第40話 反逆者
オルグレンが検証を始めて、半月が経った頃だった。
噂は思ったより早く漏れた。学院で遺稿の写しを検める者。判定石の古い図面を取り寄せる者。属性の術式をあらためて調べ直す者。……検証は一人ではできない。オルグレンは何人かの学者を動かした。動けば目につく。学院という場所はそういう場所だった。
誰かが気づいた。学院長が属性を疑う調査を始めた、と。
その誰かが家に伝えた。
ハウゼンが詰所に報せに来たのは雨の夜だった。
「ケイルが動いた」
ハウゼンは言った。
「学院に来た。オルグレンと長いこと話し込んでいた。……何を、話したかは分からん。だが、オルグレンの顔色が、変わった、と聞いた」
俺は嫌な予感がした。ケイル卿、属性の秩序を重んじる人。家の考えに近い人。その人が検証を嗅ぎつけた。
三日後。
王宮から学院へ書状が届いた。
オルグレンが俺を呼んだ。今度は学院長室じゃなかった。詰所に近い地脈杭の、測定小屋に一人で来た。人目を避けるように。
「桐島君」
オルグレンの顔は半月前よりずっと疲れていた。
「王命が下った」
彼は書状を見せなかった。ただ内容を告げた。
「ひとつ、学院における属性に関する一切の調査を中止せよ。ふたつ、属性の真実を騙り、王権の根拠を貶めんとする危険人物を速やかに捕らえ、王宮に引き渡せ。その危険人物の名は」
オルグレンは俺を見た。
「桐島蒼。君だ」
俺は、しばらく言葉が出なかった。
「……王権の根拠を貶める?」
「ケイル卿が王宮に上奏したそうだ」
オルグレンは言った。
「異世界から来た素性の知れぬ男が、王家の光の属性すら偽物だと言いふらそうとしている。これは王権への反逆である、と」
俺は理解した。
家は真実を真実として争わなかった。属性が後付けかどうかなんて争点にしなかった。もっと、上手くやった。俺を反逆者に仕立てたんだ。
「違います」
俺は言った。
「俺は王権を否定してません。属性が後付けだ、というのは事実です。でも、それは、王家から光を奪えという話じゃない。……俺は、誰の属性も奪いません。ただ、選べるようにするだけです」
「私にも分かっている」
オルグレンは言った。
「君の記録を読んだ。君は王権を否定していない。だが、桐島君。それは、もう、関係ないんだ」
彼は疲れた目で俺を見た。
「争点がすり替えられた。属性が後付けかどうか、は、もう問われていない。問われているのは、君が王に逆らう者か、否か、だ。そして、王命は、君を逆らう者だと、断じた。……真実かどうかは関係ない。王がそう言えばそうなる。それが王権だ」
真実を争えば、俺には勝ち目があった。数字があり、証拠があった。でも、家は、真実を争わなかった。忠誠を争点にした。王に従うか、逆らうか。そこに、数字は通用しない。証拠は意味をなさない。
「私は」
オルグレンは言った。声が掠れていた。
「規則で動く男だ。王命は、この国の最上位の規則だ。学院長は王命に従わねばならない。君を捕らえて引き渡し、検証を中止する。それが規則だ」
「そうですか」
「だが」
オルグレンは続けた。
「私は、君の記録を読んでしまった。あれが事実だと私はもう半分知っている。間違った土台の規則に従って、正しい記録を封じ、正しいことを言った男を王宮に引き渡す。それが、規則で動くということなら」
彼は言葉を切った。
「私は初めて規則に従いたくない、と思っている」
部屋が静かだった。雨の音だけがしていた。
「三日待つ」
オルグレンは言った。
「私が王命を受理し、動くまで三日かかる。手続きが要る。その三日で、君がどこかへ消えても、私は探すのが遅れるかもしれない。規則で動く男は、手続きに時間がかかるものだ」
それは、この人にできる精一杯の逃げ道だった。規則を破らずに、手続きの遅さを装って、俺を逃がそうとしていた。
「先生」
「言うな」
オルグレンは遮った。
「私は何もしていない。ただ、手続きに時間がかかるだけだ。行け」
詰所に戻ると、三人が待っていた。アリシアと、レンと、ハウゼン。
俺は王命のことを話した。
部屋が静かになった。
「家が王家を動かした」
アリシアが青い顔で言った。
「私の家が、属性の真実を隠すために王権を盾にした。王に逆らう者だと、桐島さんを犯罪者にした」
彼女は拳を握った。
「昨日、家の使いが、私のところにも来ました。戻ってこい、と。家の娘なら、家の側につけ、と。桐島から離れれば悪いようにはしない、と」
「アリシアさん」
「断りました」
アリシアはまっすぐに言った。
「私はもう決めています。でも、家はしつこい。次は力ずくかもしれません」
レンは、黙って聞いていた。
この子の危険が一番大きかった。俺は反逆者。アリシアは家の娘。でも、レンは、属性が後付けである生きた証拠。王権の根拠が嘘だという動く証拠。王家が本気で、真実を消そうとするなら、真っ先に消されるのは。
「レン」
俺は言った。
「レンを安全な場所に。ここは、もう危ない」
「やだ」
レンは、即座に言った。
「あたし、逃げない。あんたといる。一人で、隠れてるの、やだ」
「レン、今度は本当に危ない」
「知ってる」
レンは俺を見た。
「あたしが、一番、狙われてるんでしょ。属性、無いから。証拠だから。分かってる。でも、だからこそ、あたし、隠れない。あたしが、隠れたら。あたしみたいな子は、隠れるしかない、ってことに、なる。あたしは、隠れない。堂々といる。それが、あたしの抵抗」
俺はこの子を止められなかった。
いつもそうだ。守ろうとすると、この子は自分で選んで前に出る。
その夜、俺たちは動かなかった。
オルグレンがくれた三日。その三日で逃げるべきだった。詰所を出てどこかへ。王都を離れて、でも、俺は動けなかった。
逃げてどうなる。
逃げれば、俺は、本当に反逆者になる。逃げたという事実が俺の罪を認めることになる。……そして、逃げても、追われる。王家が本気ならこの国のどこにも隠れる場所は無い。学院が安全じゃなかったように、詰所にもいずれ追手が来る。
じゃあどうする。
俺は、机の前で考え続けた。答えが出なかった。……初めて、本当に答えが出なかった。地脈杭にも属性にも答えがあった。確かめれば、道があった。……でも、これは、忠誠か、反逆かという真実の通じない土俵だ。ここには確かめる余地が無い。数字も証拠も意味をなさない。
俺のやり方が通じない場所に俺は立たされていた。
三日目の朝だった。
ハウゼンが血相を変えて詰所に飛び込んできた。
「桐島。……学院で騒ぎが起きている」
「騒ぎ?」
「学生と若い刻印士が、集まっている。学院の前庭に何十人も。お前を引き渡すな、と。検証を続けろ、と。……声を上げている」
俺は耳を疑った。
「……誰がそんなことを」
「ヨナだ」
ハウゼンは言った。
「あの若い刻印士が、仲間を集めた。全面改修の見習いたちと、学院の学生を。お前が反逆者にされた、と聞いて集まってきた」
俺は立ち上がっていた。
「やめさせないと。あの子たちが巻き込まれる。反逆者に味方したらあの子たちまで」
「もう、遅い」
ハウゼンは言った。
「止まらん。あいつらはこう言っている。俺たちは、王に逆らってない。ただ、確かめさせろ、と言っているだけだ。真実かどうかを確かめることのどこが反逆なのか、と」
俺は動きを止めた。
確かめさせろ。
俺が教えたわけじゃない。号令をかけたわけじゃない。……でも、あの子たちは、俺の一番大事な言葉を掲げていた。確かめる。疑う。事実を見る。……ヨナに教えたそれだけのことが、ヨナから仲間へ、仲間から学生へ伝わって、今、学院の前庭で声になっていた。
俺が蒔いたものが、俺の知らないところで、育っていた。
「行きます」
俺は言った。
「駄目だ」
ハウゼンが止めた。
「お前が行けば捕まる。前庭には、もう、王宮の兵が向かっているという話だ。お前がのこのこと行けば、それこそ家の思う壺だ。反逆者が群衆を煽ったという絵になる」
俺は拳を握った。
行けば捕まる。行かなければ、あの子たちが、俺の代わりに、危険を背負う。……どちらも、選べなかった。
窓の外で雨が上がっていた。
遠く丘の向こうの学院の方から、大勢の確かめさせろ、という声が聞こえた気がした。俺の蒔いた、たった一つの言葉が大勢の声になって。
止められない伝播が、今度は、俺を守る側に回ろうとしていた。
でも、その代償が何になるのか。俺には、まだ、分からなかった。




