第25話 エルドレイン卿
十日を四日使った。
四日で、五冊目を半分まで読んだ。急いでいた。急ぐと間違える。間違えないために確かめる。確かめると遅くなる。俺はその板挟みの中で、一枚ずつ進んだ。アリシアは、ほとんど寝ていなかった。レンが開けて、俺が構造を読み、アリシアが訳す。三人とも削れていった。
五冊目は、これまでと違った。
一冊目は、フレーム。二冊目は、術式への差し込み。三冊目は、人への差し込み。四冊目は、割り振りの名簿。
五冊目は、図が乱れていた。
線が震えている。四冊目までの几帳面な線じゃない。急いで、あるいは、迷いながら描いた線だ。ページによって、筆致が違う。同じ図を何度も描き直した跡もある。
「これは……取り消そうとしています」
俺は言った。
「差し込んだ属性を抜こうとしてる。人から。……逆の操作です。入れる図じゃなくて、抜く図だ」
図は、属性を差し込む手順を逆にたどっていた。
判定石で人に属性の膜を張りレイヤーを形成する。その、逆。張った属性のレイヤーを剥がして、元の無色の魔力に戻す。
「できるんですか。そんなことが」
アリシアが、聞いた。
「図の上ではやろうとしてます。……でも」
俺は、ページをめくった。同じ図が何度も描き直されていた。少しずつ、変えながら。うまくいかなかった跡だった。失敗の記録だ。試して、駄目で、また試した跡。
「難しかったみたいです。何度も失敗してる。……属性は、入れるのは簡単だ。空いてる場所に差し込むだけだから。でも、抜くのは難しい。二十年、その属性で生きてきた人の魔力から、それだけを抜く。……周りを傷つけずに」
傷つけずに。
その言葉で、俺は思い出した。
削り跡だ。二百年前、地脈杭の修正を消した名人。ザイフェルトが言った。「消すのは刻むより難しい。周りの線を傷つけずに、一本だけ抜く仕事だ」と。
抜く。傷つけずに。同じ言葉だった。
俺は、五冊目を読み進めた。
属性を抜く図の、次に、地脈杭の図が現れた。
見覚えのある形だった。俺が直したのと同じ杭。同じループ。そして、俺が入れたのと同じ場所に修正の線が描かれていた。
「これは、地脈杭の修正案です」
俺は、言った。声が、少し、震えた。
「俺が入れたのと、同じ、線だ。……エルドレインが描いてる」
次のページ。杭が、番号順に並んでいた。北線。王都に近い方から、順に。第四十一杭。第四十杭。第三十九杭……
「王都側から」
俺は言った。
「王都側から順に。……俺が、たどり着いた順序と同じだ。エルドレインは、知ってたんだ。王都側から直せば、一本目から効くことを。二百年前に、もう、知ってた」
ページには、七本まで、線が引かれていた。
第四十一杭から、七本。それより上流は、白紙だった。
七本。
ハウゼンが見つけた、削り跡と、同じ数。俺が、これから直そうとしている、七本と、同じ数。
「エルドレインが直したんだ」
俺は言った。
「二百年前。王都側から七本。……あの削り跡は、エルドレインの修正だった。そして、七本目で止まってる。止められたんだ」
部屋が静かだった。
全部が繋がった。
二百年前、エルドレインは、自分の作ったものを取り消そうとした。属性を人から抜こうとした。地脈杭のバグを直そうとした。原型を描き残そうとした。……失われる前の魔法を取り戻そうとした。
でも、止められた。
地脈杭の修正は、七本で止められ、削られて、消された。属性を抜く方法は、完成しなかった。原型の記録は、遺稿として封じられた。
止めたのは誰か。
答えは、もう、分かっていた。判定石の削り跡を消せる名人。属性を扱える家。エルドレインの身近にいて、彼のやろうとしていることを止められる立場にいた人間。
エルドレインの家だった。
自分の作ったものを取り消そうとした男を止めたのは、その男の家だった。属性の秩序で、二百年、食べていく家だった。取り消されたら困る家だった。
「アリシアさん」
俺は、彼女を見た。
アリシアは、地脈杭の図を見ていた。動かなかった。
「私の家は」
彼女が言った。声が掠れていた。
「作って、広めて、間違いに気づいた人を生みました。それが初代です。……そして、その初代が、取り消そうとしたのを止めた。削って、消して、封じた。……作ったのも家。気づいたのも家。止めたのも家」
「アリシアさん」
「一人の人間の中で起きたことじゃなかったんです。家の中で割れていた。取り消そうとした初代と、秩序を守ろうとしたその周りと。……初代は負けた。負けて、遺稿は封じられて、二百年、家は勝った方の物語だけを語ってきた。六属性を極め、偉大な血統、と」
彼女は、顔を上げた。
「桐島さん。あなたがやっていることは」
「はい」
「二百年前に、初代がやろうとして止められたことです。……あなたは、初代の続きをやっている」
俺は答えられなかった。
自分が地脈杭を直していたのは、ただ、バグを放っておけなかったからだ。エンジニアの習性だ。動いていないものを動くようにする。無駄をなくす。それだけのつもりだった。
でも、俺がたどった道は、二百年前に一人の男がたどって、途中で消された道だった。同じ順序で、同じ場所を、同じように直して。俺は、知らずにその男の七本目の続きを、八本目からやり直していた。
碑文を思い出した。
術式を創る者だけが未来を残す。
あれは警告だと、思っていた。写すだけになるな、という。……違ったのかもしれない。
あれは、依頼だったんじゃないか。
俺は、途中で、止められた。この続きを、いつか、誰かがやってくれ。理解する者が、創る者が現れて、俺の七本目の続きをやってくれ。……そういう、依頼。二百年後の誰かに宛てた。
石に刻んで。遺稿に描いて。誰かが読むことに賭けて。
書けば残る。
エルドレインも、それに賭けたんだ。負けて、封じられても、書いておけばいつか誰かが。
「五冊目の続きは」
アリシアが聞いた。
俺は残りのページをめくった。属性を抜く図が、また、現れた。何度も描き直された失敗の図。そして、その先は——白紙だった。
五冊目は、途中で終わっていた。
「ここまでです。属性を抜く方法は……完成してません。途中で終わってる」
完成する前に止められたのか。時間が尽きたのか。享年六十一。あの男は、間に合わなかった。
残りは六冊目。最後の一冊。
俺は、六冊目に手を伸ばした。
そして、止めた。
時計を見た。返還まで、あと六日。六冊目を、読むには二人がかりで、十日、かかる。
間に合わない。
最後の一冊を、読み切る前に、家が持っていく。エルドレインが、最後に、何を書いたのか。属性を抜く方法を完成させたのか。それとも諦めたのか。……それを、俺は、知る前に奪われる。
その夜、俺はメモを開いた。
五冊目の内容を、こした。エルドレインが取り消そうとしたこと。地脈杭の七本。削り跡はエルドレインの修正。止めたのは家。属性を抜く方法は、未完。
全部、事実だ。図がある。確かめた。
書き終えて、俺はひとつ下に書いた。
『六冊目、未読。返還まで六日。読了不能。……エルドレインの最後の記述を失う。』
ペンを、置こうとして置けなかった。
二百年前、エルドレインの遺稿は封じられた。誰も書き写さなかった。だから、消えた。
今、六冊目が封じられようとしている。俺は、まだ、それを書き写していない。
このままだと、六冊目だけは二百年前と同じことになる。
俺は、それだけは嫌だった。




