第2話 欠陥をもつ少女
アリシアに街まで連れて行ってもらった。
途中、馬車の中で俺はこの世界の基本情報を教えてもらった。国の名前、魔法の概要、貨幣の仕組み。アリシアは口調こそ硬いが、聞いたことには正確に答えてくれる。話していると、この人が本当に知識量の多い人間だというのがわかった。俺が質問するたびに、ほとんど間を置かずに答えが返ってくる。
馬車は街道をゆっくり進む。遠くに石造りの塔が見え始めた頃、アリシアは魔法の説明に入った。
「魔法は属性に分かれていて、火・水・風・土・光・闇の六属性が基本形です。それぞれの属性に対応した魔法陣の文法があり、組み合わせによって術式の種類が決まります」
「文法、か。じゃあ魔法陣はある種のプログラムに近い?」
「プログラム?」
「処理を記述したもの、という意味で。入力があって、処理があって、出力がある」
「そういう捉え方は聞いたことがありませんが、概念としては間違っていないかもしれません」
アリシアは少し考えてから続けた。
「魔力を入力し、魔法陣が処理し、術式が発動する。確かに構造は似ています」
「じゃあバグが出るのも当然ですね。複雑な処理には必ずバグが潜む」
「魔法にバグという概念を持ち込んだ人も、あなたが初めてです」
褒めているのか呆れているのか判断しにくい言い方だった。でも表情はわずかに、ほんのわずかに、柔らかくなっていた気がした。
魔法の話を聞いているうちに、一つ気になることがあった。
「俺の能力の話なんですが」
と俺は言った。
「この世界に来るとき、チートな力をもらえるって聞いてたんですけど、何か変わった感じがないんです。それでも、魔法が使えるのかどうか、調べる方法はありますか?」
「魔力の属性を調べたらどうでしょうか?」
「やり方を教えてもらえませんか?」
アリシアは小さな水晶のような石を取り出した。
「これを握って、魔力を通してみてください。簡易な属性判定ができます。感覚としては、手のひらから何かを押し出すイメージで」
俺は石を握った。押し出すイメージ。わからない。
「感覚がわかりません。もう少し具体的に説明してもらえませんか?」
「……どういう意味ですか?」
「『押し出すイメージ』というのは比喩ですよね。実際に何が起きているか、もう少しメカニズムを教えてもらえますか」
その言葉にアリシアが考え込んでしまった。俺は言葉を継いだ。
「きっと誰もそんな聞き方をしなかったんでしょうけど、感覚じゃなくて仕組みで理解したいんです。石を反応させる魔力が、体のどの部位から、どういう形で、どこを通って掌まで到達するのか」
「私も、そこまで分解して考えたことは」
「じゃあ一緒に考えましょう」
今度こそアリシアは確かに表情を変えた。驚き、それから何か、困惑とも嬉しさとも取れる顔で、窓の外を見た。
「あなたは変わった人ですね」
「よく言われます」
「褒めていません」
「わかってます」
「じゃあ、ゆっくりやってみましょう。まず、右手でこの石を握って。左手はお腹——おへその辺りに」
言われた通りにした。
「左手に集中して、お腹の魔力を探してください。……どうですか?」
俺はその感覚が掴めなかった。正直に話した。
「アリシアさん、よく分かりません」
「うーん」
彼女はそう言って考え込み、やがて口を開いた。
「時間がかかりそうです。ゆっくりやりましょう」
魔法が使えるかもしれないという浮き立った気分が、彼女の言葉でしぼんでしまった。
街に着いた。
城壁に囲まれた中規模の都市で、遠くに見えていた石造りの尖塔は、近づくにつれて輪郭を現した。学院らしき建物だった。アリシアが言う。
「ここが王都エルシアです」
馬車を降り、街並みを見渡しながら、俺は無意識に胸ポケットへ手をやった。何か気づいたことがあれば書き留める癖だ。指が空を掴んだ。
「あれ」
「盗まれましたか」
アリシアが言った。
「いや、落としたのかもしれません」
俺は周囲を見渡し、後ろを向いた。
十五、六歳の少女が、壁に背中を張り付かせて固まっていた。短い茶色の髪、くたびれた服、そして俺のペンを握った右手。目が合った瞬間、逃げようとした。思わず声をかける。
「そのペン、俺のペンなんだけど?」
俺は静かに言った。逃げ場がない。壁しかない。それなのに少女は一歩踏み出した。壁が水面のように揺れ、その姿が沈むように消えた。俺とアリシアは呆然とそれを見つめていた。
アリシアが我に返って言った。
「その壁は、第三障壁と言い、貴族街と庶民街を分ける壁です。魔法的な防護術式がかけられていて、通り抜けられないはずですが」
「彼女、今それを素通りした」
「……ええ。確かに、この目で見ました。ありえないことですが」
すると、少女が壁から顔だけ出して、こちらを覗いていた。逃げたくせに、俺たちの反応が気になったらしい。そして、俺を見つめた。
思わず、俺は声をかけた。
「なんで帰って来た。いや、いい。ペンは返してもらえれば文句はないし、それより今の動作の方が気になる。どうやって第三障壁を通った?」
「分からない」
「分からない?」
「壁に隙間があったから、そこを通っただけ」
俺は少し考えた。
「隙間?」
「この壁には隙間がある。見えないのか?」
「いや、俺には見えないけど」
「ある。ほら、ここ」
少女が指を差すが、そこに穴も隙間も見えなかった。
——さっきの「押し出すイメージ」と同じだ。見えている人間には、見えていない人間の見えなさが分からない。
アリシアが俺の袖を引いて、言った。
「桐島さん、この子は変です。それにスリです。通報する必要があります」
アリシアを諭すように俺は声をかけた。
「それより聞いてみたいことがある」
「何を聞くんですか?」
アリシアは呆れ気味に答えた。俺は少女に向き直った。
「名前は?」
少女はしばらく俺を見ていた。警戒しているのか、壁に張り付いたまま動かなかった。
「レン」
少女が呟くように言った。
「レン。魔法は使える?」
「使えない。属性が無い」
「魔法が使えないのに第三障壁を通り抜けたのか?」
俺はしゃがんで、レンと目線を合わせた。
「それ、凄いことだよ」
レンは眉をひそめた。
「魔法が使えないからこそ、『隙間』が見えるのかもしれない」
と俺は続けた。レンはしばし沈黙し、それから声色が少し変わった。
「なんで……なんで、そんなこと言う?」
「事実を言ってるだけだ」
「みんな、属性が無いのは欠陥だと言っている」
「欠陥と特性は別物だ。属性がないのは制約だけど、制約があるから見えるものがある。俺はそういう奴を何人も知っている。普通の環境でしか動かないコードより、制約の中で動くコードの方が、歪だが、たいてい面白い構造をしてる」
レンが今までに見せたことのない顔をした。怒りでも諦めでもない。誰かに認められた人間の顔だった。アリシアも、少し離れたところで同じような顔をしていた。
「コードとは何?」
と今度はアリシアが聞いてきた。
「俺の前の世界での魔法の言葉です」
と俺は答え、そして、レンに言った。
「俺のペン、渡してもらえる?」
レンはゆっくりとペンを差し出した。それを見ていたアリシアが、何か言いかけてやめた。俺のペンは、胸のポケットに収まった。




