第22話 二つの報告
委員会の設置が、正式に決まった。
査問から二月が経っていた。名前は「地脈設備技術審査委員会」。長い名前だ。地脈杭の改修が、技術的に妥当かを審査する。それだけのための委員会。オルグレンが、学院側の委員に入った。ハウゼンも実務者として呼ばれた。
俺は委員じゃない。身分証が無いから委員にはなれない。ただ、資料を提出し、問われれば答える。査問のときと同じ立場だった。
初回の会合まで十日あった。俺は、提出する資料をまとめ始めた。
二本の改修。七日の観測。三日の超過。順序の発見。王都側から直せば、一本目から効くこと。そして——三十八年前の、ハウゼンの失敗の記録。全部書いた。成功も、失敗も、まだ確かめられていないことも。
地脈杭の資料はそれでよかった。
問題はもう一つの方だった。
俺の机の上には、二種類の記録がある。
ひとつは、地脈杭の記録。委員会に出す。魔力の無駄とその直し方。これは出していい。誰も傷つかない。むしろ直せば王都が少し明るくなる。
もうひとつは遺稿の記録だ。属性は後付けで、判定石は差し込む石で身分は生まれつきじゃない。これは——出せない。
いや。
出せない、というのは正確じゃなかった。
出したく、なかった。
この世界の全員が、自分の属性を生まれつきだと思っている。火属性に生まれたから火の家系、水属性に生まれたから水の家系。属性は身分だ。貴族と庶民を分ける壁も、属性で動いている。もし、属性が儀式で入れられたものだと、誰かが差し込む先を選んでいるだけだと世界が知ったら。
身分の根拠が消える。
二百年、属性で決まってきたあらゆる序列が根拠を失う。それが良いことなのか、悪いことなのか、俺には、分からなかった。分かるのは、それが、王都を明るくするどころの騒ぎじゃない、ということだけだった。
「書くべきだと思いますか」
俺はアリシアに聞いた。夜の書庫の小部屋だった。遺稿は机の上に、六冊、積んである。
アリシアは、すぐには答えなかった。
「あなたは、いつも言っていました。書かないと消える。隠すな、失敗を消すな、と。……あなたの理屈なら書くべきです」
「理屈なら」
「ええ。でも、あなたは今、迷っている。理屈では書くべきだと分かっていて、迷っている。……初めて見ました。あなたが、書くかどうかで迷うのを」
その通りだった。
俺は地脈杭のバグを見つけたときも、三十八年前の失敗を見つけたときも、迷わなかった。書いた。書けば残る、残れば誰かが読む、それが正しいと信じていた。
でも、これは違った。
「地脈杭のバグを書いても誰も死にません」
俺は言った。
「間違って使われてた設備が正しく直る。それだけです。でも、これは……属性が後付けだと書けば世界が変わる。良くなるのか、悪くなるのか、分からないまま、変わる。誰が傷つくかも、分からない。……アリシアさんの家が、真っ先に、崩れます」
「私の家のことはいいです」
アリシアは静かに言った。
「家は、たぶん、崩れるべきものの上に立っています。それは、私が、引き受けます。……でも、あなたが迷っているのは、私の家のことじゃ、ないでしょう」
俺は黙った。
俺が迷っているのは、レンのような子のことだった。
属性が身分なら、属性が無いレンは身分の一番下だ。もし、属性が後付けだと世界が知って、身分の序列が崩れたら——レンのような子は、救われるのかもしれない。属性が無いことが欠陥じゃなくて、原型だとみんなが知る。
でも、そう上手くいく保証はどこにも無かった。
序列が崩れるとき、一番下にいる者が、一番先にその混乱に巻き込まれる。属性が意味を失うとき、属性を持つ者は「奪われた」と思って怒る。その怒りが、どこへ向かうか。属性を持たないレンのような子へ向かわない保証は無かった。
俺は、正しいことを書いて、あの子を救うかもしれない。
同じ正しさで、あの子を危険に晒すかもしれない。
どっちに転ぶかは、書いてみないと分からない。そして、書いてしまえば、もう、取り消せない。記録は残る。俺が、ずっと、そう言ってきた。
「ひとつ、聞いていいですか」
アリシアが言った。
「あなたは、地脈杭のことをなぜ書けたんですか。あれも、直せば、誰かが困るかもしれなかった。ハウゼンさんは、三十八年前、始末書を書かされた。書くことで、罰を受ける人もいた。それでも、あなたは書いた。何が違うんですか」
俺は考えた。
違いは、ひとつだった。
「地脈杭のことは、俺が確かめました。測って、計算して、間違いも見つけて、全部、確かめた上で書いた。だから、書けた。書いた内容に、俺が責任を持てる」
「属性のことは」
「確かめました。それも、確かめた。握って確かめた」
「じゃあ、同じでは」
「違うんです」
俺は言った。
「属性が後付けだ、というのは確かめました。それは事実です。書けます。……でも、それを書いたら世界がどうなるかは、確かめてない。確かめようがない。書いた後のことは測れない。俺が測れるのは事実だけです。事実を書いた後に、世界がどう転ぶかは、俺の手を離れる」
言いながら、俺は、自分が何に迷っていたのかが分かってきた。
俺は、事実を書くのが怖いんじゃない。
事実を書いた後、それがどう使われるかを、俺が、制御できないのが怖いんだ。
「アリシアさん。地脈杭の備考欄に、俺は五行、書きました。覚えてますか」
「覚えています」
「あの五行は事実だけでした。ループがある。順序が要る。三十八年前に失敗がある。……全部、確かめた事実です。俺はあそこに、『だから身分制度は間違っている』とは、書かなかった。書けなかった。それは事実じゃなくて、意見だから」
俺は、遺稿の一冊を手に取った。
「これも同じにします。俺が書けるのは事実だけです。属性は、術式に後から差し込まれた。判定石は人にそれを張る装置だ。原型には属性が無い。……これは、事実です。書きます。確かめたから」
「でも」
「その先は書きません。だから身分は無意味だ、とか。だから序列を壊せ、とか。それは俺の意見です。意見は俺が確かめたことじゃない。……事実を書いて、その事実を読んだ人間が、何を意見するかは、その人間が決めることです。俺が、決めることじゃない」
アリシアは、俺を見ていた。
「事実だけ書いて、結論は書かない」
「はい」
「それで済みますか。事実を読めば、結論は、勝手に出ます。属性が後付けだと知れば、身分に根拠が無いことは、誰にでも分かる。あなたが書かなくても」
「分かります。でも、俺が書くのと、読んだ人が気づくのは違います」
俺は言った。
「俺が『身分を壊せ』と書けば、それは、俺の号令になります。俺が、扇動したことになる。でも、俺が事実だけ書いて、読んだ人が『じゃあ身分は無意味だ』と気づいたなら、それは、その人が自分で考えたことです。……俺は、事実を渡すだけです。考えるのは渡された人だ。号令はかけない」
その夜、俺は、遺稿の内容を記録に起こし始めた。
事実だけを書いた。
属性は、術式のフレームに後から差し込まれたものである。判定石は、六歳の儀式で、人の魔力にそれを張る装置である。原型の魔力には属性が無い。エルドレイン家が、判定石を製造し、差し込む属性を選定してきた。
図の写しも添えた。フレームの図。差し込みの図。判定石の図。俺の解釈じゃない。図そのものを見せる。読んだ人間が、自分の目で確かめられるように。
結論は、一行も書かなかった。
これが正しいかどうかは、と、最後に一行だけ添えた。
『これが正しいかどうかは、この記録を読んだ者が、自分で確かめてほしい。俺は、確かめたことだけを書いた。確かめていないことは書いていない』
書き終えて、俺は、二種類の記録を机に並べた。
地脈杭の記録。委員会に出す。
遺稿の記録。……これは、まだ、出さない。
いつ出すか、誰に出すかは、まだ、決めていなかった。ただ、書いた。書いておかないと消える。俺が握って確かめたことも、レンが開けたことも、アリシアが読んだことも、全部、消える。二百年前のエルドレインの遺稿みたいに。誰かが封じれば、また、二百年、誰も読めなくなる。
だから、書いた。出すかどうかは、その後で、決めればいい。
書くことと、出すことは、違う。
その違いに、俺は、今夜、初めて、気づいた。
メモの、一番下に、俺は、書いた。
『事実は書く。いつ出すかは別に決める。書かないことだけはしない』




