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この世界の魔法、二百年前からバグってます ~元エンジニアの異世界デバッグ記録~  作者: 霧里 野蒜


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6/20

第6話 地脈杭

 翌朝、アリシアは来なかった。

 昼になっても来なかった。何かあったのかと思ったが、それを聞きに行く相手が彼女しかいないことに気づいて、部屋で待つことにした。

 机にメモを広げた。昨夜の三行。

 一、属性は後付けの可能性。要検証。

 二、レンはなぜ開けたのか。要観察。

 三、この本を目録から外したのは誰か。

 一は測る手段がない。俺自身の属性すら測れていない。二は待つしかない。レンが次に「隙間」を見つけるまで、こちらから起こせる事象がない。三は書庫の管理記録を見る権限が要る。外来研究員にその権限はない。

 できないことばかり並べた紙を、俺は裏返した。裏に一行だけ書いた。

 『動くものを、一つ動かす』

 前の世界で、行き詰まったときはいつもこれをやった。全部が繋がって見えてくると、どこから手を付けても間違いのような気がしてくる。そういうときは、一番小さくて、一番確実に動くものを探す。

 探すまでもなかった。

 ひと月前、俺は草原の地脈杭に修正案を書いた。書いただけだ。あれから一度も、あの修正案が正しかったかどうかを確かめていない。


 アリシアが来たのは、日が傾いてからだった。

 「遅くなりました」

 それだけ言った。昨日のことには触れなかった。俺も触れなかった。目の下に隈があった。

 「検証したいことがあります」

 「何をですか」

 「転移してきた日に、俺が落書きした杭です。あの修正案を実際に入れたらどうなるか、まだ誰も確かめていません」

 アリシアはしばらく黙っていた。それから椅子に座った。

 「学院の管理下にある魔法陣は、術式の変更に評議会の承認が必要です。前例のない変更なら、審査に半年はかかります」

 「半年」

 「それも、申請できる資格のある者が出した場合です」

 俺に資格がないことは、言われなくても分かった。

 「ただし」

 とアリシアは言った。

 「あの杭は、学院の管理下にありません」

 「えっ」

 「王都から半日の草原に、二百年放置されている支線の末端です。目録にも、管理台帳にも載っていません。誰のものでもない。……つまり、誰の許可も要りません」

 即答だった。

 「調べたこと、あるんですね」

 アリシアは答えなかった。俺を見ずに、窓の外を見ていた。

 「明日、行きましょう。道具を用意します」


 翌朝、学院の裏門に馬車を待たせた。荷台にアリシアが木箱を積んでいる。

 「どこ行くの」

 レンだった。いつのまにか荷台の縁に座っていた。

 「草原。魔法陣を直しに行く」

 「ふうん」

 降りる気配がなかった。アリシアが何か言いかけて、やめた。


 半日かけて、俺が目を覚ました場所に戻った。

 直径三メートルの石の台座。複雑な幾何学模様。ひと月前と何も変わっていない。隅の余白に俺がペンで書いた線は、半分ほど雨に流されていたが、まだ追えた。

 「地脈杭って、何本あるんですか」

 木箱を下ろすアリシアに聞いた。

 「王国全体で、三百本ほどかと」

 「全部これと同じ設計で?」

 「同じです。エルドレイン卿の設計図を写して作られていますから」

 同じ図面から三百個。同じ場所に、同じループ。

 アリシアは木箱から、拳ほどの球を取り出した。濁った硝子のように見えた。

 「計測球です。術式の発動に使われた魔力量を数値で表示します」

 「精度は」

 「小数第一位まで」

 十分だ。

 準備をしている間、俺はアリシアからもう一つの石を借りた。ひと月前、馬車の中で握ったのと同じ、属性判定の石だ。握って、押し出すイメージ、というやつを試した。何も起きなかった。

 「まだ時間がかかりますね」

 アリシアは道具を並べながらそう言って、それ以上は言わなかった。

 俺も、それ以上は考えなかった。

 「この杭は、どこへ送ってるんですか」

 アリシアは地図を広げた。指が北へ動いて、止まった。

 「……ここに、村があったことになっています」

 「あった、というのは」

 「今はありません」

 「いつから」

 「記録がありません」

 二百年、この石は誰もいない場所へ魔力を送り続けていたことになる。ロスの話をしていたのが、少し馬鹿馬鹿しくなった。

 それでも測ることにした。送り先が無かろうと、無駄が出ている事実は変わらない。それに、実験するならこれ以上ない条件だ。壊しても誰も困らないし、直った結果は残りの二百九十九本にそのまま当てはまる。


 「動かせますか」

 「点検用の手順があります。一回分を、手で送り出せます」

 点検の手順は残っている。点検した記録はどこにもない。

 アリシアが台座の外に立ち、詠唱した。

 石の溝に沿って光が走った。二百年前の術式が、今も動く。光は一周して消えた。計測球に数字が浮かんだ。

 「十五・八」

 アリシアが言った。球を見ていなかった。

 俺は球を見た。十五・八だった。

 「……何回、測ったんですか」

 「数えていません」

 「理論値は」

 「十二・〇です」

 「三・八の差」

 「文献に報告されている通りです。……誰も、理由は書いていませんが」

 念のため三回測った。十五・八。十五・九。十五・八。ばらつきはほとんどない。安定して無駄が出ている。安定しているというのは、こういうときには良い報せだ。原因が一つだということだから。


 「ここです」

 俺は台座の該当箇所を指した。それから石の上に、ペンで図を書いた。

 「魔力はここから入って、ここで回ります。出口がない。永遠に回り続けて、その分が熱になって消える。三・八は、たぶんこれです」

 「回っている間、魔力は何をしているんですか」

 「何もしていません。それが問題です」

 アリシアは図を見ていた。長い間、何も言わなかった。

 「……ここに、一本」

 彼女が指を置いた。俺が入れようとしていた場所だった。

 「一定量を超えたら、外へ逃がす。そういうことですか」

 「そうです」

 「分かりました」

 アリシアは道具を取った。俺は聞いた。

 「今、分かって刻んでますか」

 彼女の手が止まった。

 「……ええ」

 「なら、いいです」


 刻印は一時間半かかった。

 アリシアは膝をついて、彫刻刀のような道具で石を削っていた。線の太さが既存の術式と寸分違わない。指が震えていない。俺は少し離れたところで見ていた。

 俺には設計しかできない。彼女には施工ができる。ひと月前、馬車の中で「じゃあ一緒に考えましょう」と言ったとき、口先のつもりはなかったが、こういう形で成立するとは思っていなかった。


 「終わりました」

 アリシアが立ち上がった。石の粉を払い、計測球を置き、もう一度詠唱した。

 光が走った。さっきより速かった。一周して消えた。

 十二・三。

 二人で、球を見ていた。

 「理論値は十二・〇です」

 「〇・三、残ってますね」

 「はい」

 「測定誤差か、別のロスがどこかにあるか。保留にしましょう」

 三回測った。十二・三。十二・二。十二・三。

 二百年間、誰にも使われないまま消えていた三・五が、消えなくなった。

 アリシアは球を見たまま、小さく息を吐いた。それだけだった。俺もそれだけだった。前の世界でも、直ったときはいつもこんなものだった。


 「隙間、なくなってる」

 レンだった。台座の縁にしゃがんで、石を見ていた。

 「何」

 「ここ、隙間あったのに。なくなってる」

 俺は立ち上がった。

 「レン。いつからあった」

 「来たときからあった。ずっと」

 「どこに」

 レンが指を置いた。俺とアリシアが、たった今、線を一本足した場所だった。


 頭の中で、いくつかが繋がった。

 第三障壁。防護術式がかかっていて、通り抜けられないはずだった。レンは通った。

 封緘術式。アリシアが三度試して開かなかった。レンは開けた。

 この地脈杭。無限ループがあった。レンには隙間が見えた。直したら、消えた。

 「アリシアさん」

 「はい」

 「仮説があります。まだ仮説ですが」

 俺は言った。

 「レンが見ている『隙間』は、術式のバグです」

 アリシアが顔を上げた。

 「壁を通れたのは、あの壁にバグがあったから。本が開いたのは、封緘術式にバグがあったから。この杭に隙間が見えたのは、無限ループがあったから。……そして今、直したら、見えなくなった」

 「検証は」

 「第三障壁と封緘術式を調べれば済みます。どっちも学院の管理下ですが」

 言いながら、俺は自分の言っていることの意味に気づいた。


 レンの特性は、世界の欠陥の上に成り立っている。

 そして俺の仕事は、その欠陥を一つずつ潰していくことだ。

 ひと月前、俺はこの子に「制約があるから見えるものがある」と言った。あれは嘘ではない。ただ、その制約を消して回っているのは俺だ。今日、一つ消した。書庫には何万冊あるか分からない。全部直したら、この子はどこも通れなくなる。

 「どうしたの」

 レンが俺を見ていた。

 「なんでもない」

 「変な顔してる」

 「腹が減った」

 「私も」


 帰りの馬車で、レンは荷台に寝転がって寝ていた。アリシアは計測球を膝に置いたまま、窓の外を見ていた。誰も何も話さなかった。二つの太陽が沈んで、二つの月が出た。


 その夜、俺は測定結果を清書した。

 修正前、十五・八。修正後、十二・三。三回ずつ。日付と、場所と、変更した箇所の図。

 一本あたり三・五。アリシアは三百本と言った。掛けると千五十になる。

 この単位が王都で何に相当するのかを、俺はまだ知らない。それでも、誰が見ても再現できる形にしておく必要がある。いずれ、必要になる。

 それから、メモを開いた。

 二の行に線を引いて、書き直した。

 二、レンが見る「隙間」=術式の欠陥ではないか。要検証。

 答えが出たわけではない。ただ、形は変わった。観察するしかなかったものが、測れるものになった。

 その下に、四行目を書こうとして、やめた。

 書けば、検証しなければならない。

 検証すれば、たぶん、正しいと出る。


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