第35話 決意
ヨナが次に来たとき、様子が違った。
いつもの明るい問う顔じゃなかった。少し硬い顔で詰所に入ってきた。
「桐島さん。……この前の話なんですが」
属性のことだとすぐ分かった。
「あれから考えて。……僕、他の見習いにも聞いてみたんです。属性の分布が身分と対応しすぎてる、って話。血筋ならもっとばらけるはずなのにって。……そしたら」
ヨナは声を落とした。
「僕だけじゃなかった。三人、四人、同じことに気づいてる奴がいました。全面改修で方々を回った刻印士は、みんな見てるんです。王都は光と火、辺境は土ばかり、っていうあの偏りを。……口には出さなかっただけで。血じゃ説明できない、って、薄々、思ってた奴が何人もいた」
俺は息を止めた。
一人じゃない。もう、四人、五人。全面改修で王国中を見て回った若い刻印士たち。大勢の属性を記録として見る立場の彼らが、それぞれ同じ偏りに気づいていた。俺が一言も言わないうちに。……属性と身分が対応しすぎている。血筋ならばらけるはずのものがきれいに並んでいる。データが目の前にあったんだ。ずっと。ただ、誰も、それを疑う目で見ていなかっただけで。
「ヨナ。……その話を大きな声でしましたか。誰かに」
「いえ。まだ見習い同士でだけ。……でも」
ヨナは俺を見た。
「隠してもいられないと思います。一度、あの偏りに気づいたら、もう、見なかったことにはできない。……いつか、誰かが大きな声で言う。属性は、身分に合わせて指定されてる、って。証拠を探し始める奴も出るかもしれない。……そうなったら、どうなるんですか。属性で身分が決まってるこの国で、属性の格が生まれつきじゃ、なくて指定されたものだなんて言い出したら」
賢い子だった。ヨナはその先の危険まで見えていた。
属性がおかしい、と証拠もなく叫べば、それは身分制度への攻撃になる。混乱が起きる。誰かが罰せられる。……最初に疑いを口にした若い刻印士たちが、あるいは、属性の無いレンのような子が真っ先に処分される。
「……分かりました」
俺は言った。
「ヨナ。待ってください。あなたとあなたの仲間に頼みたいことがある。……疑いは正しい。でも証拠もなく叫ばないで。俺がちゃんとした形で答えを出せると思います。確かめた証拠と一緒にね。混乱じゃなくて、もっと良い形で」
「桐島さん、あなたは何かを知っているのですね」
ヨナは俺を探るような目で見つめると、言った。
「……いつですか」
急ぐな、と書いてきた自分に逆らって俺は言った。
「近いうちに、必ず」
ヨナが帰った後、俺は机の前で動けなかった。
なぜ、俺はヨナに待つように言ってしまったのだろう。俺がいなくても、ヨナたちが調べた結果で真実は勝手に広まる。
……でも、放っておけなかった。
草原で地脈杭のバグを見つけたときと同じだ。属性は後付けで付け替えられる。分かったバグを、俺は放っておくことができない。それで、前の世界で働きすぎて死んだのに。……見つけたバグを直さずにいられない。それが俺だ。
それに。
前の世界で俺は山ほどコードを書いて、その書いたコードの意味を書かずに死んだ。俺の作ったものは、たぶん、今も理由の分からないまま誰かに写されている。……この世界の魔法書みたいに。俺は設計思想を失わせた側の一人だ。二百年前のエルドレインと同じ。
だから、ヨナが問うた答えを知っている俺は、それを遺したい。理由を書いて、説明したい。……前の世界でできなかったことだから。
これは使命じゃない。
俺の人生のやり直しだ。
俺が答えを用意しないといけない。
真実と道具を両方。属性は後付けだ。そして、こうすれば付け替えられる、選び直せる。……その「こうすれば」が、まだ無い。術式では付け替えられた。でも、人では、まだ、一度も試していない。人でできると証明できていないものを公表しても、それは、絵に描いた餅だ。選択肢にならない。
人で試さないといけない。
でも、誰を。
その問いに俺はずっと蓋をしてきた。人の魔力は壊しちゃいけない。エルドレインは抜こうとして何人も壊した。俺の付け替えは抜くより安全なはずだ。境もレンが見える。……でも、理論上だ。人でやったことは無い。失敗したらその人は壊れる。魔力を損なう。二度と魔法が使えなくなるかもしれない。……あるいは、もっと悪いことに。
そんな危険を誰に負わせられる。
俺は頭を抱えた。
答えは出なかった。
その夜、アリシアが俺の向かいに座った。
ずっと、黙って、俺の様子を見ていた人が。静かに口を開いた。
「桐島さん。……人で試さないといけないんですね」
「聞いてましたか」
「ヨナ君の話も。あなたが悩んでいることも。……ずっと」
彼女はまっすぐ俺を見た。
「私がやります」
俺は顔を上げた。
「火から水に、付け替えてください。……そして、また、火に戻す。私で試してください」
「駄目です」
俺は即座に言った。
「危険すぎる。失敗したら、アリシアさんの魔力が壊れる。二度と火が使えなくなるかもしれない。……いや、それだけじゃない。エルドレインは何人も壊した。人が壊れるっていうのは、魔力を失うだけじゃなくて、もっと——」
「分かっています」
アリシアは静かに言った。
「全部、遺稿で読みました。属性を抜けば人が壊れる。素の魔力ごと削れて、最悪死が待っています。死なずとも、心を、損なう。……自分が誰かも、分からなくなる。……あなたの付け替えが、それより安全だという保証はまだ無い。……私が、最初の一人になれば、私がその最初に壊れる一人になるかもしれない。分かった上で言っています」
「だったらなおさら」
「桐島さん」
彼女は俺を遮った。
「あなたは私を実験台にしようとは思っていません。それは分かっています。しかし、あなたは、誰にも頼めなくて悩んでいる。……だから、私が自分で言っています。あなたが頼んだんじゃない。私が選んだんです」
俺は言葉に詰まった。
レンのときと同じだった。俺が頼むのは違う。でも、本人が選ぶのは本人の権利だ。……その理屈は分かる。分かるけど。俺は狡い気がした。
「なぜ、アリシアさんが」
俺は聞いた。
「他にいないからですか。それなら俺はもっと探します。時間をかけて」
「時間は無いと、あなたがさっき言いました」
「それでも」
「私がやるべきだからです。……私の家が、二百年前、人から選択を奪いました。本人に問わずに何百万人にも属性を差し込んだ。……その償いを私はずっと探していました。取り消すことはできない。……でも、選び直せることを証明するなら」
アリシアは言った。声が少し震えた。でも、揺れてはいなかった。彼女は続けた。
「私が最初に選び直します。私の家が差し込んだこの火の属性を、一度、水に、変えて。……そして、今度は私の意志で火を選びます。……そうすれば、二百年前、私の家が奪った選択を、私が私の身体で取り戻してみせられる。それが私の答えです。家の罪の続きに私が書く答え」
俺は彼女を見た。
この人は償いのために身体を差し出そうとしている。……でも、それは悲壮な自己犠牲じゃなかった。彼女の目はむしろ澄んでいて、長く探していた答えをやっと見つけた人の目だった。
「熟練は残ります」
俺はほとんど、無意識に言った。
「え?」
「もし、成功すれば、火を水に変えても、アリシアさんの火の熟練はフレームに残る。……水の間は初心者です。弱い水しか出ない。でも、また、火に戻せば、十年あまりの火の熟練は、そのまま使える。……はずです。術式ではそうでした。核を替えてもフレームは残った」
「私の火は」
アリシアの声が小さくなった。
「一度、手放しても、……戻ってくる、と」
「理論上は、……でも、それを、確かめるのがこの実験です。確かめてないことを断言はできません」
アリシアは、少し笑った。
「あなたらしい。……確かめてないことは言わない」
「はい」
「でも、その確かめてないことを。……私が私の身体で確かめます。私の火が手放しても戻ってくるか。……戻ってきたら、それは、私の火が差し込まれたものじゃなくて、私のものだった、っていう、証明になる。私の十年あまりが私のものだった、って」
俺は、もう、止められないと分かった。
この人は償いのためだけじゃない。自分の火が本当に自分のものか、それを確かめたがっている。第二の理由がここにあった。俺が止めても、この人はいつか自分で確かめようとするだろう。
「……分かりました」
俺は言った。
「でも、条件があります。俺のやり方でやらせてください」
「やり方?」
「地脈杭と同じです。いきなり全部はやらない。まず、火から、水へ。一番小さい一歩だけ。……危険な兆候が少しでもあったらすぐに戻す。レンに境を見張ってもらう。エルドレインが見えなかった境を、レンが見て少しでも素の魔力に触れそうになったら、そこで止める。……全部、測りながら、記録しながら、ひとつずつ」
「レンにも頼むんですか」
「レンが望めば、……頼みません。望めば頼む。レンが嫌なら、別の方法を探します」
アリシアは頷いた。
「あなたらしい条件です」
「怖くないですか」
俺は聞いた。
アリシアは、少し、考えて言った。
「怖いです。……でも、怖いってことは、大事なことだってことなんでしょう? あなたがいつも言っている」
俺は自分の言葉が返ってきて、何も言えなかった。
その夜、俺はメモを開いた。
『アリシアが志願。火→水→火。本人の意志。俺は頼んでいない。彼女が選んだ。理由:家の罪の償い(奪われた選択を、自らの身体で取り戻す)+自分の火が本当に自分のものか確かめるため。』
その下に書いた。
『条件:地脈杭と同じ。最小の一歩から。レンが境を見張る(本人が望めば)。危険の兆候で即中止。全て測定・記録。急がずひとつずつ。』
そして、一番下に。
書こうとして、ペンが止まった。
俺は、一人の人間の身体に手を入れようとしている。エルドレインが、何人も壊したその領域に入る。……もし、失敗したら、俺の計算違いでアリシアが壊れ、アリシアの人生が終わる。
急ぐな、と書いてきた。
でも、時間は無い。ヨナたちが属性を疑い始めた。真実が曝け出され、民が暴れ出す前に、答えを用意しないといけない。
急いではいけない。でも、遅れてもいけない。
その、狭くて細い線の上を、アリシアが自分から歩こうとしている。
俺は、メモの一番下に一行だけ書いた。
『必ず、成功させる。……いや、この言い方はいけない』
消した。
『全力で確かめる。彼女を壊さないために。ひとつずつ』
そう、書き直して、ペンを置いた。
必ず成功するなんて、確かめてないことは書けない。俺に書けるのは、全力で確かめるそれだけだった。




