第21話 判定石
三冊目を読み終えても、俺の疑問には答えが無かった。
判定石は差し込む石だ。六歳の子に属性をひとつ固定する。そこまでは、図が示していた。
でも、俺は、二度、その石を握って、二度とも何も起きなかった。転移した日と、草原で。なぜか。図には書いていない。差し込まれる子のことは描いてあっても、差し込まれない人間のことは描いていない。想定していないんだ。この世界の設計者は、差し込めない人間が来ることを考えていなかった。
答えが無いなら測るしかない。
俺のやり方は、いつも、それだった。記録に無いなら自分で測る。
「もう一度、判定石を握らせてください」
俺が言うと、アリシアは、しばらく黙った。
「……差し込む石だと、分かった上でですか」
「はい」
「危険です」
彼女は、静かに、はっきりと言った。
「もし、前の二回が、たまたま失敗しただけだったら。今度は、差し込まれるかもしれない。あなたに、属性がひとつ入る」
「入ったらどうなりますか」
「分かりません。でも、あなたが術式の構造を読めるのは、たぶん、あなたに属性が無いからです。……属性が入れば、それが、できなくなるかもしれません」
その通りだと思った。俺も同じことを考えていた。
構造が見えなくなれば、遺稿は読めなくなる。杭のバグも見つけられなくなる。俺が、この世界でできることの全部が消える。判定石を一度握るだけで。
「それでも握るんですか」
「握ります」
俺は言った。
「ふたつ、理由があります。ひとつは、確かめないと、この先が書けないからです。俺は、判定石は差し込む石だと記録に書いた。それを、世界に向かって主張するつもりです。属性は生まれつきじゃない、儀式で入れられたものだ、と。……なのに、自分では確かめていない、じゃ、通らない。俺は、人には確かめろと言っておいて、自分は握らなかった石のことを書けません」
「もうひとつは」
「怖いからです」
俺は正直に言った。
「握るのが怖い。構造が見えなくなるのが怖い。それが見えることが、今の俺の唯一の取り柄だから。……怖いってことは、たぶん、大事なことだってことです。怖いから、確かめる。逃げると、たぶん、後でもっと怖くなる」
アリシアは、それでも反対した。
「あなたが構造を読めなくなったら、遺稿の解読は止まります。杭も、止まる。あなた一人の問題じゃありません」
正しかった。俺は答えを持っていなかった。
そのとき、レンが口を開いた。
「あたし、見てる」
俺とアリシアは、レンを見た。
「石が、あんたに、何かしようとしたら。あたし、見える。隙間、見えるやつと、同じ。属性が、入ろうとするの、たぶん、見える。入りそうになったら言う。あんた、手、離せばいい」
俺はレンを見た。
差し込みが始まるところを、レンが見張る。始まったら離す。それなら、全部入る前に止められる。
この子の能力が、初めて、俺を守る側に回った。
「頼めるか」
「うん」
「アリシアさん。……これならどうですか」
アリシアは、長いこと迷っていた。それから、木箱から判定石を出した。
「……始まったらすぐ離してください。レンが言ったら迷わずに」
「分かりました」
石は、前と同じだった。濁った硝子のような、丸い石。掌にちょうど収まる。
俺はレンを見た。
「いいか」
「いいよ」
俺は、石を握った。
最初は、何も起きなかった。二回目までと同じだ。冷たい石が手の中にある。ただ、それだけ。
レンが、俺の手をじっと見ていた。
「……なんか、来てる」
レンが言った。声が、いつもより低かった。
「石から、あんたの手に、来てる。属性、たぶん。火か、水か、分かんない。でも来てる。あんたの周りを囲もうとしてる。膜、みたいに」
俺は、握ったまま動かなかった。手を離す寸前でこらえた。まだ、レンは「入った」と言っていない。
「囲もうとして——」
レンが、言葉を止めた。
「……貼りつかない」
「貼りつかない?」
「うん。膜があんたを、囲もうとして貼りつく場所が、無い。つるつる滑って、どこにもくっつかないの。……あんたには膜を張る、下地が無い。この世界の人は、みんな、ここに膜が張ってる。あんたには、張る面が無い」
俺は、石を握り続けた。しばらくして、レンが言った。
「引いてった。石の方に戻ってった。もう、来てない」
俺は、手を開いた。石が掌にあった。
何も、変わっていなかった。
試しに、机の上の開いたままの遺稿を見た。
構造が入ってきた。前と、同じだった。何も、失われていなかった。
「膜を張る下地が無い」
俺は、レンの言葉を繰り返した。
そのとき、頭の中で、一つ、像が結んだ。
レイヤーだ。
前の世界でそう呼んでいた。素のものの上に、一枚、重ねてかぶせる層のことを。
この世界の人間は、魔力の周りに、属性のレイヤーを、一枚、張っている。判定石が、六歳のときに張るんだ。無色の魔力が外へ出るとき、そのレイヤーを通って出る。火のレイヤーを通れば、火になる。水のレイヤーを通れば、水になる。だから、火属性の人間は、魔力がいつも火になって出てくる。
レイヤーがあるから、術式の中身を理解しなくていい。魔力が勝手に火になるんだから、火の術式の形を暗記して、そこに流し込むだけでいい。
俺には、そのレイヤーが無い。
いや——無いんじゃない。張れないんだ。石が俺にレイヤーを張ろうとして、貼りつく面を見つけられなかった。俺の魔力は、この世界の規格じゃない。異世界人だからだ。神様は、俺を、前の世界の体のまま、魔力のまま、転移させた。だから、この世界の属性レイヤーは、俺には貼りつかない。
だから、俺の魔力は、無色のまま外に出る。何のフィルタも通らずに。
だから、俺には、術式が、色抜きの構造としてそのまま見える。火の術式でも、水の術式でもなく、ただの構造として。
レイヤーが無いことが、俺が構造を読める理由だった。
見えることと、使えることは、たぶん引き換えなんだ。みんなは、レイヤーがあるから、暗記で魔法が使える。かわりに構造は見えない。俺はレイヤーが無いから、構造が見える。かわりに、魔法が簡単には使えない。
「じゃあ、レンは」
俺は、はっと、顔を上げた。
レンが、俺を見ていた。
「レンはこの世界の人間だ。庶民街の子だけど、この世界で生まれた。……ってことは、レンにはレイヤーを張る下地が有る」
部屋が静かになった。
俺は、二度握って、何も起きなかった。俺には張る面が無いからだ。
でも、レンは違う。レンは、儀式を受けなかっただけで、下地は有る。今からでも、この石を握れば——レイヤーが、張られる。属性が入る。
レンは選べる。
俺は選べない。握っても何も起きない。でも、レンは、握れば変わる。属性が入って、普通になって、隙間が見えなくなる。社会に入れる。
あるいは、握らずに無色のままいる。隙間が見えるまま。欠陥と呼ばれるまま。
その選択が、レンには有った。俺には無かった。
「レン」
俺は、言いかけてやめた。
この子が、今、何を考えているのか。属性を入れられると知って、どう思ったのか。俺には分からなかった。そして、それを、俺が聞いて、俺が誘導するのは違う気がした。あの日、レンに全部を話したとき、俺は、決めたはずだ。選ぶのはレンだ、と。
「なんでもない」
俺は言った。
レンは、少し、俺を見て、それから、いつもの調子で言った。
「石、冷たそうだった」
「冷たかった」
「ふうん」
その夜、俺はメモを開いた。
一行目を、読んだ。
『一、属性は後付けの可能性。要検証』
俺は、その「要検証」を、消した。
フレームの図があった。差し込みの図があった。判定石の図があった。そして、俺自身が、握った。石が、俺にレイヤーを張ろうとして、張れなかった。属性が後から張られるものであることは、もう、検証された。証明された。
消した跡の隣に、俺は、書いた。
『属性は、魔力を囲むレイヤー。判定石が、六歳の儀式で張る。魔力はレイヤーを抜けるとき属性になる。この世界の人間には張る下地がある。俺には無い(異世界人のため)。ゆえに俺の魔力は無色で、術式の構造を直接読める。実地に確認(自分で握った)。』
書いてから、俺は、その下に、もう一行、書いた。
久しぶりに、五行目のことを、思い出した。あの子の行だ。ずっと空けて、あの日、レンに全部を話した夜に、初めて書いた行。
俺は、五行目の下に、書き足した。
『レンには、レイヤーを張る下地がある。ゆえに、今からでも属性を入れられる。入れれば社会に入れ、隙間を失う。入れなければ無色のまま。この選択は、レン本人のもの。俺は誘導しない。』
書いて、俺は、ペンを、置いた。
俺には、無かった選択が、あの子には有る。
それが、羨ましいのか、気の毒なのか、俺には分からなかった。たぶん、両方だった。




