第41話 伝播
俺は行かなかった。
行けば捕まる。反逆者が群衆を煽った、という絵になる。行きたかった。あの子たちの前に立ちたかった。でも、それがあの子たちを一番危険にする。俺にできたのは、詰所の窓から丘の向こうの学院の方を見ていることだけだった。
ハウゼンが繋ぎをしてくれた。学院に出入りする刻印士から様子が届いた。
前庭に集まったのは、最初、三十人ほどだったという。
学生と若い刻印士。ヨナが声をかけて集まった者たち。手に武器は無かった。旗も無かった。ただ、口々に同じことを言っていた。
検証を続けろ。桐島を引き渡すな。
そして、一番多く繰り返されたのがあの言葉だった。
確かめさせろ。
俺たちは王に逆らってない。属性が嘘だ、とも言っていない。ただ、本当かどうか、確かめさせろ、と言っているだけだ。確かめることのどこが、反逆なのか。
昼過ぎ、王宮の兵が来た。
二十人ほど。前庭を囲むように展開した。指揮官が進み出て告げた。
この集まりは王命に背く不穏な集会である。速やかに解散せよ。従わぬ者は反逆者とみなす。
学生たちは動かなかった。
ヨナが前に出たという。若い刻印士見習いが、震える声で、しかし、はっきりとこう言った。
「僕たちは王命に背いていません。王に忠誠を誓っています。ただ、ひとつ、教えてください。本当かどうかを確かめることが、なぜ、反逆なんですか。もし、属性が生まれつきの身分だというなら、確かめれば、それが、証明されるはずだ。堂々と確かめさせればいい。確かめさせない、というのは、確かめられたら困る、ということですか」
指揮官は答えなかった。
答えられなかったのだ、と、思う。
それは正しい問いだった。確かめて属性が生まれつきだと証明されるなら、確かめさせればいい。確かめさせないのは、確かめられたら困るからだ。ヨナの問いは、その、一番、痛いところを突いていた。
だが、権力は答えの代わりに力を使った。
解散を命じ、従わぬ者を排除し始めた。突き飛ばし、引きずり、捕らえた。学生たちは、抵抗しなかった。殴り返さなかった。ただ、地面に座り込んで、腕を組んで、動かなかった。運ばれても、また、戻ってきた。
何人かが捕らえられた。ヨナもその中にいた。
夕方には、前庭は、片付けられていた。
弾圧は成功したように見えた。
でも、違った。
その日の、夜から、学院に人が増え始めた。
昼間の弾圧を見た者たちが、あるいは、伝え聞いた者たちが、集まってきた。武器も旗も持たずに、ただ、前庭に立って同じことを言った。
確かめさせろ。
弾圧が抵抗を消すどころか。抵抗を増やしていた。
なぜか。
俺は詰所でその報せを聞きながら考えた。そして、分かった。
人々が見たのは暴徒を鎮圧する権力じゃなかった。人々が見たのは、「確かめさせろ」と、言っただけの若者を力で黙らせる権力だった。確かめさせろ、という要求はあまりに穏当だった。穏当すぎてそれを力で潰す姿がかえって、際立った。
この権力は、確かめられたら困るんだ。
潰せば潰すほど。誰もが、そう思い始めた。
家は、俺を、反逆者に、仕立てて、真実の、検証を、封じようとした。でも、封じようとする、その姿こそが、隠したいものが、あることの、証明に、なっていた。……隠していない者は、確かめられることを、恐れない。恐れて、力で、潰すのは、隠している者だけだ。
三日目には、前庭に立つ者は数百人になっていた。
王宮は、兵を増やせなかった。いや、増やせたはずだ。もっと大勢の兵でもっと、強く潰すこともできた。でもしなかった。
なぜなら、そのとき王宮は別のことに気づき始めていたからだ。
この、「確かめさせろ」という声が、王都だけの話じゃないということに。
同じ頃。俺の知らないところで別のことが起きていた。
全面改修は、まだ、続いていた。王国中の三百本の地脈杭を直す工事。そのために、育てられた若い刻印士たちが、王国の隅々まで散っていた。
その、若い刻印士の何人かが。
ヨナから属性のことを聞いていた。判定石が差し込む石だ、ということを。そして、核の、作り方を。
核は複雑な装置じゃなかった。遺稿の図と蒼の記録さえあれば、刻印の技術を持つ者になら作れた。若い刻印士は刻印の技術を持っていた。そして、彼らは王国中の村や町にいた。判定石を使う六歳の儀式が行われるその場所に。
最初に、置き換えたのが誰だったのかは分からない。
どこかの辺境の村だったという。土の属性ばかりの貧しい村。そこの若い刻印士が、儀式の日に判定石の代わりに自分で作った核を使った。
その村の六歳の子供が、生まれて初めて、差し込まれるんじゃなくて、自分で握って属性を選んだ。
その子は、土を選んだという。周りがみんな土だから。でも、それは、差し込まれた土じゃなかった。その子が自分で選んだ土だった。……そして、その子は、いつでも変えられる。大きくなって、別の属性が欲しくなったら、握り替えればいい。
一人の子供が、選んだ。
その、たった一つの事実が、次の村へ伝わった。
伝播は、俺の思っていたよりずっと速かった。
若い刻印士たちは、示し合わせたわけじゃなかった。号令があったわけじゃなかった。ただ、一人が置き換えたと聞けば、次の一人が自分の村でもやってみた。核の、作り方は簡単だった。効果はすぐに分かった。子供が自分で選ぶ。それだけのことがあまりにも当たり前で、あまりにも正しく思えた。だから、広がった。止めようもなく。
王宮が、気づいたときには、もう、十いくつの村と町で儀式が置き換わっていた。
そして、それを止める法律は無かった。
誰も、そんなことが起きると、思っていなかったから、判定石を使えという法はあった。でも、「判定石以外を使うな」という法は無かった。二百年、判定石以外の、選択肢が存在しなかったから、禁じる必要が無かったんだ。
法の空白を、伝播がすり抜けていた。
ハウゼンがその報せを持ってきたとき、俺はしばらく言葉が出なかった。
「俺は何もしていない」
俺は言った。
「号令もかけていない。旗も掲げていない。……なのに」
「お前が蒔いたんだ」
ハウゼンは言った。
「ヨナに教えた。ヨナが仲間に伝えた。仲間が村でやってみた。お前が、いつも、言っていた、通りだ。一人ずつ、号令じゃなくて。お前は、種を蒔いた。あとは、種が勝手に育った」
俺は窓の外を見た。
丘の下で、今日も、地脈杭が直されている。王都側から一本ずつ。……その、同じ若い刻印士たちが、杭を直しながら、儀式を置き換えていた。俺の見つけた順序で、杭を直すように。自分たちで見つけた正しさで儀式を変えていた。
止められない、と俺は思った。
これは、もう、止められない。俺にも、家にも、王家にも。一度、子供が自分で、選ぶことを知ってしまえば、差し込まれる方へ戻る理由が無い。杭が直れば、王都が明るくなって、暗い頃に戻れないように。子供が選べば、選べる世界になって、選べない頃には戻れない。
その夜、レンが俺の隣に来た。
「ヨナ、捕まったんでしょ」
レンは言った。
「……ああ」
「大丈夫かな」
「分からない」
俺は正直に言った。俺の代わりに捕らえられたヨナのことを思うと胸が痛んだ。俺が、蒔いた種を掲げながら。
「でも、レン。……ヨナが蒔いたものも育ってる。辺境の村で、子供が自分で属性を選び始めた。ヨナが捕まっても、それは止まらない」
レンは、しばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「その子たちは。……あたしと違うね」
俺は、レンを見た。
「その子たちは選べる。あたしは、選べない。……でも」
レンは、少し笑って、続けた。
「あたしが、剥がさなくても、その子たちは、生まれた時から選べるんだ。あたし、その子たちには要らないんだ。それって、いいことだよね。あたしみたいなのが、要らない世界。あたしは、そういう世界を、作る側にいる」
俺は、何も言えなかった。
この子は、また、自分が要らなくなる世界を誇らしげに肯定していた。でも、その言葉の奥に何があるのか。俺には決めつけられなかった。だから、ただ、事実だけを言った。
「レン。……レンが自由になる方法。まだ、諦めてないからな。その子たちが、選べるように、レンもいつか選べるように必ず調べる」
「必ず、って、言った」
レンが言った。
「あんた、確かめてないことは、言わないんじゃ、なかった?」
俺は詰まった。
その通りだった。必ず、なんて確かめていない。……でも。
「……言った」
俺は言った。
「初めて、確かめてないことを言った。レンには、それだけは言いたかった」
レンは、少し笑った。
「変なの」
でも、その顔は、嫌そうじゃなかった。




