第23話 ケイル卿
委員会の初回は、王宮ではな、学院の大会議室で開かれた。
長机がコの字に並んでいる。委員は七人。オルグレンと、ハウゼンと、王宮から来た書記官長。俺が査問で会ったあの男もいた。残りの四人は初めて見る顔だった。魔法史の学者、王宮の技術官、地方の工房の代表。そして、一番端に、細身の白髪をきちんと撫でつけた老人が座っていた。
「ケイル卿です」
アリシアが会議室に入る前に、廊下で小声で教えてくれた。
「魔法史の権威です。……そして、私の家と古くからの付き合いがあります」
「家の息のかかった人ですか」
「息がかかっている、とまでは。ただ、家の考えに近い人です。属性の秩序を重んじる人。……気をつけてください」
俺は頷いた。予告されていた通りだった。身元で追い出せないなら、次は数字を疑う。その役目の人が来た。
俺は委員じゃない。委員会の外の椅子に一つだけ座らされた。資料を出し、問われれば答える。それだけだ。
最初の一時間は、地脈杭の説明に費やされた。俺が話し、ハウゼンが記録で裏づける。ループがあること。逃がすと下流へ移ること。だから、王都側から順に直すこと。二本、直したこと。七日測って、三日、三十八年で一度もなかった高さに届いたこと。
書記官長が、問うた。
「三日、というのは、偶然の範囲か」
「偶然を排除できていません」
俺は答えた。
「三日では、足りません。七本まで直せば、七日測って七日とも超えると、俺は見ています。そうなれば、偶然とは、言えなくなります。今は、その途中です」
「途中の数字で、工事の続行を求めるのか」
「求めません。求めているのは、七本目まで、測らせてもらうことです。工事の是非は、七本のデータが出てから、判断してください」
書記官長は頷いた。ハウゼンが、三十八年分の変動幅の記録を委員に回した。技術官がそれを丁寧に見ていた。
ここまでは順調だった。数字の話をしている限り、俺は、負けない。数字は確かめてある。
流れが変わったのは、ケイル卿が口を開いてからだった。
「ひとつ、よろしいか」
穏やかな声だった。
「桐島殿の数字に、異議はありません。よく、測られている。ハウゼン殿の記録も信頼に足る。……私が気になっているのは、数字ではないのです」
俺は、身構えた。
「この改修は、エルドレイン卿の原設計に手を入れるものです。記録上は、原設計に基づく補修となっている。……ですが、実際には、二百年間、誰も触れなかった術式に新しい線を加えている。違いますか」
「違いません」
俺は答えた。嘘はつかない。
「補修という言葉は、規定に従ったものです。実際に設計したのは俺です。それは、査問でも、申し上げました」
「正直な方だ」
ケイル卿は微笑んだ。
「では、続けて、正直にお答えいただきたい。……桐島殿は、この数か月、学院の書庫に頻繁に出入りされている。外来研究員の権限で。何を読んでおられるのですか」
会議室が静かになった。
来た、と思った。
この人は、数字を疑いに来たんじゃない。数字は崩せないと分かっている。だから、別の入口から来た。俺が、書庫で何を見つけたか。それを、探りに来た。
家は、知っているんだ。あの書庫に、封じたはずの遺稿があることを。二百年前、自分たちが封じたものがまだそこにあることを。そして、俺がそれを開けたかもしれないことを。
俺は、一瞬で、選ばなければならなかった。
嘘はつかない。それは決めている。
でも、遺稿の中身は、まだ、出さない。それも決めている。
書くことと、出すことは、違う。事実を、いつ、誰に出すかは俺が選ぶ。今、この場所で、この人に、出すことを俺は選んでいない。
「古い術式書を読んでいます」
俺は言った。
「地脈杭の術式が、なぜ、あの形になったのかを知りたかった。だから、二百年前の術式書をさかのぼって読んでいます。……エルドレイン卿の時代の設計の考え方を、知るために」
全部本当だった。ひとつも嘘はない。ただ、遺稿が判定石のことを、属性のことを、書いているとは言わなかった。聞かれていないことは言わない。それは、嘘とは違う。
「設計の考え方」
ケイル卿は、その言葉を繰り返した。
「では、桐島殿は、エルドレイン卿の設計思想を研究しておられる、と」
「そう言っていいと思います」
「何か、見つかりましたか」
「たくさん見つかりました」
俺は言った。
「二百年前の術式は、今のものより、単純で、無駄がない。なぜその形なのか、理由が、はっきりしている。……今の術式は、それを写して、写して、写すうちに、なぜその形なのかが、分からなくなっている。俺が見つけたのはそういうことです」
これも、本当だった。属性のことには触れていない。でも、嘘は、ひとつも言っていない。
ケイル卿は、しばらく俺を見ていた。
微笑みは消えていなかった。だが、目は笑っていなかった。この人は、分かっている。俺が、何かを言っていないことを。全部を話していないことを。
「結構」
彼は言った。
「桐島殿の研究が、実り多きものであることを願っています。……ただ、ひとつ、老婆心ながら」
声が、少し、低くなった。
「古い設計思想の研究は、ときに、現在の秩序と衝突します。二百年前が正しく、今が間違っている、という話は聞こえは良いが危うい。今の秩序は、二百年、この国を支えてきた。それを、軽々に揺るがすべきではない。……研究は、書庫の中に留めておかれるのが賢明かと」
書庫の中に留めておけ。
封じておけ、と、この人は言っている。二百年前、家が遺稿にしたのと同じことを。
「ご忠告、ありがとうございます」
俺は言った。それ以上は言わなかった。
委員会は結論を出した。
北線を王都側から七本目まで。ハウゼン立会い。七本のデータが揃った時点で、工事全体の是非を再審査する。地脈杭の改修は条件付きで、続行。
数字は通った。俺は負けなかった。
でも、会議室を出るとき、俺は、勝った気がしなかった。
ケイル卿が、俺の本当の荷物に手をかけた。地脈杭じゃない。遺稿の方だ。あの人は、それが、書庫にあることを知っていて、俺が、それを読んだことを察していて、そして、「封じておけ」と、釘を刺した。
家は動き出している。二百年前と同じ方向に。
廊下で、アリシアが待っていた。
「どうでした」
「数字は通りました。七本目まで続けられます」
「ケイル卿は」
「遺稿のことを探ってきました。……気づかれてます。俺があれを読んだこと」
アリシアの顔がこわばった。
「家が動きます。あの遺稿をまた封じにきます」
「たぶん」
「二百年前は削り跡を消した。今度は何を消すつもりでしょう」
俺は答えなかった。
消すもの。二百年前は地脈杭の修正だった。名人が丁寧に削って均した。今度、消すものがあるとすれば——それは遺稿か。あるいは。
俺は、その先を、考えないようにした。
その夜、レンが飯の席で言った。
「今日、へんな爺さんが学院に来てた」
「知ってるのか」
「門のとこで見た。銀の杖、持ってた。……あの人、あたしのこと、じっと見てた」
俺は、箸を、止めた。
「レンを?」
「うん。すれ違うとき、立ち止まって、じっと。……なんか、品定めするみたいに」
ケイル卿。属性の秩序を重んじる人。
その人が、属性を持たない子をじっと見た。品定めするように。
俺は嫌な予感がした。まだ、形にならない予感だ。確かめようがない。でも、その夜、俺はメモに一行だけ書いた。
『ケイル卿、レンを注視。理由不明。要警戒。』
書いて、その行をしばらく見ていた。
俺が守ろうとしているものが、ひとつずつ外から見られ始始めていた。




