第44話 魔法の指輪
俺は院長室にこもって、フレームの研究を続けた。
目的ははっきりしていた。レンを無属性のまま魔法が使えるようにする。そのためにまず、属性とは何かを、もう一度、根本から組み直す必要があった。
これまで分かっていることを整理した。魔法は無色の魔力が属性の膜を抜けるときに発動する。膜が魔力を変換する。火の膜を抜ければ火になり、水の膜を抜ければ水になる。膜のないレンは、魔力を変換できない。だから魔法が使えない。
だとすれば、答えは単純なはずだった。膜の代わりになるものを、レンに与えればいい。
でも、そこで詰まった。
膜をレンに固定すれば、それは属性を選んだのと同じだ。原型の力が消える。剥がす力を失う。……レンの矛盾は解けない。固定してはいけない。かといって、膜がなければ変換できない。
固定せずに変換する。
その方法を、俺は何日も探した。
転機は、アリシアの属性交換実験の記録を読み返していたときに来た。彼女の実験記録のフレームの図を見直していたときに来た。
俺はいつものように、術式の中心核まわりの構造を追っていた。核が属性で、その周りのフレームが術式の骨組み。核から出た魔力が、フレームを通って、外へ出ていく。……その、核とフレームのあいだに小さな領域があった。
これまで見落としていた領域だった。
核から出たばかりの魔力が、まだ属性化しきる前の、ほんの一瞬、通る場所。そこに、細かい紋様があった。俺はその紋様を拡大して構造を読んだ。
変換していた。
その小さな紋様が、核から出た魔力を属性のある魔力に変換していたのだ。膜が変換するのだと俺はずっと思っていた。違った。膜は変換された魔力を囲って安定させているだけだった。実際に変換しているのは、この、核とフレームのあいだの小さな回路だった。
変換回路。
俺はそれをそう呼ぶことにした。
膜と変換回路は、別のものだった。膜は囲うもの。変換回路は変換するもの。……これまで、二つが一体だと思っていたから見えなかった。分けて見ればはっきりしていた。
これが答えだった。
膜で固定しなくても、変換回路だけあれば、魔力は変換できる。
問題は、この変換回路を、どうやってレンに持たせるかだった。身体に刻めば、固定になる。固定はいけない。……だったら、身体の外に置けばいい。着けたり、外したりできる形で。
着けているあいだは、変換回路が働いて、レンの素の魔力を属性化する。
外せば、変換回路は離れて、レンは原型に戻る。
俺は、白紙に、その形を描いた。指に着ける小さな輪。輪の内側に変換回路の紋様を刻む。指を通る素の魔力が、その紋様を通って属性化する。
指輪だ。
火の指輪。水の指輪。風の指輪。土の指輪。光の指輪。……五つの属性に、五つの指輪。五本の指に着けられる。着ければ魔法が使え、外せば原型に戻る。レンは、指輪次第で、どの属性にもなれて、外せばみんなを剥がす力も取り戻せる。
闇の指輪は作らなかった。闇は禁忌とされ、遺稿にも変換の紋様が残っていなかった。……五つで十分だった。
設計には時間がかかった。
変換回路の紋様は、極めて細かかった。少しでも紋様がずれれば変換が歪む。歪んだ魔力は、レンの素の魔力を傷つけるかもしれない。……アリシアの実験のときと同じだ。人の魔力は、一番、壊してはいけないものだった。
俺は、慎重に設計を進めた。近道はしなかった。
その間、家の職員は俺の研究を遠巻きに見ていた。
「院長。何を研究しておいでですか」
書記官が、丁寧に聞いてきた。俺が何を作っているか家に報告するためだった。
「魔道具です」
俺は、正直に答えた。隠す必要はなかった。隠せばかえって怪しまれる。
「属性を持たない者が、魔法を使えるようにする魔道具を作っています」
書記官の顔が、わずかにこわばった。……属性を持たない者。それが誰を指すか、書記官には分かっていた。レンだ。属性が後付けである生きた証拠。その子が魔法まで使えるようになれば、この世界の秩序が変わる。
書記官は、それを家に報告しただろう。
数日後、ケイル卿が院に来た。
「桐島殿」
ケイル卿は、院長室で俺の描いた設計図を眺めた。
「属性を持たぬ者に、魔法を、とは。……面白いことをお考えだ。だが、それに、何の意味が」
「意味ならあります」
俺は言った。
「この国では、属性を持たない者は魔法を使えません。だから、職に就けず、学院にも入れず、庶民街の外れで、生きるしかない。……その子たちが、魔法を使えるようになれば、属性の有る無しで、人を分ける最後の理由が消えます」
「……秩序を崩すおつもりか」
「崩すんじゃありません。誰も取り残さないようにするだけです」
ケイル卿は、しばらく、設計図を見ていた。
「これは、あの子のためのものだな」
彼は言った。
「属性を持たぬあの子。あの子は、我々にとって、都合の悪い存在だ。属性が後付けである証拠。その子が、魔法まで使えるようになれば。もはや、属性を持たぬことは欠陥でも何でもなくなる。属性という制度そのものが意味を失う」
「そうです」
「桐島殿。あなたは、この院をそのために使っている。私があなたを閉じ込めるために与えた院を。……あなたを閉じ込めるための場所で、あなたは制度を終わらせる道具を作っている」
ケイル卿の声には、怒りはなかった。むしろ、感心しているようだった。
「見事だ。……だが、そう簡単にはいかせない」
彼は、設計図を机に戻した。
「あなたの研究は続けてよろしい。止めはしない。……止めれば、また、隠していると言われる。だが、覚えておかれよ。その魔道具が本当に動くかどうか。それは、また、別の話だ」
ケイル卿は、微笑んで院を去った。
その言葉の意味を、俺はじきに思い知ることになった。
指輪が、五つ、出来上がった。
小さな、金属の輪。内側に、変換回路の紋様が、極めて細かく、刻んである。ヨナが、刻んでくれた。あの若い刻印士の丁寧な手が。……全面改修で鍛えた腕は確かだった。
俺は、レンを、院長室に呼んだ。
「レン。……できた。試してくれるか」
レンは、五つの指輪を見た。
「これ、着けたら、魔法使えるの?」
「たぶん。……着ければ、レンの素の魔力が属性のある魔力に変わる。外せば、元通り、原型に戻る。……剥がす力もそのままだ」
レンは、火の指輪を手に取った。しばらく、見つめてから、右手の人差し指に着けた。
「……着けた」
「魔力を指先から、出してみてくれ。火を思って」
レンは、手をかざした。目を閉じて、集中した。
……何も、起きなかった。
指先から、魔力が出てこない。火も出ない。指輪は、ただ、指に光っているだけだった。
「……出ない」
レンは言った。
「魔力、どうやって出すの? あたし、出したことない」
俺は、そこで、初めて気づいた。
当たり前のことだった。属性を持つ者は、生まれつき指先から魔力を出せる。六歳で属性を差し込まれてから、ずっと、無意識にやってきたことだ。……でも、レンは、一度も、属性がなかったからやったことがない。魔力を外へ出すということ自体を、レンは知らなかった。
指輪は、魔力を変換する。でも、変換する魔力を、レンが指先まで送れなければ意味がない。
変換回路は、正しく動く。問題はレンの側だった。
レンは、自分の魔力を、指先へ、流す方法、知らなかった。
「……そういうことか」
俺は呟いた。ケイル卿の言葉が蘇った。その魔道具が、本当に動くかどうか。それは、また、別の話だ。……彼は、これを見越していた。指輪が出来ても、レンが魔力を出せなければ動かない。属性を持たない者は、魔力を操ることを教わってこなかった。その壁があることを。
「……ごめん」
レンが俯いた。
「あたし、下手だね。……せっかく、作ってくれたのに」
「違う」
俺は言った。
「レンが下手なんじゃない。……誰も、レンに、教えなかっただけだ。属性を持つ子は、六歳で、勝手にできるようになる。でも、レンは教わる機会がなかった。……下手なんじゃない。初めてなんだ。初めては、みんなできない。アリシアさんの水と、同じだ」
レンは、顔を上げた。
「……アリシアの、水?」
「アリシアさんも、水は、最初、全然、出せなかった。数滴だけだった。火は得意なのに。でも、練習して、できるようになった。近道はなかった。一からやって、できるようになった。レンも、同じだ。今は、できない。でも、練習すればできる。時間は、かかるけど」
レンは、火の指輪を見つめた。
「……練習、すれば」
「する。一緒に。……焦らない。一つずつ」
レンは、しばらく指輪を見ていた。
それから、小さく頷いた。
「……やる。あたし、魔力、出せるように、なる」
その日から、レンの長い練習が始まった。




