第31話 創る者
その夜、俺は眠れなかった。
書けなかったペンを机に置いたまま、俺はずっと天井を見ていた。
守れなかった。学院の塀の内側で。俺が安全だと思っていた場所で。レンは連れて行かれかけた。アリシアがいなければ。
考えても、考えても、答えが出なかった。
どこに逃がせばいい。どこなら安全だ。……学院が駄目なら王都の外か。もっと遠くか。国の外か。……でも、どこへ行っても同じだ。属性の無い子はどこでも外れ者だ。この国が、この世界が、属性で人を分ける限り。逃げた先にも同じ壁がある。
安全な場所を探していた。
でも、無かった。この世界のどこにもレンがレンのまま安全でいられる場所は無い。
俺はそこで気づいた。
無いのは当たり前だ。
この世界は、レンのような子を安全にしないように作られているんだ。属性で人を分けて、属性の無い者を外に置くように。……設計思想だ。この世界の身分の設計思想。二百年前に、エルドレインの家が作った設計。
安全な場所が無いんじゃない。
安全な場所が無いように設計されているんだ。
それが分かったとき、俺の中で何かが変わった。
俺は、ずっと、この世界の中でレンの居場所を探していた。与えられた枠の中で。学院の塀の内側で、研究員という立場の中で、……でも、探しても無い。枠そのものが、レンを排除するようにできているから。
枠の中に答えは無い。
だったら、枠を作り直すしかない。
俺は起き上がった。
地脈杭のとき、俺はバグを直した。一本ずつ、パッチを当てた。三十八年前のハウゼンもそうした。順序を変えて直せるところまで行った。……でも、あれは、パッチだ。対症療法だ。壊れたところに継ぎを当てて動くようにする。
この世界の身分の仕組みは、パッチじゃ直らない。
根っこから間違っている。属性を生まれつきの身分として人に貼りつける。その設計そのものがバグだ。一本の杭の無限ループなんかじゃない。世界全体を貫く設計上の欠陥だ。
パッチじゃ足りない。設計から作り直すんだ。
俺は机の写しの束を見た。エルドレインの遺稿の写し。碑文の言葉を思い出した。
術式を写す者は職人である。
術式を理解する者は研究者である。
術式を創る者だけが未来を残す。
俺は、ずっと、研究者だった。
この世界の魔法を理解した。設計思想が失われたことを診断した。属性が後付けだと突き止めた。……理解した。全部理解した。でも、理解しただけだった。理解して、記録して、それで、満足していた。安全な研究者の場所で。
理解する者は未来を残さない。
残すのは創る者だけだ。
レンに未来を残すには、理解じゃ足りない。診断じゃ足りない。記録じゃ足りない。……属性で人を分けない新しい魔法の設計を創る。
俺は研究者でいることをやめる。
創る者になる。
レンがレンのまま生きられる世界に、アリシアが選ばされた火じゃなく、選んだ火を持てる世界に、属性の有る無しで人を分けない世界に、この世界の魔法を作り直す。
……そのために、この世界の秩序と正面からぶつかることになっても。
怖かった。
研究者でいる方が楽だ、安全だ。地脈杭で勝った。委員会に認められた。このまま行けば、俺はこの世界でまっとうな研究者になれるかもしれない。名前を得て、立場を得て。……静かに魔法を研究して暮らせる。前の世界で、働きすぎて、死んだ俺には、それは悪くない未来だった。
その未来を俺は捨てる。
捨てて、もっと、危ない道を行く。
でも、怖いってことは、大事なことだってことだ。いつも、そうだった。
朝になった。
俺は、アリシアとレンを書庫の小部屋に呼んだ。
二人が来た。アリシアは昨日の動揺を、まだ、引きずっているようだった。目が伏せがちだった。レンは俺の隣にいつもより近く座った。
「話があります」
俺は言った。
「昨日、俺はレンを守れなかった。学院、安全だと思っていた。違った。……どこにも安全な場所は無い。この世界のどこにも」
アリシアが顔を上げた。
「アリシアさんは、昨日、言いました。知らせない方が平穏なんじゃないか、と。二百年、家が、そうしてきたように。……その気持ちは分かります。俺もずっと迷ってた。でも」
俺は、二人を見た。
「安全な場所を探すのはやめます。……無いものを探しても見つからない。だから作ります」
「作る?」
アリシアが聞いた。
「安全な場所を作る。レンがレンのままいられる場所を。……この世界の中に、無いなら、この世界を作り直す。属性で人を分けない世界に。属性を生まれつきの身分じゃなくて、選べる部品にする。……そうすれば、属性の有る無しで、人を分ける意味が無くなる。レンは、欠陥じゃなくなる。守る必要すら無くなる。誰も、レンを連れて行こうとはしなくなる」
言いながら、俺は自分の声が震えているのに気づいた。
「そのために、俺は、研究者でいるのをやめます。理解するだけ、記録するだけ、じゃ、レンを守れない。……この世界の魔法を作り直す。それを俺の仕事にします。……たぶん、この世界の一番上の人たちとぶつかることになる。学院も追われるかもしれない。危険です。でもやります」
部屋が静かだった。
アリシアが、しばらくして口を開いた。
「……それは、知らせることとどう違うんですか。真実を知らせれば、世界が揺れる。レンが危険になる。私はそれが怖くて、昨日、迷いました。……作り直すことも、同じように世界を惑わせるんじゃないですか」
いい問いだった。
「違います」
俺は言った。
「ただ、知らせるだけなら、みんなに渡せるのは真実のひとつだけです。属性は後付けだ、と。……でも、その真実を聞いた人はどうすればいい? 属性を抜くのは危険だ。今のまま生きるしかない。……真実だけ渡されて、選択肢が無い。それは、混乱を生むだけです。怒りを生むだけです。だから、レンが危険になる」
俺は続けた。
「でも、作り直して、選べる仕組みがあれば、真実と一緒に選択肢も渡せる。属性は後付けだ。そして、こうすれば付け替えられる、無くせる、選び直せる。……真実と、道具を、両方渡す。そうすれば、混乱じゃ、なくて選択になる。怒りじゃ、なくて自由になる。……エルドレインが、言ったのはそれです。知らせて、選べるように、せよ。知らせるだけじゃ、駄目なんだ。選べる先を作らないと」
アリシアの目が揺れた。
「……知らせないことは封じる側の論理でした。私の家のやり方でした。でも、ただ知らせるだけも危うい。……その間に道があると」
「作ればあります。今は無い。だから作る」
アリシアはしばらく、俺を見ていた。
それから、深く、息を吐いた。昨日から、ずっと詰めていた息を吐くように。
「……私の家が、二百年前、人から選択を奪いました。私は、ずっとそれをどう償えばいいか分からずにいました。取り消すことはできない。知らせることは危ない。……でも、選択を作ることなら」
彼女は、顔を上げた。
「奪われた選択を作り直して、人に返す。それなら、私の家の罪の続きに、私が答えを書ける。……手伝わせてください。いえ。一緒にやらせてください」
レンが、俺の袖を引いた。
「あたしは」
「レン」
「あたしは何をすればいい?」
俺は、レンを見た。
この子の能力が要る。境が見える目が、フレームワークの鍵だ。……でも、それを俺から頼むのは違う。第一に危険だ。第二にレンを道具にする。……ケイル卿と同じになる。
「レンは」
俺は言った。
「何もしなくていい。レンは、ただ、レンでいてくれればいい。……俺たちが作るのは、レンがレンのままで生きられる世界だ。レンがそのために、何かをしなきゃいけない、っていうのはおかしい。レンはいるだけでいい」
レンは、しばらく、黙っていた。
それから言った。
「やだ」
「え」
「あたしもやる。いるだけなんてやだ。……あたしの隙間見えるやつ。あれ、作り直すのに、要るんでしょ。あんた、昨日、言いかけてやめた。あたし、気づいてた。……使えるうちに、使いたい。あたしの世界を、作るなら、あたしも作る側に、いたい。見てるだけは、やだ」
俺はレンを見た。
いつもこの子はこうだ。俺が守ろうとすると、自分で選んで前に出る。
「……頼む」
俺は言った。守るんじゃ、なくて、頼む。この子が選んだことを支える。
「うん」
レンが頷いた。初めて、昨日の怖い顔じゃなくて、いつもの顔で。
三人そろった。
構造が見える俺。文法が分かるアリシア。境が見えるレン。……この三人でないと、遺稿は読めなかった。そして、たぶん、この三人でないと新しい魔法は作れない。
異世界から、来た、俺。旧い世界の中枢に生まれたアリシア。旧い世界の一番外にいたレン。……外と内と下。この世界に、三つの違う場所から来た三人がこの世界を作り直す。
その夜、俺は久しぶりに、ペンを握った。
昨日は書けなかった。今日は書けた。
メモの新しい頁に俺は、一行、書いた。
『目的を変える。バグを直すのでも、真実を知らせるのでもない。この世界の魔法を作り直す。属性で人を分けない新しい設計を創る。……研究者をやめる。創る者になる』
書いて、俺はその一行を見つめた。
もう、後戻りはできない。書けば決意も残る。
二百年前、エルドレインは、途中で止められた。我が成し得ざりしことを——と、書いて途切れた。
その先を俺が書く。
我が成し得ざりしことを成す。
あなたの続きを。
第一部 完




