第18話 魔法のフレームワーク(原型)
翌日から、俺は生徒になった。
場所は、書庫の隅の一室。アリシアが講師として使っている小部屋を借りた。机が一つ、椅子が二つ。壁際に、遺稿六冊。俺は椅子に座って、アリシアが黒板に書く記号を、写した。
「まず、これが基本の六属性です」
アリシアは、円を六つ描いた。それぞれの中に、違う記号を入れた。
「火、水、風、土、光、闇。魔法陣の中心核に、この記号のどれかが入る。それが、その術式が何属性かを決めます」
「その記号はいつからあるんですか」
「……分かりません。古くからずっとあります。教科書の最初のページに載っています」
「誰が決めたか、書いてありますか」
アリシアは、少し黙った。
「書いてありません」
俺は、それをメモした。属性の記号。出所不明。教科書の最初のページ。誰が決めたかは書いていない。
二百年前から一文字も理由が書かれていない、あの魔法書と同じだった。
文法は思ったより単純だった。
外周の円が、魔力の範囲と安定を決める。内側の星が、術式のフレームを作る。星を繋ぐ文字が、処理の順序を指定する。中心核が、魔力の源と属性を決める。四つの層が、外から内へ、重なっている。
俺は、それをプログラムの構造に置き換えて理解した。外周が実行環境。星が制御構造。文字が命令列。中心核が、入力と、その型。
置き換えると、頭に入ってきた。俺は、魔法の文法を覚えたのではなかった。俺の知っている構造に、名前を貼り直しただけだった。それでも、読めるようになるなら、それでよかった。
一週間で、俺は簡単な術式を読めるようになった。火球。水の球。風の刃。教科書に載っている、基本のものだ。どれも、構造としては、単純だった。入力があって、処理があって、出力がある。バグは無かった。教科書に載るくらいの基本的なものは、さすがに、誰かが直したのだろう。
二週間目に遺稿を開いた。
最初の一冊。文字のない、図だけの本。
俺は、最初のページの図を文法に照らした。
外周の円がある。内側に星がある。ここまでは普通の魔法陣と同じだ。だが、中心核が無かった。
「中心核がありません」
俺が言うより先に、アリシアが言っていた。彼女の方が、ずっと早く気づいていた。専門家の目だ。
「これは、未完成です。……描きかけか、書き損じでしょう。属性の無い魔法陣なんて、ありえない」
彼女は、次のページをめくろうとした。意味のない図として、先へ進もうとした。
「待ってください」
俺は、そのページを押さえた。
「ありえない、というのは、属性が有るのが当たり前だ、という前提ですよね。……その前提を疑っていた人が、一人います。属性は後から加えたものだ、と繰り返し言っていた人が」
アリシアの手が、止まった。
「これは、書き損じじゃないと思います」
俺は図を見た。
「中心核が空いているんじゃなくて、まだ入れていないんです。これは、完成した術式じゃない。属性を入れる前のフレームだけの図です」
外周があって、星があって、文字がある。でも、真ん中が空いている。
俺は、しばらく、その空欄を見ていた。
属性は、後から加えたものである。
あの本の、最後の一行。初代エルドレインが、繰り返し口にしていた主張。
この図は、それを絵で示していた。属性の入る前のフレーム。中心核の空いた魔法陣。原型には属性が無い。だから、真ん中が空いている。
「アリシアさん」
「はい」
「これは、原型です。属性を入れる前の魔法のフレーム。……初代エルドレインは、これを描き残した。属性を入れる前は、どういう形だったかを」
アリシアは、その空欄を見ていた。
彼女の祖先が、二百年前に、属性の無い魔法陣を描いていた。属性は後から加えたものだと、絵で、証明していた。そして、家が、それを封じた。
「読めますか。この図が何を言っているか」
「フレームは読めます。でも」
俺は、正直に言った。
「これ一枚じゃ、足りません。原型がこうだ、というのは分かる。でも、そこにどうやって属性が差し込まれたのか、なぜ差し込む必要があったのかは、この一枚には書いてない。……続きを読まないと」
六冊ある。
全部読めば、分かるかもしれない。属性が、いつ、誰の手で、何のために、後から差し込まれたのか。
その日、レンは部屋の隅にいた。
俺たちが図とにらめっこしている間、退屈そうに、床に座って壁を見ていた。
「レン」
俺は呼んだ。
「この図、レンには、どう見える」
レンは、立ち上がって、机の図を覗いた。しばらく見て、言った。
「真ん中、隙間」
俺は、動きを止めた。
「隙間?」
「うん。真ん中、ぽっかり空いてる。あんたが直す前の、杭の隙間と、おんなじ形」
俺は、アリシアと顔を見合わせた。
中心核の空欄。属性を入れる前の空白。それが、レンには、杭のループと同じ「隙間」に見えている。
何かが、頭の隅で引っかかった。うまく像を結ばない。属性が後から差し込まれるものだとして、その差し込む場所が、レンには隙間に見えるとして——そこから先が、まだ繋がらなかった。指の間から、こぼれていく感じだった。
俺は、それを追わなかった。図は一枚。追えば、たぶん、都合のいい形に繋げてしまう。
まだ、分からない。図が、五冊、残っている。
その夜、俺はメモを開いた。
一行目を、久しぶりに読んだ。
『一、属性は後付けの可能性。要検証』
ずっと、手段が無くて、保留してきた行だ。
俺は、その下に、書き足した。
『遺稿一冊目、属性を入れる前のフレーム図を確認。中心核が空欄。属性後付け説を、図が裏づける。ただし、差し込みの経緯は不明。残り五冊で追う』
要検証、の三文字を、俺は、まだ消さなかった。
図が一枚、裏づけただけだ。裏づけと、証明は、違う。
だが、初めて、その行に、手が届いた気がした。二百年、誰も検証しなかった行に。
八行目は、今夜も、空けておいた。




