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この世界の魔法、二百年前からバグってます ~元エンジニアの異世界デバッグ記録~  作者: 霧里 野蒜


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第9話 進展と罰則

 「失敗しました」

 学院長室に入って、俺は最初にそう言った。

 オルグレンは手を出した。俺は記録を渡した。前と同じように、二度読んだ。

 「下流が六・〇増えた」

 「はい」

 「差引〇・四」

 「測定誤差の範囲です。実質、何も減っていません」

 「原因は」

 「逃がした先が地面ではなく、下流でした。俺が計算していませんでした」

 オルグレンは紙を置いた。

 「君は、失敗を報告しに来た最初の人間ではない」

 「はい」

 「三十八年前にも、同じ報告が上がっている」

 「読まれたんですか」

 「始末書は全部残る。四行の紙だ。日付、杭の番号、数字、戻した旨」

 「理由は」

 「書いていない」

 オルグレンは俺の記録の、最後の方を指で叩いた。

 「これは十一枚ある。失敗の理由が書いてある報告書を、私は初めて受け取った」

 褒められたのかどうか、判断がつかなかった。

 「アリシア・フォン・エルドレイン」

 「はい」

 「無許可の術式改変につき、譴責とする。記録に残す」

 「はい」

 「異議は」

 「ありません」

 それだけだった。


 廊下に出てから、俺は聞いた。

 「その記録、消えますか」

 「消えません」

 アリシアは前を向いたまま答えた。

 「十年後、二十年後に、私の名前を調べた人がいたら、その人はそれを読みます。エルドレイン家の者が、無許可で祖先の術式に手を入れた、と」

 「……すみません」

 「なぜ謝るんですか」

 「俺のせいです」

 「私が刻みました」

 彼女は少しだけ笑った。俺には笑えなかった。

 記録は残る。読まれる。俺がずっと、そうあるべきだと言ってきたことだ。それがこの人の名前に一行、消えない形でつくことになった。


 その日から、見積もりを始めた。

 三百本を全部直す。それが前回の結論だった。ただし「全部」とは、何人で何日かかることなのか。

 「刻印の資格を持っている人は、何人いますか」

 「王国全体で、二十二人です」

 「二十二」

 「学院に六人、王宮に四人、残りは地方の工房です」

 杭は三百本。北線が四十一本で、あとは南線、東線、西線と支線がいくつか。線ごとに独立しているから、一本の線が終われば、その線の分は完結する。

 俺は指を折った。一本につき、移動を含めて二日。二十二人で三百本なら、単純に割って一月弱。工期としては、悪くない。

 問題は、その線が全部終わるまで、何も減らないことだった。

 捨てる場所が上流から下流へ、順に移動していくだけだ。北線なら四十一本目を終えるまで、成果はゼロ。

 四十一本のうち一本でも失敗すれば、そこから上は全部無駄になる。

 紙に書いた見積もりは、どう並べ替えても通らない形をしていた。

 行き詰まったので、俺は線を引いた。


 北線の杭を、番号順に。第一杭から第四十一杭まで。北の山で汲み上げて、南へ、南へ、最後に王都へ入る。

 直した杭は、余りを下流へ渡す。下流が直っていなければ、そこで焼かれる。だから上から直しても意味がない。

 ……上から?

 俺は線の反対側を見た。

 第四十一杭。王都に一番近い、最後の一本。その下流に、杭はない。渡す先は王都そのものだ。

 ここを直したら、余りはどこへ行く。

 焼かれない。そのまま王都に届く。

 俺は立ち上がっていた。

 次に、第四十杭を直す。余りは第四十一杭へ流れる。第四十一杭はもう直っている。焼かない。素通りして、王都に届く。

 その次は第三十九杭。同じことが起きる。

 上から直せば、最後の一本が終わるまで成果はゼロだ。

 下から直せば、一本目から効く。二本目でさらに効く。三本目でもっと効く。

 同じ四十一本、同じ工事、同じ人員。順序が逆なだけだった。


 ハウゼンの詰所は、学院の裏手の低い建物にあった。

 俺が紙を広げると、彼は黙って見ていた。しばらくして、聞いた。

 「南線の第九杭は、上から数えて九本目ですね」

 「そうだ」

 「下からだと、三十本目より上です」

 「……そうだ」

 「俺が触ったのは第十七杭です。上から十七本目でした」

 ハウゼンは自分の手帳を出した。開いて、閉じた。また開いた。

 「順序か」

 「順序です」

 「三十八年、番号順に測っとった」

 彼は言った。

 「一から順にな。三十八年だ」

 「番号は、どちらから振ってあるんですか」

 「山からだ。汲み上げる方から一番を振る。図面がそうなっとる」

 図面がそうなっている。だから台帳もそうなっている。だから点検もそうなっている。だから、何かを試そうとした人間は、必ず第一杭の側から始める。

 二百年前に番号を振った人間は、上流から振るのが自然だと思っただけだろう。それだけのことが、三十八年前の男と、ひと月前の俺を、同じ場所へ連れて行った。

 「設計は、順序まで決めてしまうんですね」

 ハウゼンは答えなかった。手帳の、今日のページを開いていた。


 申請書は三日かけて書いた。

 北線・第四十一杭。王都城壁の外、受入口の直前。一本のみ。修正前後の測定に加えて、王都側の受入量も同時に記録する。ハウゼンの手元に、受入量の記録が三十八年分ある。日ごとの変動幅は分かっている。一本分の差が、その変動に埋もれるかどうかは正直に書いた。埋もれる可能性が高い、と。

 だが二本目、三本目と下から積んでいけば、いずれ変動幅を超える。それを確かめるための一本目だと書いた。

 オルグレンは申請書を最後まで読んで、顔を上げた。この人が読みながら喋らなかったのは、初めてだった。

 「刻印に失敗して第四十一杭が止まれば、どうなるか分かっているか」

 「王都への供給が、北線の分だけ落ちます」

 「灯りが消える。夜にな」

 「はい」

 「君は、それを賭けようとしている」

 「はい」

 オルグレンは申請書を机に置いた。押し返しはしなかった。

 「評議会にかける。二週間だ」


 その夜、机に向かった。

 書くことは山ほどあった。工期の再計算、順序を逆にした場合の効果予測、失敗時の復旧手順。書きながら、朝のことを思い出した。

 荷台の縁に、レンはいなかった。あれから一度も座っていない。飯には来る。前と同じように食う。何も変わっていないふりをするのが、上手い子だった。

 メモを開いた。三行のままだ。

 四行目を書けば、検証しなければならない。ずっと、そう自分に言ってきた。

 違う。

 書けば、残る。残れば、誰かが読む。十年後でも、三十八年後でもだ。俺はそうあるべきだと信じて、失敗も間違いも全部書いてきた。アリシアの名前に一行残ったのも、そういうことだ。

 だから書けない。

 俺のやり方が、そのまま、あの子にとって一番危ない。

 四行目は、今夜も空けた。


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