第14話 成果
オルグレンに呼ばれたのは、三本目の申請を出した翌日だった。
机の上に、書簡が一通あった。開封されている。俺のいる側からは、文面は見えない。ただ、末尾に押された封蝋の紋章だけが見えた。アリシアのローブの胸元にあるのと、同じ紋章だった。
「エルドレイン家からだ」
オルグレンは言った。
「読み上げはしない。要点だけ言う。身元の確認できない外来者に、国の基幹設備の改修を主導させるのは、王国の安全にかかわる。これは学院の裁量を超える問題であり、王宮の査問に付すべきである。……そういう内容だ」
「査問」
「王宮が、君の身元を調べる。身分証がない以上、調べても何も出ない。何も出ないことが、そのまま結論になる」
つまり、追放だ。丁寧な手続きを踏んだ追放。
「三本目の申請は」
「保留した。査問の間、君は設備に近づけん」
俺は黙った。反論する材料がなかった。家の言い分は、正しいのだ。俺は身元の確認できない外来者で、それは事実で、事実である以上、手続きに従えば、こうなる。
「ひとつ、聞いていいですか」
「言え」
「学院長は、この査問を止められますか」
「止められん」
「止めたいとは、思いますか」
オルグレンは、少し黙った。
「私は、思うことでは動かん。規則で動く」
それが答えだった。この人が俺を庇えば、それは「学院長が気に入った相手だから庇った」という前例になる。次にこの椅子に座る人間は、気に入らない相手を同じ理由で切れるようになる。だからこの人は、好き嫌いで人を残さない。規則が残せと言うなら残し、切れと言うなら切る。
今回、規則は、切れと言っている。
この人は、俺を追い出したいわけでも、庇いたいわけでもない。ただ、正しい手続きが、俺を追い出す形になっている。第四十一杭の記録がエルドレイン卿に帰属したのと、同じことだ。悪意はどこにもなくて、それでも、消える方へ進んでいく。
部屋を出ると、廊下にアリシアがいた。
顔を見て、彼女はもう知っているのだと分かった。
「家が」
「聞きました」
「止めさせます」
彼女は言った。声が硬かった。
「私が家に戻って、当主に——」
「アリシアさん」
俺は遮った。
「戻って、何を言うんですか」
「査問を取り下げるように——」
「取り下げる理由がありません。家の言い分は正しいんです。俺は身元不明の外来者です。それは本当のことだ」
「でも」
「本当のことで攻められているときは、本当のことでしか返せません。嘘で守られても、それは次の攻撃で崩れます」
アリシアは、口を閉じた。
俺は続けた。
「一つだけ、方法があるかもしれません。ただ、アリシアさんの家には、たぶん一番効きます。そして、たぶん一番、傷つけます」
「何ですか」
「三本目です」
その夜、俺はオルグレンに、もう一度会いに行った。
「査問の前に、三本目を測らせてください」
「保留したと言った」
「新規の改修はしません。すでに直した二本と、これから測るだけの一本。測定は改修ではない。書式のどこにも、測定を止める条項はないはずです」
オルグレンは俺を見た。
「屁理屈だな」
「はい。でも、通る屁理屈です」
「何を証明する」
「受入量が、変動幅を超えるところを見せます。二本ではぎりぎり幅の中でした。三本目を直せば——いや、直せないなら、測るだけでもいい。すでに二本分、王都へ余分が流れています。あと一本分の変動が、たまたま上に振れた日を選べば、幅を超える瞬間が記録できます」
「たまたま、では証明にならん」
「なりません。だから、続けて七日測ります。七日のうち、何日、幅を超えるか。二本を直す前の同じ季節の記録と、比べます。ハウゼンさんの手帳に、三十八年分あります」
オルグレンは長いこと黙っていた。
「それで何が変わる」
「査問が、身元の話から、数字の話になります」
俺は言った。
「身元の確認できない外来者が、王国の設備を毎日、街灯何百灯分か明るくしている。それが記録に残っていれば、追い出すかどうかは、身元だけの問題ではなくなります。追い出せば、その分が消える。それを決めるのは、俺の身元ではなく、数字を読む人間です」
「読む人間が、正しく読むとは限らん」
「はい。でも、数字が無ければ、読む人間は身元しか読めません」
オルグレンは、測定だけを許可した。改修はなし。既存の二本と、上流三本の観測のみ。ハウゼン立会い。
七日間、俺たちは丘に通った。
受入量は、日によって揺れた。低い日もあった。幅の中に戻る日もあった。俺は毎日、正直に記録した。今日は超えた。今日は超えなかった。
四日目、はっきり超えた。その日の受入量は、三十八年分の同季節の最高値を、上回った。
五日目、また幅の中に戻った。
六日目、超えた。
七日目、超えた。
七日のうち、三日。三十八年で一度もなかった高さに、三日、届いた。二本の杭を直した後の、この七日にだけ。
ハウゼンが手帳を閉じた。
「三日だ」
「三日です」
「三十八年、一度もなかった数字だ。それが、三日出た」
「偶然かもしれません」
俺は言った。言わなければならなかった。
「三日では、偶然を排除できません。もっと日数が要ります。もっと本数も要ります。これは、証明ではありません」
「分かっとる」
ハウゼンは言った。
「証明の、二枚目だな」
「……いや」
俺は少し考えて、言い直した。
「証明という言い方が、そもそも間違いでした。これは証明じゃなくて、積み上げです。何枚あれば足りるという枚数は、ありません。本数を増やして、日数を増やして、偶然で説明できる余地を、少しずつ潰していくだけです。どこで足りたことになるかは、俺じゃなくて、数字を読む人間が決めます」
「あと何本だ」
ハウゼンが聞いた。
俺は手帳の三十八年分を思い浮かべて、変動幅を頭の中で計算した。
「七本、直せば」
と俺は言った。
「二本でこの高さなら、下流から七本まで直せば、七日測って七日とも幅を超えると思います。そうなれば、偶然だとは言わせません」
「七本か」
「七本です」
言ってから、気づいた。
七本。二百年前の誰かが、王都側から直して、消された本数と、同じだった。
その記録を、俺は査問の資料として提出した。
身元に関する反論は、一行も書かなかった。書けないからだ。俺は身元不明で、それは変わらない。
代わりに、数字を書いた。二本の改修。七日の観測。三日の超過。三十八年分との比較。全部、確かめた事実だけ。推測は一つも入れなかった。
最後に、一行だけ添えた。
『本記録は、改修の是非を判断するための材料である。設計者の身元とは独立に読まれることを望む』
望む、という言葉を、俺は初めて公式の記録に書いた。事実ではない。願いだ。
だが、それも残る。二百年後に誰かが読むなら、この願いも読む。
その夜、メモの五行目は、まだ空いていた。
六行目に、俺は初めて書いた。
『査問の結果がどうであれ、二本は直っている。それは消せない。石に刻んである』
消される、という言葉が頭をよぎった。二百年前の削り跡のように。
だが、あれは消された後も、跡が残った。完全には消えなかった。消した名人でも、石から完全には消せなかった。
俺は六行目の下に、もう一行、足そうとして、やめた。
まだ、査問は始まってもいない。




