第4話 魔法の起源
学院に置いてもらって、ひと月が経った。
レンは相変わらず、飯だけを食べに来る。研究の対象だとアリシアに話したら、すんなり受け入れてくれた。おかげで彼女は、学院の中を自由に歩き回っている。
そんな中、俺はこの世界の文字をようやく拾い読みできる程度になった。辞書がないので、アリシアに一つずつ聞いて覚えるしかなかった。おかげで語彙は偏っている——「魔力」「術式」「詠唱」は書けるのに、「ありがとう」がまだ書けない。何とか、書かれている意味を推測できる程度にはなってきたと思う。
その日、俺はアリシアの案内で魔法学院の書庫を訪れた。やっと研究員らしいことができると心が弾んだ。当然の如く、こういった場所にはレンはついてこなかった。
書庫には数万冊もの魔法書が並んでいた。
俺は目を輝かせ、
「全部読んでいいんですか?」
とアリシアに言うと、アリシアは苦笑して言った。
「全部読む人はいません」
俺は一冊の古い魔法書を棚から取り出し開いた。風魔法。火魔法。水魔法。土魔法。結界術。どれも術式だけが載っており、しかし説明は短かった。
『風を起こす術式』 『火球を発生させる』 『水を出す方式』『土の壁をつくる』『魔法の壁をつくる』
それだけだった。俺はページをめくった。また同じ。また同じ。そして本を閉じた。俺はアリシアに疑問を投げかけた。
「変ですね」
アリシアが首を傾げた。
「何がですか?」
俺は本を机へ置いた。
「設計思想が一切残っていません」
「設計思想?」
「どうしてこの形になったのかが一文字も書いてない」
俺は書庫に置いてあった黒板を借りた。古い魔法書を二冊、黒板の受けに開いて並べ、火魔法の魔法陣を見比べた。
「この二つ、同じ魔法ですよね」
「ええ、火魔法の魔法陣です」
「でも構造が違います」
アリシアが目を瞬かせた。そんな見方は初めてだ、という顔だった。俺は続けた。
「こちらは魔力効率を優先。ほら、これは中心核が大きくなっている。こちらは外周円が三重になっていて安定性を優先。明らかに設計者が違う」
アリシアは黒板の二つを見比べた。長い間、何も言わなかった。暗記していたはずの術式を、初めて見る物のように見ていた。
「でも……」
アリシアは呟いた。
「なぜそうなのかは、教科書には書いてありません」
「だからです」
俺は答え、続けた。
「書いてないことが問題なんです」
俺は棚から年代の違う本を何冊も持ってきた。
四百年前。三百年前。二百年前。術式を黒板に並べ始めた。すると共通点が見えてきた。
「古い術式ほど単純ですね。それに模様が綺麗だし、対称性があって、美しい」
俺は素直に感想を言った。アリシアが頷いた。
「ええ。無駄がありません。魔法陣は、外周の円が魔力の安定と範囲を決めます」
「その内側の星は」
「司る魔法の種別を示します。星を繋ぐ文字が、それを言葉にしたもの」
「じゃあ真ん中は」
「中心核。魔力の源です。……昔に戻るほど、この四つがはっきり見えます」
アリシアの説明を聞いて、俺は言った。
「その説明通りに考えると、新しい術式は継ぎ足しだらけですね」
「……修正に修正を重ねている、ということですか」
アリシアは黒板を見たまま言った。
「それだけ独自性が出てきた、とも言えます。でも、説明がないから、どういう意図でそうなったのかが分からない」
「俺も前の世界で経験があるんですが」
と俺は言った。
「コメントのない、動いているコードに、後任がパッチだけ当てて動かし続けている。そういう状態です」
アリシアが息を呑んだ。何か言おうとして、言葉が見つからないようだった。
俺は二百年前の一冊をもう一度開いた。そこで手が止まった。
一枚だけ、他とは違うページがあった。そこには珍しく文章が書かれていた。
『術式を写す者は職人である。
術式を理解する者は研究者である。
術式を創る者だけが未来を残す』
その下に『エルドレイン』と署名があった。
アリシアは目を見開いた。
「そんな……」
「祖先は……」
「理解しろと言っていた?」
俺は静かに頷いた。そして、話した。
「少なくとも、この人は暗記なんてさせる気はありません。理解したうえで、新しい物を創れと書いている」
俺は本から顔を上げた。
「俺、分かってきました」
「何がですか?」
「俺がこの世界へ来た理由です」
俺は本棚を見渡した。何万冊もの魔法書が見えた。そのどれにも、答えは書かれていなかった。
「この世界は魔法を失ったんじゃない」
「魔法の考え方を失ったんです」
アリシアはその言葉を繰り返した。
「魔法の……考え方」
俺は笑った。エンジニアが難しいバグを見つけたときの顔だった。
「探しましょう」
アリシアが聞いた。
「何をですか」
俺は本棚の奥を指した。
「世界で最初の設計書です」
アリシアは首を傾げた。
「設計書?」
「この世界の魔法には必ず原型があります」
「コメントも仕様書も残っていないなら」
「最初に作った人の設計書を探せばいい」
その瞬間だった。
書棚の奥で、一冊だけ、構造が浮き上がって見えた。




