に大脳のブドウ糖が枯渇したか……。だが、明日の大一番で雑音一つ、魔力の逆流一つ出すわけには……」
ふらりと膝をつきかけたユリアスの背後から、コト、と乾いた足音が響いた。
「ユリアスさん。やっぱり、まだやってたんですね」
「……ミナト?」
驚いたように振り返ったユリアスの瞳に、手提げ袋と小さなポータブルコンロを抱えた俺の姿が映る。俺の肩の上では、コハクが七色の尻尾を揺らしながらふよふよと浮遊していた。
「なぜここにいる。君も明日のために休むよう言ったはずだが……」
「それはこっちのセリフですよ。弟子たちを帰したって聞いたから見に来てみれば、案の定これだ。顔色が紙と同じ色になってますよ」
「なに、些細な不具合を潰しているだけだ。国家の威信と、何より君の催事の成功がかかっているのだからな。……すまないが、今は理論式の再構築で手一杯で、雑談に付き合っている余裕は――」
「はいはい、頑固な天才様。そんなふらふらの状態で計算したって、桁を間違えるのがオチです。まずは燃料補給。ちょっと手を止めて、そこに座ってください」
俺は半ば強引にユリアスの腕を引き、ステージの端にある頑丈な木箱へと腰掛けさせた。
そして手際よくポータブルコンロを木箱の上にセットし、カチリとつまみを回して小さな青い炎を灯す。
「ミナト、それは……?」
「夜食ですよ。頭をフル回転させた後は、炭水化物と塩分が一番効くんです」
俺は天界通販アプリを素早く操作し、炊飯器から取り出したばかりの炊き立ての白米を取り出した。
手のひらにほんの少しの塩水をつけ、湯気立つご飯を包み込むようにしてリズミカルに握っていく。キュッ、キュッと角を整えれば、あっという間にふっくらとした美しい三角形のおにぎりが二つ完成した。
「ほぅ……米を塊状に成形したのか。携帯食の一種か?」
「日本のソウルフード、『おにぎり』です。でも、今夜はこれをもうひと手間かけます」
温まったコンロの上の小型鉄板に、薄くごま油を引く。
そこへ、握りたてのおにぎりを静かに乗せた。
――ジリジリ、ジリジリ……。
静まり返った夜の帳の中に、小気味よい油の爆ぜる音が響き始める。
まずは表面を素焼きにして、米の表面に薄いキツネ色の焼き色を均一につけていく。それだけでも、温められた米のふくよかな甘い香りがふわりと立ち上り、ユリアスの喉がゴクリと上下した。
「よし、いい焼き色だ。ここからが本番ですよ」
俺は小皿に取り出した本醸造醤油にハケを浸し、黄金色に引き締まったおにぎりの表面へ、たっぷりと滑らせた。
その瞬間だった。
――『ジュワワワワッッッ!!!!』
激しく弾ける沸騰音とともに、立ち上る白い蒸気。
熱せられた鉄板の上で焦げる醤油の、香ばしく、どこか懐かしく、そして暴力的なまでに食欲を刺激する香気が、夜風に乗ってステージの上全体へと一気に解き放たれた。
「な、なんだこの香りは……っ!?」
ユリアスが弾かれたように身を乗り出し、サファイアの瞳を大きく見開いた。
「パンが焦げる匂いとも、肉を炙る獣脂の匂いとも全く違う……! 香ばしさの極みの中に、幾重にも重なる発酵の旨味が凝縮されている……!? 匂いを嗅いだだけで、麻痺しかけていた嗅覚神経が強制的に覚醒させられるぞ……!」
「かっかっか! 驚くのはまだ早いのじゃ! ミナト、妾の分にはおかか醤油をたっぷりまぶすのじゃぞ!」
コハクが空中で身悶えしながら催促の声を上げる。
それと同時に、胸ポケットの神具スマホが小刻みに震え、静かな夜の配信画面にコメントが猛烈な勢いで流れ出した。
【豊穣神デメトラ】:『おぉぉぉぉっ!! 米を握り、醤油を焦がして香りを立たせる……! 素材本来の甘みと大豆の滋味を極限まで引き出す神の夜食じゃぁぁ!!』
【武神アーレス】:『炭火と醤油の香気! 静寂なる夜の帳の中、明日への戦を前に男が囲む兵糧として、これ以上の趣があろうか! 実に見事!』
【主神アルト】:『深夜前の焼きおにぎりテロは反則だろwww 腹減りすぎてポテチのストック開けちゃったわww 飯テロすぎるww』
「はい、コハクの分はおかか醤油ね。そしてユリアスさん、もう一品ありますよ」
俺は神具スマホを取り出し、「時間停止ストレージ」の画面をタップした。
光の粒子が収束すると同時に現れたのは、第31話の試食会で取り分けておいた「王都特製ソース焼きそば」のパックだ。
パカリと透明なフタを開けると、まるで今さっき鉄板から引き上げたかのように、猛烈な湯気と焦がしソースの香気が立ち上る。
「……なっ!? 時間停止魔術の完全密閉か! 焼き立ての熱量と水蒸気圧が、寸分の狂いもなく保持されている……!」
「冷めた夜食じゃ元気が出ないですからね。さあ、焼きおにぎりも焼き上がりましたよ。熱いうちにどうぞ!」
表面はカリッと香ばしく、中はふっくらホカホカの醤油焼きおにぎり。
俺は保温タンブラーから湯気立つ温かい焙じ茶を注ぎ、焼きそばのパックと共にユリアスの前へ差し出した。
ユリアスはゴクリと唾を飲み込み、震える指先でおにぎりを手に取った。
両手から伝わる温もりに目を細めながら、意を決したようにその端へと食らいつく。
――サクッ。
澄んだ夜空に、心地よい破砕音が響いた。
「…………っ!!」
一口かじった瞬間、ユリアスの身体がピンと直立したように硬直した。
カリカリに焼き固められた外殻から広がる、焦がし醤油の深い苦味と芳醇な塩気。そしてその奥から溢れ出す、ふっくらとした米粒本来の濃厚なデンプンの甘み。噛み締めるたびに二つの旨味が混ざり合い、噛めば噛むほど唾液が溢れて止まらなくなる。
「う、美味い……! なんだこれは……!? 香ばしいアミノ酸の膜を突破した瞬間に広がる、圧倒的な糖の奔流……! 咀嚼するごとに、乾ききっていた脳細胞の末端へ、ダイレクトにブドウ糖と生命力が満ちていくようだ……!」
思考の霧が一瞬で吹き飛んだのか、ユリアスの瞳に鮮烈な光が戻っていく。
彼は我を忘れたように二口、三口とおにぎりを頬張り、続いて差し出された焼きそばの太麺をフォークで巻き取って口の中へかきこんだ。
「んんっ……! ソースの濃厚な酸味と豚肉の脂、そしてキャベツの水分が完璧な調和を成している……! 米の香ばしさと、この力強い麺の波状攻撃……箸が、いやフォークが止まらん……!」
無我夢中で夜食を貪り食う若き公爵の姿に、昼間の冷徹なエリートの面影は微塵もない。
あっという間におにぎりと焼きそばを完食したユリアスは、差し出された温かい焙じ茶を両手で包み込み、ふぅ、と深く息を吐きながら喉を潤した。
「……ふぅ。……香ばしい茶だな。荒ぶっていた胃の腑が、じんわりと温まっていく」
「良かったです。少しは頭、すっきりしましたか?」
俺が笑いかけると、ユリアスは空になった舟皿を見つめ、それから静かに夜空を見上げた。
頭上には、吸い込まれそうなほど美しい満天の星が瞬いている。
「……すっきりしたどころではない。完璧に覚醒したよ」
ユリアスは湯気の立つ茶を一口啜り、ポツリ、ポツリと静かな声で語り始めた。
「……私の魔導の才能はな、物心ついた頃から周囲に疎まれ、同時に恐れられてきた。父も、親族も、宮廷の貴族たちも……私の術式を『戦場での効率的な破壊兵器』か、政敵を威圧するための『権力の象徴』としてしか見ていなかった」
その横顔には、三大公爵家の当主という重い看板を背負い、孤独の中で知性だけを研ぎ澄ませてきた青年の苦悩が滲んでいた。
「誰もが私の力を利用しようと擦り寄るか、あるいは化け物を見るような目で距離を置くかだった。……友と呼べる者など、私の人生には一人もいなかったよ」
「ユリアスさん……」
「だが、君は違った」
ユリアスが視線を下ろし、まっすぐに俺の目を見つめた。その瞳には、かつて査問に乗り込んできた時の冷徹さは欠片もなく、温かな光が宿っていた。
「君は、私の魔導を恐れもしなかった。消せるペンで私の狭い世界観を粉々に打ち砕いて笑い、疲れていればドリップコーヒーを淹れ、こうして深夜に温かい飯を持って現れる。……そして何より、『私の魔導を、誰かを笑顔にするために使ってほしい』と言ってくれた」
ユリアスはカップを木箱に置き、静かに立ち上がった。
「私の知識と魔導が、誰かの笑顔のために役立つ……人々の歓声のために空を彩ることができる。……そう教えてくれたのは、ミナト、君が初めてだ。私を一人の人間として、友人として扱ってくれたのは……君だけなのだ」
澄んだ夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
俺は照れくささに鼻の頭を掻きながら、微笑んで頷いた。
「大げさですよ、ユリアスさん。俺はただ、ユリアスさんの凄い魔導があれば、みんながもっと喜ぶフェスになるって信じただけです。……明日は王都中のみんなを、思いっきりびっくりさせましょう」
「ああ」
ユリアスは薄く、だが心からの温かい笑みを浮かべ、右手を差し出してきた。
俺はその手をしっかりと握り返す。冷え切っていたはずの彼の掌は、焼きおにぎりと温かいお茶のおかげで、とても力強く温かかった。
「約束しよう、我が友よ。私の持てるすべての魔導演算を注ぎ込み、王国の歴史上最も完璧な形で成功させてみせる」
「頼りにしてます、ユリアスさん」
「うむ! 男の約束、実に見事であったぞ!」
「かっかっか! 良い話風にまとめたのは結構じゃが、妾のおかかおにぎりはどうしたのじゃ! 早くよこさぬと、明日の配信カメラをボイコットするぞ!」
感動の空気をぶち壊すように、コハクが俺の頭の上でポカポカと尻尾を叩きつけて抗議した。
「はいはい、ちゃんとありますって。ほら、出来立てだよ」
「むふー! これじゃ、この鰹節の旨味と醤油の焦げた匂いが最高なのじゃ!」
両手でおにぎりを抱え、小さな口をリスのように動かして頬張るコハクの姿に、俺とユリアスは思わず顔を見合わせて吹き出した。
【武神アーレス】:『良き友を得たな、ミナト! 言葉ではなく、兵糧と魂で結ばれし男の誓いに偽りなし!(100,000pt赤スパ寄付)』
【主神アルト】:『エモい前夜祭だったわー。ユリアス君、完全に魂のダチになってて草。さあ、明日は大本番! 全員しっかり寝ろよー!』
「ふっ……神々からも就寝の神託が下りたようだ。エネルギーは完全に充填された。残りの微調整は明朝、万全の頭脳で行うとしよう」
ユリアスは機材の上に夜露除けの保護布を丁寧に被せると、コンロを片付ける俺を手伝ってくれた。
ステージを降り、静かな広場を歩きながら見上げた夜空には、明日の晴天を約束するように満天の星が瞬いている。
仕込みは完璧。仲間たちとの結束も、これ以上ないほどに固まった。
(さあ、明日は待ちに待ったフェス本番だ――!)
俺たちは互いに拳を軽く突き合わせ、それぞれの寝床へと足を向けた。
静寂に包まれた王都の夜が、心地よい眠りとともに更けていく。
第32話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
物語はいよいよ、フェス当日の朝へ!
次回から、怒涛の【チャリティ屋台フェス本番編】が開幕します!!
早朝から広場を埋め尽くす数万人の群衆!
純白フリルエプロンを着けた看板娘・聖女ルミアの愛らしい開会宣言!
そして、特注大鉄板から王都の青空へ立ち上る「焦がしソースの巨大旋風」!
ミナトの現代グルメ無双が、王都中を熱狂の渦へと巻き込みます!
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