第29話 試作(新フレームワーク)
知らせると決めた。でも、その先が行き止まりだった。
知らせても、みんなにできることは二つしかない。今の属性のまま生きるか。危険を承知で抜くか。抜けば壊れる。……つまり、選択肢は、実際にはひとつしか無い。今のままいるしかない。
選べるようにする、と、エルドレインは言った。でも、選ぶ先が無い。
だったら作るしかない。
選ぶ先を。安全な、選択肢を。
俺は、机に、遺稿の写しを広げた。地脈杭のバグを見つけたときと、同じ姿勢で。目の前に不具合がある。直せないと、みんなが言う。でも、直せないというのは、たいてい正しくない。直し方を、まだ、誰も見つけていないというだけだ。
問題を整理した。
エルドレインは、属性を抜こうとした。抜けなかった。境目が見えないから、素の魔力ごと削れる。
でも、俺が、やりたいのは抜くことじゃない。
入れ替えることだ。
火を水に。あるいは無くす。あるいは、また、火に戻す。……抜いて、空っぽにするんじゃない。付け替える。
抜くのと、付け替えるのは違う。
抜くのは、引っこ抜いて、傷口をそのままにする。付け替えるのは、抜いたその場所に、すぐ、別のものを入れる。傷口を開けっぱなしにしない。……もしかしたら、その方が、安全なんじゃないか。空白の時間を作らなければ。
でも、それも境目が、見えなければできない。付け替えるにも、まず、属性と素の魔力の境を正確に掴まないと。どこまでが属性で、どこからが本人かを。
「人で、試すのは最後です」
俺は、アリシアに言った。
「エルドレインは、いきなり、人で試した。だから壊した。……俺は地脈杭でも、最初は、誰も使ってない末端の杭で試しました。壊しても誰も困らない場所で。人の魔力は、一番、壊しちゃいけないものだ。だから最後です」
「では、最初は」
「術式で試します」
俺は、写しの差し込みの図を指した。
「術式にも、中心核があります。そこに、属性が入ってる。……人と、同じ構造です。でも、術式は紙です。石です。壊れても、人は壊れない。まず、術式で属性を、付け替えられるか試す。それができてから、人のことを考えます」
人の前に術式。稼働中の前に末端。この作品を——いや、俺の仕事のやり方を、俺は、変えるつもりは無かった。
最初の試作は、一番、単純な術式にした。
火球の術式。教科書の最初に載っている基本のもの。俺はそれを写した。フレームを。外周、星、文字。そして、中心核に火の記号。
やりたいのは、この火の記号を水の記号に付け替えること。フレームはそのまま。核だけ入れ替える。うまくいけば、同じフレームから水球が出るはずだ。ひとつのフレームから、六種類全部作れる——遺稿の、二冊目にそうあった。だったら、核を入れ替えれば、術式は変わるはずだった。
理屈はそうだ。
でも、やってみると簡単じゃなかった。
火の記号は、フレームに溶け込んでいた。
俺には、構造が見える。見えるから分かった。中心核の火の記号は、ただ、置いてあるんじゃない。周りのフレームと細い線で無数に繋がっている。二百年——いや、この術式が書かれてから、その形で、馴染んでフレームと、核が一体になっていた。溶接されたみたいに。
これを、剥がすには、属性とフレームの境目を見なきゃいけない。
俺には、構造は見える。でも、境目は——溶け込んだその継ぎ目は、俺にもはっきりとは見えなかった。
エルドレインと同じ壁だった。
「レン」
俺は、呼びかけて止めた。
境が見える子。エルドレインに無かったもの。……でも、それはレンを使う考えだ。俺は口を閉じた。
「なに」
レンが聞いた。俺の顔を見ていた。
「……いや。なんでもない」
「あんた、今、あたしに、なんか頼もうとした」
「頼もうと、してやめた」
「なんで、やめたの」
俺は、正直に言った。
「レンを、便利な道具みたいに、使いたくないからだ。……前に、ケイル卿のとき、俺はレンを証拠として使おうとした。あれが嫌だった。だから、レンに頼るのをやめようとした」
レンは、しばらく俺を見ていた。
「あたしが、やりたいって言っても?」
「え」
「あんたが、あたしを使うのは駄目。でも、あたしがやりたくてやるのは、あたしが、決めることでしょ。……その、境目。あたし見てみたい。あたしにしか、見えないんでしょ。だったら見たい。使えるうちに」
使えるうちに。
この子は、いつもそう言う。無くなる前に使いたい、と。
「……見てくれるか」
「うん」
俺は頼んだ。使うんじゃない。頼む。この子が、自分で決めたことを支える。それならいい。あのケイル卿の日に決めたことに反しない。
レンが火球の術式の写しを覗き込んだ。
「……あるよ。境目」
「見えるか」
「うん。火の記号と周りの間。細い線で繋がってる。その線の根元に、境目、ある。……ここから、こっちが火。ここから、こっちがフレーム」
レンが、指でなぞった。俺には、見えない線を。でも、レンがなぞった通りに、俺が、構造を追うと——見えた。今まで、溶け込んで区別が、つかなかった継ぎ目が、レンの指の後を追うと浮かび上がってきた。
レンが境を示す。俺が構造として確かめる。
二人でないと見えなかった。開ける者と読む者。あのときと同じだ。今度は、示す者と確かめる者。
境目が見えれば。
俺はその継ぎ目に沿って、火の記号をフレームから切り離した。構造の上で。慎重に。境の内側だけを。周りのフレームには触れずに。
火の記号が外れた。フレームだけが残った。中心核が空いた。……遺稿の一冊目の、あの骨格図と、同じ形になった。
そこに、俺は水の記号を、入れた。
術式を発動させた。アリシアが詠唱した。
水球が——出た。
小さかった。歪んでいた。火球よりずっと弱々しい水の球。でも、水だった。火のフレームから水が出た。
「……できた」
アリシアが呟いた。
「フレームは、火のままなのに。核だけ水に変えて。……水が、出た」
でも、俺は、その弱々しい水球を見ていた。
「弱いです」
俺は言った。
「火球のフレームは、火のために調整されてる。外周も、星も、文字も、全部、火が、一番、うまく出るように、二百年、馴染んできた。……そこに、水の核を、入れても、フレームが水に合ってない。だから、弱い。歪む」
核は入れ替えられた。でも、フレームは火のまま。フレームが、火に馴染んだ分だけ、水はうまく出ない。
俺は、そこで気づいた。
核とフレームは別のものだ。
核が属性。フレームがその属性をどう扱うかの蓄積。……人で言えば。核が、差し込まれた属性で。フレームが——その属性を、二十年、いや、十年あまり、磨いた、熟練だ。
俺は、アリシアを、見た。
アリシアは、水球の消えた、跡を見ていた。
「アリシアさん。……もし、人がこれと同じなら」
「……はい」
「アリシアさんの火の熟練は。……核じゃ、なくてフレームの方です。核は、六つのときに差し込まれた火。でも、フレームはアリシアさんが自分で、十年あまりかけて作ったものだ。……もし、核を水に入れ替えても。アリシアさんのフレームは残る。火のために作ったフレームは消えない。だから、また、火に戻せば——熟練は、そのまま使えるはずです」
アリシアは、しばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「……私の熟練は。入れられたものを、磨いただけじゃなかった」
「はい」
「核は入れられた。でも、フレームは、私が作った。……私のものだった」
彼女の声が、少し、震えていた。あの、名簿を読んだ日に、彼女は言った。私の熟練は、入れられたものを磨いただけか、と。その問いに、今、術式の試作が答えていた。
核は与えられた。でも、熟練はあなたのものだ。
その夜、俺はメモを開いた。
試作の結果を書いた。
『火球の術式で核の付け替えに成功。火→水。境目は、レンが示し、俺が構造で確認。二人でないと境は見えない。……ただし、フレームが火用に馴染んでおり、水球は弱く歪む。核とフレームは別物。フレームは属性ごとの熟練に相当。付け替え後、フレームの再調整(=新しい属性での試行錯誤)が要る。近道は、無い。』
書いてから、俺は、その下に、足した。
『核=属性は、付け替えられる(術式で実証)。フレーム=熟練は、本人のもの。付け替えても消えない。……人でも、同じか。要検証。まだ、術式一つ。人まで、遠い。急ぐな。』
急ぐなと、また書いた。
術式ひとつ付け替えただけだ。しかも、弱い、歪んだ水球。人の魔力に届くまで、どれだけの試作が要るか分からない。二百年前の天才が、二十年、届かなかった場所だ。
でも、一歩は踏み出した。
エルドレインは、抜こうとして止まった。俺は、抜かずに付け替える道を見つけた。まだ、術式の上の話だ。でも、道はあった。無いと思われていた場所に。
いつもそうだった。直せないとみんなが言うものは、直し方が、まだ、見つかっていないだけだった。
俺は、明かりを消す前に、もう一度、弱々しい水球の残像を思い出した。
歪んでいた。弱かった。でも、あれは、火のフレームから生まれた水だった。
二百年、誰も見なかった水だ。




