第32話 決意
決めた翌朝、俺はさっそく現実に突き当たった。
この世界の魔法を作り直す。言うのは一晩でできた。だが、今日、何をするのかが分からない。
場所がない。学院はもう安全じゃない。
仕事の大きさも見えない。三百本の杭なら数えられた。だが、世界を作り直す仕事は、何人で何年かかるのか見当もつかなかった。
三人で部屋にこもって、術式を付け替えているだけで。この世界の身分の仕組みが、変わるのか。……変わるわけがない。三人じゃ、足りない。何万人、何百万人の属性を付け替えるのか。俺とレンとアリシアで。……無理だ。
朝から、俺は行き詰まっていた。
昼過ぎにハウゼンが訪ねてきた。
「話がある、と聞いた」
俺が、呼んだわけじゃなかった。アリシアが昨日のうちに伝えていたらしい。レンが、連れて行かれかけたことを。学院が安全でなくなったことを。
ハウゼンは、いつもの無愛想な顔で座った。
「聞いた。中庭の件」
「はい」
「学院は、もう駄目だ。あんたらが狙われる限り、塀は意味をなさん」
「……分かってます。でも他に行く場所が」
「地脈杭の詰所を使え」
俺は顔を上げた。
「北線の第十七杭の下に詰所がある。私が、四十年、使ってきた場所だ。今は、全面改修の拠点になっとる。刻印士も、測定係も出入りする。……人の出入りが多い場所は、かえって手を出しにくい。それに、あそこは、私の管轄だ。誰が来たか、全部、記録される。……家の使いが、来たらすぐ分かる」
「いいんですか」
「良くはない。面倒だ」
ハウゼンは、そっけなく言った。
「だが、あんたは、三十八年、誰も読まなかった私の記録を読んだ。……その借りは、まだ返しとらん。詰所くらい貸す」
俺は、頭を下げた。
三十八年、異常なし、と、書き続けた男のその記録の場所が。今、レンの、隠れ家になる。書いておけば、いつか、誰かの役に立つ。……こんな形で、役に立つとは思わなかった。
その日のうちに、俺たちは詰所に移った。
狭い石造りの建物だった。杭の測定道具と、ハウゼンの古い手帳の写しが棚に並んでいる。窓から、丘の下に改修中の地脈杭が見えた。刻印士が、一本、また一本、王都側から直している。俺が順序を見つけたその順序で。
レンは、詰所の隅に荷物を置いた。学院の部屋より狭い。でも、レンは少し落ち着いた顔をしていた。
「ここ、壁、隙間、いっぱい」
レンが言った。
「石を積んだだけの壁だから。隙間だらけ。……あたし、こういう場所の方が、落ち着く」
隙間だらけの壁。属性を持たない子が落ち着く場所。……皮肉な話だった。塀の高い、立派な学院より隙間だらけの詰所の方が、この子には安全だった。
夜、俺は、丘の下の杭を見ながら考えていた。
規模の問題だ。
三人じゃ、世界は変えられない。……でも、じゃあ、どうする。何万人を集めて、号令をかけるのか。俺が、旗を掲げて、みんなついてこい、と。……それは、できない。俺は、号令をかけない。事実を渡して、選ぶのはその人だ。……ずっと、そう、やってきた。それを、今さら、曲げるのか。
でも、号令をかけずに、どうやって世界を変える。
俺は、丘の下を見た。
杭が、一本ずつ直っていた。刻印士が、一本、直して、次の一本へ移る。誰も号令をかけていない。ただ、順序が正しいから、一本直すたびに、王都が、少し、明るくなる。一本ずつ。三百本。
……一本ずつ。
俺は、そこで気づいた。
世界を、一度に変える必要無いんだ。
地脈杭を、一度に三百本、直したわけじゃない。一本ずつ直した。順序が正しければ、一本目から効いた。……属性も同じじゃないか。
一人ずつでいい。
真実を知って、選びたいと思った人が一人。その人に真実と道具を渡す。その人が属性を選び直す。……そして、その人が次の一人に渡せるようにする。俺が全員に、渡す必要は無い。一人が一人に、渡せれば。それが、また、次の一人に。
号令じゃない。伝播だ。
一人が選んで、その隣の一人がそれを見て選ぶ。少しずつ。杭が一本ずつ直るように。……時間はかかる。何十年か。何世代か。でも、止まらない。一度、伝わり始めたら、止められない。写された記録が、消せなくなるのと同じだ。一人が知って、選んだら。その事実は、もう、消せない。
俺は、詰所の机でペンを握った。
規模は、まだ、数えられない。でも、やり方は見えた。
俺が作るのは、完成した新しい世界じゃない。俺が作るのは、一人が選べる道具と真実だ。そして、それを、次の一人に渡せる形にする。……教えられる形に。伝えられる形に。
だから、まず、術式の付け替えをちゃんと使えるものにしないといけない。
昨日の、水球は弱かった。歪んでいた。フレームが、火用に馴染んでいたから。……あんな弱い水しか出ないんじゃ、誰も選ばない。属性を選び直したら、前より下手になる。それじゃ、意味がない。
付け替えた後、フレームを新しい属性用に、調整し直す。その方法を見つけないと。……たぶん、それが次の課題だ。
俺は、メモに書いた。
『次の課題:付け替え後のフレーム再調整。弱い水球をまともな水球に。選び直した属性をちゃんと使えるように。……これができないと誰も選ばない。急ぐな。ひとつずつ。』
急ぐな、と、また書いた。
でも、ひとつずつ、なら。急がなくていい。一本ずつ、直せばいいんだ。一人ずつ、渡せばいい。世界を、一度に、変えようとしなくていい。……そう思うと、少し、楽になった。
規模は、数えられないままだ。でも、最初の一歩は数えられる。
次の課題は、ひとつ。フレームの再調整。
それをやる。まずそれだけを。
窓の外で、丘の下の杭が月に照らされていた。
明日も、刻印士が来て、一本、直すだろう。王都側から、順に。俺が見つけた順序で。
俺は、その一本ずつを見ていた。
二百年、動かなかったものが動き始めていた。一本ずつ。
世界も、たぶん、そうやって動く。
一人ずつ。




