第20話 属性の秘密
三日、アリシアは書庫に来なかった。
二冊目を読み終えた日、彼女は「進めません」と言って帰った。責める気はなかった。自分の家が、魔法から理解を抜いた張本人だと分かって、その続きをすぐ読めというのは、酷だ。
俺は、一人でも読もうとした。読めなかった。構造は見える。でも、意味が分からない。文法はアリシアの中にしかない。二冊目までで、俺は、彼女がいないと一枚も進めないことを思い知った。三人でないと読めない、というのは、そういうことだった。
だから、待った。
四日目の朝、アリシアは来た。目の下にまた隈があった。
「三冊目を開きましょう」
「無理しなくていいです」
「無理はしていません」
彼女は、椅子に座った。
「三日、考えました。読まない、という選択も、ありました。封じたまま元の棚に戻す。私の家が、二百年、そうしてきたように。……でも、それは、家のやり方です。私は、その続きをやりたくない。だから読みます」
俺は頷いた。それ以上言うことはなかった。
三冊目は、今までと少し違った。
一冊目は、術式のフレーム。二冊目は、術式への属性の差し込み。どちらも、魔法陣の図だった。
三冊目の図は魔法陣じゃなかった。
中心に、円がある。だが、外周も、星も無い。円が一つ、ぽつんとある。その円から、細い線が外へ伸びている。
「これは、術式じゃありません」
俺は言った。
「魔法陣なら外周と星があるはずです。これには無い。円が一つだけ。……何か別のものです」
アリシアが覗き込んだ。
「文字があります」
彼女は、円の脇の小さな記号を指した。
「読めます。これは……人、と読みます。人間の、人」
俺たちは顔を見合わせた。
円が一つ。そこから、線が伸びている。脇に「人」の字。
次のページ。同じ円に、六属性の記号のうちの一つ、火の記号が、差し込まれていた。二冊目で、術式のフレームに属性を差し込んだのと、同じやり方で。同じ丁寧さで。
ただし、差し込まれているのは術式じゃない。
「人」だった。
俺は、しばらく、そのページを見ていた。
言葉が出てこなかった。
術式に属性を差し込めるなら、人にも差し込めるんじゃないか。廊下で、俺は、そう考えた。まだ言葉にしなかった。確かめてから言う、と決めた。
確かめが、目の前にあった。
「アリシアさん」
「はい」
声が、掠れた。
「これ、人に、属性を差し込む図です。人の魔力に、火とか、水とかを、後から入れる図だ」
アリシアは答えなかった。ページを見ていた。
「続きに、やり方が書いてあるはずです。どうやって人に差し込むのか」
彼女は、ゆっくり、ページをめくった。
次の図に、円と、火の記号と、もうひとつ、見覚えのあるものが描かれていた。
石だ。
握れる大きさの丸い石。円と石が線で結ばれている。石を通して、火の記号が、円から人に、流れ込む図だった。
「判定石」
アリシアが呟いた。
「これは判定石です。子供が六つになると儀式で握る。属性を判定するための」
「判定?」
「その子が生まれつき何属性かを、石が読んで教えてくれる。……そう、習いました。私も六つのとき握りました。火、と出ました。だから、私は火属性です。ずっと、そう思ってきました」
俺は、図を見た。石から人へ火が流れ込んでいる。矢印の向きは、一方向だった。
石から、人へ。
人から、石へではなかった。
「アリシアさん。この図の、矢印の向き」
「……石から人へ」
「読むなら逆のはずです。人の中にあるものを石が読み取るなら、人から石へ情報が流れる。でも、この図は、石から人へ流れてる。……これは読んでない」
俺は言った。言ってしまえば、もう、戻れなかった。
「差し込んでる。判定石は、その子の属性を読む石じゃない。その子に属性をっひとつ差し込む石です。判定っていうのは……差し込んだ属性を、そのまま『これがあなたの属性です』と、言ってるだけだ」
部屋が静かだった。
アリシアは動かなかった。長い間、石の図を見ていた。
「私の火属性は」
彼女は言った。
「生まれつきじゃない」
「たぶん」
「六つのとき入れられた」
「たぶん、そうです」
「誰かが、私に火を選んだ」
俺は、答えなかった。答えは、彼女がもう分かっていた。
石を作ったのはエルドレイン家だ。二冊目でそう読んだ。フレームの中心に何を差し込むかを決める技術を持つ家。その家が判定石を作った。だとすれば、どの子に、何を差し込むかも——決められる。
アリシアの火属性を選んだのは、たぶん、彼女の家だ。彼女自身が生まれるより、ずっと前に決められた仕組みによって。
「じゃあ、私は」
アリシアの声が、小さかった。
「私が、火を得意なのも。火の術式を誰より上手く扱えるのも。……全部、生まれつきの才能じゃなくて。六つのときに入れられたものを、十数年、磨いただけ?」
「分かりません」
俺は正直に言った。
「入れられた後に、それをどれだけ伸ばすかは、たぶん、本人次第です。アリシアさんが火を上手く扱えるのは、アリシアさんが努力したからだ。それは、入れられたものとは、別です。……でも、火を選んだのが、アリシアさんじゃないのは、たぶん、本当です」
アリシアは、それきり、黙った。
その日、レンは、いつものように部屋の隅にいた。
石の図を少し離れたところから見ていた。
「その石」
レンが言った。
「あたし、握ったことない」
俺はレンを見た。
「儀式、受けてないのか」
「うん。役所に名前が無いから。庶民街の記録に無い子は、儀式に呼ばれない。だから、あたし、属性、無いまま」
レンは、自分の手を見た。
「みんな、六つで、握る。あたしだけ、握らなかった。だから、魔法が使えない。だから欠陥だって、言われた。……でも」
レンは、顔を上げた。
「握らなかったから、あたし、元のまま、なんだ。入れられなかったから、隙間が、見える」
俺は動けなかった。
この子は、また、俺より先に、着いていた。二冊目のとき、「みんなが足してるだけ」と言った。今度は、自分がなぜ元のままなのか、その理由まで言い当てていた。儀式を受けなかったから。名前が無かったから。社会からこぼれ落ちたことが、この子を原型のまま残した。
欠陥とされたものが原型だった。
こぼれ落ちたことが、失われずに済んだ理由だった。
その夜、俺はメモを開いた。
九行目を読んだ。
『判定石は、属性を「読む」装置か。それとも「差し込む」装置か。要確認』
俺は、その行の「要確認」を消した。
初めて消した。
そして、書き直した。
『判定石は、差し込む装置。六歳の儀式で、人の魔力に属性を一つ固定する。「判定」は、差し込んだ結果を告げるだけ。遺稿三冊目が図示。エルドレイン家が石を製造。=属性が身分になる仕組みのルート』
書いて、俺は、手を止めた。
消した「要確認」の跡を見た。
図が示していた。三冊目が、はっきり、石から人へと描いていた。これは、裏づけじゃない。証明に近い。だから、消せた。
でも、ひとつだけ、まだ「要検証」の残っている行があった。
一行目じゃない。もっと下。まだ、書いてすらいない行。
俺は、二度、あの石を握った。そして、何も起きなかった。
差し込む石なら、なぜ、俺には、何も差し込まれなかったのか。
その答えは、まだ、どこにも無い。図にも無い。
確かめる方法は、一つしか、思いつかなかった。
もう一度、握ることだ。今度は、それが差し込む石だと、知った上で。
俺は、その考えを、まだ、メモには書かなかった。




