第13話 妨害
二本目の申請は、一本目より早く通った。
同じ設計、同じ手順、同じ立会人。前回との違いは、王都側で確認できなかったという結果が、一枚目の報告に正直に書いてあったことだった。オルグレンは申請書を読んで、こう言った。
「前回、確認できなかったと書いたな」
「はい」
「確認できたと書いてあったら、私は今日、これに判を押さなかった」
その意味を俺はしばらく考えた。
嘘のない失敗は、次の許可を早める。誇張された成功は、次の許可を遅くする。当たり前のことだが、当たり前が通る場所は少ない。
北線・第四十杭。第四十一杭の一つ上流。
ザイフェルトが来て、ハウゼンが来て、アリシアが来た。四人で丘を登った。
俺は刻む前に、また石に顔を近づけた。今度は、跡があることを知っている。
あった。線と線の間、俺が指定した位置。削って均された、二百年前の跡。摩耗の具合は、第四十一杭のものと同じだった。
「同じですね」
「同じだ」
ザイフェルトは刷毛で払って、しばらく見ていた。
「ひとつ、言っていいか」
「はい」
「この跡を消した奴は腕がいい」
彼は跡の縁を指でなぞった。
「消すのは刻むより難しい。刻むのは足す仕事だが、消すのは、他の線を傷つけずに一本だけ抜く仕事だ。周りの二百年前の線にひとつも傷がない。……私にできるかどうか、分からん」
三十年やっている男がそう言った。
消した人間は、消される線を刻んだ人間と、同じくらいの腕を持っていた。あるいは、それ以上の。
俺は跡を見た。二百年前、この石の上に二人の名人がいた。一人が直し、一人が消した。どちらも記録に残っていない。石だけが、両方の手を覚えている。
刻印は、一時間で終わった。
測定。第四十杭、二十・三。前日は二十六・二。五・九下がった。
その日、第四十一杭も測った。前に直した杭だ。
二十・一。変わっていない。上流から余分が流れてきても、第四十一杭はそれを焼かずに、王都へ渡している。設計通りだった。
二本、直った。北線の下流から二本。逃がした分は、二本とも王都へ届いているはずだ。
受入口へ移った。
その日の受入量は、平均より高かった。前回より、はっきり高かった。だが、まだ変動幅の中だった。ぎりぎり、上の方だ。
「一本分では、幅の中だ」
ハウゼンが言った。
「二本分でも、まだ幅の中だ。ただし、上限に近い」
「三本目で、超えますか」
「四本目か、五本目だろう。運がよければ三本目だ」
運、という言葉をこの人が使うのは珍しかった。変動は運ではない。ただ、いつ幅を抜けるかは、その日の地脈と使用量次第で、そこだけは予測しきれない。
学院に戻る道で、アリシアが横に並んだ。
「ひとつ、報告があります」
「はい」
「家が学院長に書簡を送りました。私宛ではなく、オルグレン学院長宛です」
「内容は」
「読んでいません。でも、想像はつきます。外来研究員の身分について、でしょう」
俺は足を止めなかった。
俺には身分証がない。国の記録に設計者として名前が載らないのもそれが理由だった。家がそこを突くなら、狙いはひとつだ。身元の不確かな異世界人が、国の設備に手を入れている。それを問題にすれば、改修そのものを止められる。
「俺を追い出す方が、噂を消すより早いですね」
「そうです」
「アリシアさんの家は頭がいい」
「褒めているんですか」
「事実を言ってます」
彼女は少し笑って、それから、笑うのをやめた。
「桐島さん。あなたが追い出されたら、この改修は止まります。私では設計できません。私はあなたの図面を刻めるだけです」
「刻めるだけ、なんてことはないですよ。二百年前の跡を消した名人と、アリシアさんは同じ仕事ができる」
「消す方はできません」
彼女は即座に言った。
「私は、足すことしか習っていません」
その言い方が、少し引っかかった。だが、そのときは流した。
その夜、俺は考えた。
身分の問題は、俺にはどうにもできない。証明する手段がない。神様は身分証を用意してくれなかった。要件定義が雑だったつけが、こんなところで回ってくる。
できるのは、追い出される前に、事実を一つでも多く残すことだ。
俺は工事記録の二枚目を清書した。備考欄の五行を、また削って書いた。今度は、一本目の記録を参照する形にできたので、一行分、余裕ができた。その一行に、俺は書いた。
『第四十杭にも、第四十一杭と同位置に古い削り跡あり。摩耗均一。過去に同種の改修が試みられた形跡。詳細は施設管理長の点検記録による』
削り跡のことを、初めて公式の記録に入れた。
推測は書かなかった。誰が消したとも、家譜がどうとも書いていない。ただ、跡が在る、という事実だけを書いた。事実は確かめてある。二本の杭に、同じ跡が、同じ摩耗である。それは俺が見た。
在ることを書くのは、推測ではない。
書いてから、俺はメモを開いた。
四行目、削り跡。その下、七本の分析。
消す者について書く行は、まだ作っていない。
五行目は、あの子の行だ。今夜も空いている。
ふと、思った。アリシアの「消す方はできません」という言い方は、なぜあんなに速かったのだろう。
俺はその問いを、どこにも書かなかった。書くほど、確かなものではなかった。ただ、忘れないように、一度だけ口の中で繰り返した。




