第33話 近道
詰所での最初の仕事は、弱い水球をまともにすることだった。
火球のフレームに水の核を入れて、水球を出す。出るには出た。でも、弱い。歪んでいる。フレームが火用に馴染んでいるからだ。……このままじゃ、誰も選ばない。属性を選び直したら、前より下手になる。それじゃ、意味が無い。
だから、付け替えた後、フレームを水用に調整し直す。それが課題だった。
俺はやってみた。
火のフレームは、外周と星と文字でできている。火が一番うまく出るように線の太さも、角度も、間隔も、火に合わせてある。……これを、水に合わせ直せばいい。理屈はそうだ。
でも、水に合わせ直すってどうやる。
水がうまく出るフレームがどういう形か。俺は知らない。火のフレームは、目の前にある。でも、水のフレームは——それを一から設計するには、水の術式を隅から隅まで理解しないといけない。なぜ、水のフレームはその形なのか。どの線が何をしているのか。……理解して、初めて火のフレームを水用に直せる。
俺は、まだ、そこまで水を理解していなかった。
三日やった。
うまくいかなかった。線を一本変えると、少し、良くなる。でも、別のところが歪む。また、直す。また、別が歪む。……手探りだった。理解じゃなくて、当てずっぽうだった。
四日目に、俺は、近道を思いついた。
水球の術式なら、教科書に載っている。ちゃんと水が出る完成された水のフレーム。それを写せばいい。俺の付け替えた術式のフレームをその教科書の水のフレームにそっくり置き換える。……そうすれば、うまく出る水球になるはずだ。
俺はやってみた。
教科書の水のフレームを写して。付け替えた術式に当てはめて。
水球が出た。今度はまともだった。強くて歪みも少ない。
「……できた」
アリシアが覗き込んだ。
「教科書の水のフレームを写して。……ちゃんとした水球になりました」
できた。近道があった。フレームを理解しなくてもうまくいっているフレームを、写せばいい。……そう、思った。
でも、俺の手は止まっていた。
何かおかしかった。
俺はそのまともな水球の術式を見ていた。
教科書の水のフレーム。俺はそれを写した。なぜ、その形なのかは分からないまま。どの線が、何をしているのかも分からないまま。ただ、うまく出るから写した。
……写した。
俺はそこで気づいた。血の気が引いた。
これは、この世界を駄目にしたあのやり方だ。
うまくいくものを理解しないで写す。なぜ、そうなのかを知らないまま形だけ真似る。……属性を差し込んで、暗記で魔法を使えるようにした、あの写す魔法。二百年、この世界を蝕んできたあの病。
俺は、今、それをやっていた。近道と呼んで。
フレームを理解せずに写してうまくいった、と喜んで。
俺が作ろうとしているのは、写す魔法から理解する魔法へ戻すことだったはずだ。なのに、俺自身が近道をして写していた。……作り直すどころか、同じ病をまた作っていた。
「アリシアさん。これは、駄目です」
俺は言った。
「え? ちゃんと、水球が」
「出ました。でも、俺は、この水のフレームを理解してない。写しただけです。……理解しないで写したものは、写した通りのことしかできない。教科書の水球しか出ない。少し、違うことをしようとしたら崩れる。なぜ、その形なのかを知らないから、応用がきかない」
俺は写した術式を指した。
「それに、もっと根本的な問題があります。……これは、人には使えない」
「人?」
「人の属性を付け替えるとき、その人のフレームは——熟練はその人が何年もかけて作ったものです。火の熟練、それを水に変えるとき、……教科書の水のフレームを写してその人に貼りつけるのか? 他人の熟練を写して、その人の熟練の代わりに?」
アリシアが息をのんだ。
「それは……その人の熟練じゃない」
「そうです。他人の写しです。……それをやったら、その人は水を使えるように見える。でも、それは、その人が理解して身につけた熟練じゃ、ない。写された借り物だ。……二百年前と同じです。属性を差し込まれて、暗記で使えるようになったあの人たちと。同じ」
俺は椅子にもたれた。
近道は無かった。
いや——近道はあった。でも、その近道は俺が壊そうとしている病そのものだった。フレームを理解せずに写す。他人の熟練を借りて貼りつける。それをやればうまくいく。速い。楽だ。……でも、それは写す魔法だ。理解の無い魔法だ。
付け替えた属性をちゃんと使えるようにする正しいやり方はひとつしかない。
その人が、新しい属性を一から理解して、練習して、身につける。時間をかけて、試行錯誤して、……熟練を自分で作る。
近道は無い。
属性は付け替えられる。それはできる。自由に選べる。……でも、選んだ属性を使いこなせるかはその人次第だ。一からやり直し。何年もかかる。楽じゃない。
フレームワークが、与えられるのは、選ぶ自由だけだ。
熟練は与えられない。それはいつも本人が作るものだ。
「……それでいいんです」
俺は言った。声に出して。自分に言い聞かせるように。
「属性を選び直せる。でも、選んだら、一から。近道は無い。……それでいい。むしろ、それが正しい。もし、近道があったら、写すだけで達人になれたら、……それは、また、写す魔法になる。理解の無い魔法に。それじゃ、意味が無い」
アリシアが、静かに言った。
「桐島さん。……それは、私の火にも言えることですね」
「え」
「私の火の熟練は写せない。誰にも貸せない。……私が、十年あまりかけて作ったものだから。誰かに写して渡すこともできないし、誰かの熟練を写して私のものにすることもできない。……私だけのものだから」
彼女の声は静かだった。でも、揺れていなかった。作り直すと決めてから、初めて、彼女の声から迷いが消えていた。
「核は差し込まれた。でも、熟練は写せない。だから、熟練だけは最初から、最後まで私のものだったんです。……近道が無いから。誰も、私からそれを写し取れない」
近道が無いことが、この人にとっては救いだった。近道があれば熟練は写せる。写せるなら与えられたものと変わらない。……でも、近道が無いから、熟練は写せない。写せないから本人だけのものになる。
「近道が無いのは」
俺は言った。
「不便なようで、……いいことなのかもしれません」
その夜、俺はメモに書いた。
『フレーム再調整に近道は無い。他フレームの写しは写す魔法の再生産。病そのもの。正しい道は、本人が新属性を一から理解・練習して熟練を作ること。時間がかかる。それでいい』
その下に足した。
『フレームワークが与えるのは選ぶ自由のみ。熟練は与えない。熟練は常に本人が作る。写せない。ゆえに、誰のものにもなりようがない。本人だけのもの』
書いて、俺は少し考えてもう一行。
『人の付け替え:核を替えても、本人の熟練は残る。新属性では初心者。だが、元に戻せば、元の熟練はそのまま使えるはず。……理論上。要・人での検証。だが、誰を。急ぐな。』
誰を。
その三文字を俺は書いてから、じっと見ていた。
人で試すのは最後だ。人の魔力は、一番、壊しちゃいけない。……でも、いつか、誰かで試さないとこれは進まない。術式は紙だ。人は生きている。生きた魔力で核を付け替えて、また、戻して。熟練が残るか。……それを確かめないと。
でも、誰を。
俺は、その問いに、蓋をした。まだ、早い。フレームの再調整すら理屈が分かっただけで、実際にはまだできていない。人のことはそのずっと先だ。
急ぐなとまた自分に書いた。
窓の外で、丘の下の杭が一本、また、月に照らされていた。近道をせずに一本ずつ直された杭が。
近道は無い。
でも無いからこそ着実だった。写した杭は一本も無い。全部理解して直した。だから崩れない。
人もたぶんそうだ。
近道をせずに。一人ずつ。一から。




