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この世界の魔法、二百年前からバグってます ~元エンジニアの異世界デバッグ記録~  作者: 霧里 野蒜


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第15話 査問

 査問は、王宮の一室で行われた。

 窓のない部屋だった。長机の向こうに三人。真ん中が査問官で、王宮の書記官長だという。左右に、記録係が二人。俺の側には椅子が一つ。付き添いは認められなかった。アリシアも、オルグレンも、扉の外だった。

 書記官長は、俺の資料を持っていた。二本の改修、七日の観測、三日の超過。俺が提出した、あの数字の束だ。

 「桐島蒼」

 「はい」

 「出身を述べよ」

 「日本という国です。この世界には、地図がありません」

 「証明する手立ては」

 「ありません」

 書記官長は頷いた。予想通りの答えを予想通りに書き留めた記録係のペンの音がした。

 「身分証、通行証、推薦状。いずれも無い」

 「無いです」

 「ならば、我々に君の身元は確認できない」

 「はい」

 ここまでは、家の書簡の通りに進んでいた。俺が身元不明であることを、順に確認していく手続きだ。何も出ないことがそのまま結論になる——オルグレンの言った通りだった。

 俺は待った。この部屋で、俺にできることはひとつしかない。聞かれたことに、正確に答える。それだけだ。


 「では、この資料について問う」

 書記官長が、数字の束を持ち上げた。

 俺は少し意外だった。身元の確認が終われば、それで終わりだと思っていた。追放の結論は、もう出ているはずだった。

 「これは君が書いたものか」

 「はい」

 「二本の杭を改修し、王都の受入量が増えたと」

 「増えた、とは書いていません」

 俺は言った。

 「三十八年で一度もなかった高さに、七日のうち三日、届いた、と書きました。増えたと言い切るには、日数が足りません」

 書記官長は、資料の一枚をめくった。

 「ここに、こうある。『本記録は、改修の是非を判断するための材料である。設計者の身元とは独立に読まれることを望む』」

 「はい」

 「なぜ、これを書いた」

 「数字は、誰が書いても同じだからです。俺が身元不明でも、ハウゼンさんが測れば同じ数字が出ます。数字に身元はありません。だから、身元とは別に読んでほしいと書きました」

 「望む、とある。願望を公式の記録に書くのは、異例だ」

 「異例です。でも、禁じられてはいませんでした」

 書記官長の口の端が、わずかに動いた。笑ったのかもしれない。分からなかった。


 「ひとつ、確認する」

 彼は資料を置いた。

 「この改修の設計者は、記録上、エルドレイン卿となっている。君ではない」

 「はい」

 「では、この査問で君の身元が確認できず、君が追放されたとして、この改修は続くか」

 俺は答えを持っていなかった。正直に言った。

 「続きません。設計をできるのは、今、俺だけです。刻む人はいます。測る人もいます。でも、どこにどう線を入れるかを決められるのは、俺だけです」

 「エルドレイン卿の原設計に基づく補修ではないのか」

 「記録上はそうです」

 俺は言った。ここで嘘をつけば少し楽になる。エルドレイン卿の設計を復元しているだけだと言えば、俺がいなくても続けられることになる。追放されても改修は残る。丸く収まる。

 でも、それは嘘だ。

 「実際には違います。俺が設計しています。エルドレイン卿の名前が載っているのは、俺に身分証がないからで、それは規定に従った結果です。設計そのものは俺のものです」

 記録係のペンが走った。俺は、自分で自分の追放の理由を、補強したのかもしれなかった。設計者は身元不明の外来者である、と、今、公式に記録された。

 書記官長は、しばらく黙っていた。

 「君は、自分に不利なことを正確に言うな」

 「不利かどうかは、俺が決めることじゃありません。事実かどうかだけです」


 書記官長は、記録係の二人に何か合図した。二人ともペンを置いた。

 記録が止まった。

 「ここからは、記録に残さない」

 彼は言った。

 「私の個人的な興味だ。答えなくてもいい」

 俺は身構えた。記録に残らない質問は、記録に残る質問より危ういことがある。

 「三十八年前、南線第九杭で同じ試みがあった。君は資料の備考で、施設管理長の手帳を参照させている。私は、その手帳を取り寄せて読んだ」

 「……はい」

 「三十八年前の彼は、失敗して、始末書を書いた。四行だ。日付、杭の番号、数字、戻した旨。理由は無い」

 「はい」

 「君は、なぜ理由を書く」

 部屋が静かだった。記録係のペンは止まったままだ。

 俺は少し考えた。この質問には、正確に答えたかった。

 「三十八年前に理由が書いてあれば、俺は同じ失敗をしませんでした。逃がした魔力が下流に移るだけだと、最初から知っていられた。半月、無駄にせずに済んだ」

 「では、君のために書くのではないな。次の誰かのためか」

 「それもあります。でも、一番は」

 俺は言葉を選んだ。

 「一番は、書かないと無かったことになるからです。三十八年前、彼は正しく失敗しました。正しく失敗するというのは価値のあることです。でも、理由が書かれなかったから、その失敗は、ただの失敗として消えました。誰も、そこから学べなかった。……失敗が消えるのが一番もったいない。成功は、放っておいても誰かが真似します。失敗は書かないと、誰も引き継げません」

 書記官長は、俺を見ていた。

 「君の世界では、皆そう考えるのか」

 「いえ。俺のいた場所がたまたまそうでした。動いているものには理由があって、その理由は書いておかないと消える。俺はそれを叩き込まれてから死にました」

 「死んだ」

 「過労で。仕事のしすぎです」

 初めて、書記官長がはっきりと笑った。

 「それは、記録に残す価値のある死因だ」


 彼は記録係に合図した。ペンがまた動き出した。

 「査問の結論を述べる」

 俺は姿勢を正した。

 「一、桐島蒼の身元は、確認できない。これは事実として記録する」

 来た、と思った。

 「二、ただし、身元の不明は、提出された技術資料の有効性を左右しない。資料は、施設管理長ハウゼンの計器と記録に基づいており、その正確性は、桐島蒼の身元とは独立に検証可能である」

 俺は顔を上げた。

 「三、よって本査問は、桐島蒼の追放を勧告しない。代わりに、以下を勧告する。地脈杭改修の是非は、身元審査ではなく、技術審査によって判断されるべきである。技術審査のための独立した委員会を設置するよう、勧告する」

 「……委員会」

 「君の資料に、こう書いてあった。読む人間が決める、と。読む人間を正式に置く。それが結論だ」

 書記官長は、資料を揃えて、机に置いた。

 「君の望みは、半分だけ叶った。身元とは独立に数字が読まれる。ただし、読む人間が、君に有利に読むとは限らん。委員会は改修を止めるかもしれん。それでも君は、これでよかったと思うか」

 「思います」

 俺は即答した。

 「止めるにしても、続けるにしても、数字を読んで決めるなら、それでいいです。理由を見ずに、身元だけで決められるのが、一番困る」

 「変わった男だ」

 「よく言われます」


 部屋を出ると、アリシアとオルグレンが立っていた。

 二人とも、何も聞かなかった。俺の顔を見て、それから、俺の手にある資料を見た。追放の通告書は持っていなかった。

 「委員会ができるそうです」

 俺は言った。

 「数字を読む人間が正式に置かれます。改修を止めるか続けるかは、そこが決めます」

 オルグレンが、ふう、と息を吐いた。この人が、感情らしいものを出したのを、初めて見た。

 アリシアは、何も言わなかった。ただ、俺の隣に来て、並んで歩き始めた。廊下は長かった。窓から、二つの太陽の光が、二方向に影を落としていた。

 「アリシアさん」

 「はい」

 「家はこれで引きますか」

 「引きません」

 彼女は前を見たまま言った。

 「身元で追い出せないなら、次は、数字を疑ってきます。委員会に、家の息のかかった人間を送り込むでしょう。……まだ、始まったばかりです」

 「そうですか」

 俺は少しだけ笑った。

 始まったばかり。それは悪い報せではなかった。追放されていれば、始まりもしなかった。


 その夜、俺はメモを開いた。

 六行目まで、埋まっている。査問のこと、委員会のこと、七本の道のり。全部、事実だ。

 五行目だけが、空いている。あの子の行だ。

 俺はその空白を、しばらく見ていた。

 委員会ができれば、地脈杭の調査は公式のものになる。第三障壁も、いずれ調べる日が来る。そのとき、レンの「隙間」は、避けて通れなくなる。属性を持たない子が、防護術式を通り抜ける。それは、委員会の関心を必ず引く。

 俺が守ってきた空白は、俺が勝つほど、守りにくくなる。

 勝てば勝つほど、あの子が危ない。

 おかしな話だ。俺は正しいことをしている。正しいことをするほど、一番弱い子が、隅に追い詰められていく。

 メモの五行目を、俺は今夜も空けた。

 ただ、初めて、空けておくことが、逃げなのかもしれないと思った。


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