第24話 返還
書簡が審査の三日後に届いた。
エルドレイン家から学院長宛。今度は封を俺も見た。前に、アリシアが袖から出したあの紋章だ。
オルグレンが、俺とアリシアを学院長室に呼んだ。
「家が遺稿の返還を求めてきた」
オルグレンは、書簡を机に置いた。
「書庫にあるエルドレイン卿の未刊の著述。これはエルドレイン家の私有物である。速やかに家へ返還されたい。……そういう内容だ」
「返還」
俺は聞き返した。
「あの遺稿は、学院の目録に載っていません。俺が読んでいるものは、目録に無い区画から出てきたものです。……学院が正式に預かっていないものを、どうやって返すんですか」
「そこだ」
オルグレンは指を組んだ。
「妙な要求だ。目録に無い。ということは、学院は、公式には、そんな著述を預かっていないことになっている。預かっていないものを返せと言われても、筋が通らん。……普通ならこう返す。『そのような著述は、本学の目録に存在しない』と」
「じゃあ、拒めますか」
「そう単純でもない」
オルグレンは、書簡を指で叩いた。
「家は返還を求めることで、二つのことを認めている。ひとつ、その著述が実在すること。ふたつ、それが家のものだということ。……だが、目録に無い、ということは、二百年前に、誰かが目録から外したということだ。もし学院が『目録に無い』で押し返せば、家はこう言うしかなくなる。『あれは、我が家が二百年前に封じたものだ』と」
俺は分かってきた。
「家は、封じた事実を認めたくない」
「認めれば、初代の遺言で封じたでは済まなくなる。なぜ封じたか、を、問われる。……向こうも、そこは突かれたくないはずだ」
「学院はどうなんですか」
「学院も痛い。目録に無い本を、素性の知れん外来研究員に好き放題読ませていた。……管理の不手際だ。表沙汰になれば、私の首が飛ぶ。だから、私も大きくはしたくない」
オルグレンは、俺を見た。
「双方、痛いところを抱えている。だから、落としどころは決まっている。内々の返還だ。目録に載せないまま。表沙汰にせず、静かに、家へ渡す。……あったことを、無かったことにして幕を引く」
「拒めませんか」
「引き延ばすことはできる。目録に無いものの、所有権の確認。手続きを踏ませる。それで、十日は稼げる。それが、限界だ。十日で家に渡る」
十日。
俺は、頭の中で計算した。遺稿は六冊。読んだのは三冊。残り、三冊。一冊、読むのに、二人がかりで十日かかった。
十日で三冊は読めない。
「間に合いません」
俺は言った。
その日の夜、俺は、書庫の小部屋で机に向かっていた。
残りの遺稿、三冊。読めるのは、たぶん、一冊。急いでも、一冊半。あとは、家に持っていかれる。また、封じられる。二百年前と同じだ。開けられる人間がいなくなる。次に、レンのような子が現れて、俺のような人間が現れて、二人が揃うまで、また、二百年誰も読めない。
俺は焦っていた。
焦って、手が止まった。
そこで気づいた。
俺は、もう、書いていた。
三冊分の内容を記録に起こしてある。属性は後付けだ。判定石は差し込む石だ。原型には属性が無い。フレームの図も、差し込みの図も、判定石の図も写した。俺の記録は、遺稿が家に戻っても消えない。俺の手元に残る。
二百年前、この遺稿は封じられた。誰も中身を書き写さなかった。だから、封じられたら、それで消えた。二百年、誰も内容を知らなかった。
でも、今度は違う。
俺が書いた。
封じられても、俺の記録が残る。家は、遺稿を取り戻せる。でも、遺稿が語っていたことは、もう、取り戻せない。俺が、外に出したからだ。……いや、まだ、外には出していない。俺の手元にある。でも、俺の頭の中と遺稿の中と二か所にあったものが、今は、俺のメモという、三か所目にある。家が、遺稿を封じても、三か所目は、封じられない。
書くことはこういうことだったのか、と、思った。
書くというのは、消しにくくすることだ。
一冊の本は燃やせる。一人の記憶は消える。でも、書き写された記録が、二つ、三つと増えれば、全部を消すのは難しくなる。エルドレインの碑文が、二百年、石に残ったように。削り跡が消されても、石に残ったように。
書けば残る。
俺は、その言葉の意味を、今、やっと、体で分かった気がした。
オルグレンは、内々に返すと言った。目録に載せないまま、表沙汰にせず、静かに。あったことを、無かったことにして。……それは、二百年前に、家が、やったことと同じだった。封じて、目録から外して、誰にも読めなくして、二百年、無かったことにした。今度も、同じやり方で、幕が引かれようとしている。
でも、今度は、ひとつだけ違う。
あのときは、誰も、書かなかった。今度は、俺が、書いている。
静かに幕を引かせない。幕を引かれても、俺の記録は残る。無かったことには、させない。書くというのはそういうことだった。
残りの三冊は、読めるだけ読むことにした。
全部は、無理でも、一冊でも多く。読んだ分は書く。書いたものは残る。それでいい。
レンが隙間に指を入れて、四冊目を開いた。
四冊目は、今までと違った。
図が、少ない。文字が多い。アリシアが読める部分が多かった。
「これは……名簿のようです」
アリシアが言った。
「家系の名前が並んでいます。そして、その横に属性が。……この家系には、火。この家系には、風。この家系には、土……」
俺は覗き込んだ。文字は拾い読みしかできないが、並びは分かる。家名と、属性が対になって、ずらりと並んでいる。
「割り振りですか」
「そう、見えます。どの家系にどの属性を与えるか。……決めてある。あらかじめ」
俺は、背筋が冷たくなった。
属性は生まれつきじゃない。儀式で差し込まれる。それは分かっていた。でも、この名簿は、その先だった。誰に何を差し込むかが、家系ごとに決めてあった。
強い属性を、上の家系に。弱い属性を、下の家系に。属性そのものに、序列をつけて、その序列を血筋に貼りつけた。生まれた家で差し込まれる属性が決まる。差し込まれる属性で、身分が決まる。
身分は、属性で決まっているんじゃない。
属性が、身分で決められていたんだ。
順序が逆だった。地脈杭のときと同じだ。みんなが当たり前だと思っていた順序が逆だった。
「一番下は」
俺は、名簿の一番下を見た。
アリシアが、指でたどった。ページの最後。属性の欄が空白になっている家系があった。
「ここは……属性が割り振られていません。空欄です」
「どういう家系ですか」
アリシアは、家名を読んだ。それから、黙った。
「……記録の無い者たち。役所に登録されていない。庶民街のさらに外れ。名前を持たない人々。……儀式に、呼ばれない人たちです」
レンだ、と、俺は思った。
レンの家系は、割り振りの一番下ですらなかった。割り振りの外だった。属性を、与えられないんじゃない。与える対象に数えられていない。
だから、レンは儀式を受けなかった。だから、原型のまま残った。
欠陥とされたものが原型で。
原型のまま残ったのは割り振りの外にいたからで。
割り振りの外にいたのは、名前が無かったからだった。
この子は、最初から、最後まで、記録に載っていなかった。載っていなかったから、差し込まれず、差し込まれなかったから、原型で、原型だったから、隙間が見える。
全部が、一本の線で繋がった。そして、その線の始まりは、この子が名簿に、載っていなかったことだった。
「アリシアさん」
俺は顔を上げた。
アリシアは、名簿を見ていた。ずっと。
「エルドレイン家は、どこですか。この名簿の」
彼女は、しばらく、探していた。それから、一番上の、ページを、開いた。
一番上にエルドレインの名があった。属性の欄は——六属性、全部に、印がついていた。
「六属性、全部」
「はい」
「アリシアさんの家だけ、全部の属性を、割り振られている」
「……違います」
アリシアは、静かに言った。
「割り振られたんじゃありません。割り振る側だから、全部の印がついているんです。……この名簿を作ったのが、私の家だから。どの家に何を配るかを、決めた側だから。自分の家には、全部、書いた。配る者の印として」
彼女は、名簿を、閉じた。
「これが、家の誇りの正体でした。六属性を扱える稀有な血統。……嘘です。私たちは、扱えたんじゃない。配っていたんです。配る者だから、全部、持っていた。それだけです」
その夜、俺は、四冊目の内容を記録に起こした。
属性は、家系ごとに割り振られていた。強い属性は上位の家系へ、弱い属性は下位へ。割り振りを行ったのは、エルドレイン家。名簿が現存する。……そして、割り振りの外に、名前を持たない人々がいた。彼らは属性を差し込まれず、原型のまま残った。
結論は書かなかった。事実だけを書いた。
でも、書きながら、俺の手は少し震えていた。
これは、地脈杭の比じゃない。地脈杭は、魔力の無駄だった。これは、身分そのものの設計図だ。二百年、この国の序列を支えてきたものの根っこだ。
これを出せば、世界は揺れる。揺れて誰が傷つくか、俺には測れない。
でも、書かないと消える。
家が、あと十日で遺稿を、持っていく。持っていって、また、封じる。書かなければ、この名簿は、また、二百年誰の目にも触れない。
だから書いた。
出すかどうかは、後で、決める。書くことと、出すことは違う。
その原則だけが、今、俺を支えていた。
メモを閉じようとして、俺は、あの一行を見た。
『ケイル卿、レンを注視。理由不明。要警戒。』
理由が分かってしまった。
ケイル卿は、属性の秩序を重んじる人だ。その秩序の一番外にいる子。名簿に載っていない子。原型のまま隙間が見える子。
その子は秩序を守る側から見れば——秩序の外にいる危険なものだ。
俺は、ペンを握り直した。そして、さっきの一行の下に書き足した。
『レンは名簿の外。=属性秩序の、例外。秩序を守る者にとって、レンの存在は、属性が後付けである、生きた証拠。……消される対象になりうる。』
書いて、俺はその行を見つめた。
消される。
二百年前は、削り跡だった。丁寧に、均して、消された。
今度、消されうるのは、遺稿と——この子だった。




