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# 04


「はじめまして。中央署から参りました、生活安全課の荻原と申します」

「――えっ!?」


 荻原さんの自己紹介に、彼女は跳ね上がるほどに驚いた。

 というか、僕も僕でかなり驚いた。

 何故、突然そんな嘘を吐いたのだろうか。それも、彼女が警察の介入を望んでいないことを知った上で。


 しかし、僕がそれについて問いただす前に、荻原さんはいつもの笑顔でしれっと謝罪の言葉を口にした。


「驚かせてすみません。冗談です」


 そう言いながら荻原さんは名刺を取り出し、彼女に渡す。そして、改めて「萩原探偵事務所、事務員、荻原です」と名乗り、


「ちなみに字は似ていますが、所長の萩原とは血縁関係も戸籍上の関係もありませんので、予めご承知いただけるとありがたいです」


 と、実に慣れた感じで僕のときと同様の注意事項。どうやら初対面の相手には必ず行っているようだ。


「は、はあ……」


 状況の激しい変化に追いつけていないといった感じだけど、なんとか頷く彼女。

 そして、そんな複雑な表情のまま挨拶を返した。


「あー、えっと……舞川(マイカワ)柚子(ユズ)、です。はじめまして」

「はい、はじめまして。そして、急にお呼び立てして申し訳ありませんでした。では、あまりお時間を取らせるのもアレなので、詳しいお話は移動中にでも」


 そう言って、スタスタと歩き出す荻原さん。

 彼女――柚子ちゃんが一瞬不安そうな視線を送ってきたが、それに黙って頷くと、僕らもすぐにその後に続いた。




 事前書類を作るために、現場検証をする。


 もちろん、探偵に依頼するというのは初めての経験なので、それが業界的に普通のことなのかどうかは分からない。だけど率直に、それは探偵本人がやればいいのでは、とは思った。

 しかし思いはしたが、口にはしていない。というか、できていない。

 というのも、荻原さんは聞き上手であるのと同時に、話し上手でもあるのだ。そして、彼女が話し始め、動き始めると、異を唱えるのが憚れるような独特の雰囲気になるのだ。


 だから、現場検証のために早速行動を開始した荻原さんに素直に従い、僕はまず柚子ちゃんに連絡をした。

 写真が撮られた現場の一つである彼女の部屋を調べるには当然、本人の立ち会いが必要だからだ。


 幸い、柚子ちゃんは大学で講義を受けている最中で、すぐにスマホアプリにて返信がきた。……まあ、講義に集中していないことについては、一旦置いておくとして。

 ただ、その返事は決して色好いものではなかった。

 警察がダメならせめて探偵をと、僕なりに譲歩したつもりだったのだが、柚子ちゃん的には第三者が入ってくること自体、あまり好ましくなかったらしい。

 だが、そこはなんとか説得し、最終的に了承は得た。渋々という感じは否めないが。


 そして講義が終わるまで、あと三十分は掛かるとのことだったので、僕らは先に他の現場を見て回ることにした。(ちなみに、移動は荻原さんの車で。意外にも、と言うと失礼かもしれないけれど、真っ赤な流線形のスポーツタイプだ)


 しかし、柚子ちゃんの部屋を後回しにするとしても――そして、たとえ後回しにしなくても、どうしても調べることができない現場が一つだけあった。

 彼女のバイト先であるファミレスの更衣室、である。


 大事(おおごと)にだけはしないでほしい、という彼女の願いを守ると、そこだけは立ち入れない。更衣室なんてプライベートスペースに入るためには、お店側に彼女がストーカー被害に遭っているかもしれないことを言わざるを得なく、それでは願いに反することになってしまう。

 だから、更衣室だけは除外してほしいと荻原さんに伝えると、


「ええ、もちろん。我々は、依頼人の希望に沿った仕事が第一ですから」


 との、あっさりとした返答。

 高い仕事意識が垣間見えたので、てっきり「やる以上、全て調べないといけません」なんて返されるかと身構えていたから、正直肩透かしという感じだった。……もちろん、望みの結果であるので文句はないが。


 というわけで、地理的な理由から通学路、講堂、柚子ちゃんと合流して部屋、という順番で調べていくこととなった。


 なった――のだが、そこに特殊なことは一切なかった。


 写真が撮られた通学路は正確な場所こそ分からなかったが、周りの風景からおおよその見当が付いていたので、特に迷うことなく到着。そして荻原さん一人が車から降り、タブレット端末で周辺の写真を何枚か撮ると、戻ってきた彼女の「では、次に行きましょうか」の一言でここの現場検証は終了だった。


 続く講堂も、内容的には全く同じだ。

 写真に写る講堂は、僕らの大学に一つしかない『大講堂』というもので、イベントや特別講師を呼んだ際にしか使わないため、一般の授業は行われていない。だから、僕たちが行ったときも何名かの生徒がまばらに座っている程度で、それぞれがそれぞれのこと――数人でおしゃべりしてる人もいれば、一人で勉強したり、スマホをいじってる人もいた――に集中し、新しく誰かが入ってきても気にする者は一人もいなかった。

 なので、荻原さんも気兼ねなく何カ所か撮影して、ここもあっという間に終了。


 正直、業界随一と謳われるほどの探偵事務所なので、もっと特別なことをするのではないかと期待していた。だから、あまりに普通の展開にがっかりしていないと言えば嘘になる。

 しかし、そもそもこれは調査の前段階。多くを求めること自体、間違っている。


 と、そんなことを自分に言い聞かせながら、また、これまでの僕たちの行動を柚子ちゃんに話していると、彼女のマンションに到着した。


 閑静な住宅街にある、九階建てのマンション。入口はオートロックで防犯カメラも随所に設置、家賃も手頃で大学にも近いということで、地方組の女子学生を中心にかなり人気がある物件らしい。現に僕の同級生も一人、ここに住んでいる。


 だけどこの程度のセキュリティ、ストーカー相手にはあまり効果を為さないんじゃないだろうか?

 オートロックは住人の出入りのタイミングを狙えば簡単に破れるし、防犯カメラは変装などでどうとでもなる。


 しかし、そんな僕の不安をよそに、荻原さんは入口を写真に収めることもなく、柚子ちゃんの案内であっさりとマンション内へ。

 やはりプロからすれば僕の考えなんて当然のことなのかな、と思いながらエレベーターで五階、そして柚子ちゃんの部屋の前まで来たのだが――


「ちょっとだけ――ちょっとだけ、ここで待っててください。部屋、少し片付けるんで」

「ああ、いえ、お構いなく。こちらこそ、ちょっとだけお邪魔させてもらうつもりですので」

「いや、無理です! その――今朝ちょっと慌てて出ちゃったんで、それだけでも片付けさせてください!」

「あ、それならそれで結構ですよ。できるだけいつも通りのお部屋を、拝見させてもらえればと思っておりますので」

「いや、ホント無理です! 絶対無理です! すぐ! すぐ終わらせるんで、お願いします!」

「はあ、そうですか……まあ、そこまで仰るなら」


 という感じのやり取りがあって、荻原さんと外で待つこと五分ほど。


「すみません、お待たせしました」


 少し呼吸の乱れた柚子ちゃんに出迎えられ、僕たちはようやく最後の現場へと足を踏み入れた。


 部屋はシンプルなワンルーム。キッチンはやや手狭だが、風呂・トイレ別で、収納スペースもしっかりと確保された物件だった。

 ……いや、だった、と言うのも少しおかしいか。だって僕は引っ越しの際に一度、手伝いに訪れているんだから。

 まあ、手伝ったのは家具やダンボールの搬入だけなので、こんな風にきちっと整理整頓されているのを見るのは、例の写真を除けば初めてになるが。


「何枚か写真、よろしいですか?」


 ――もちろん、当たり障りのない場所だけで結構ですので。

 室内に入ると早速、荻原さんはタブレット端末を取り出し、そう尋ねた。

 といっても、これは車内でも訊いておいたことなので再確認だ。だから、柚子ちゃんからの許可もすぐに下り、荻原さんは行動を開始した。


 部屋の全体像、窓の外の風景、テレビや家具の裏、コンセント周辺――と、相変わらずキビキビと写真を撮っていく荻原さん。

 しかし、一人暮らしのワンルームは決して広くはない。動き回る彼女の邪魔にならないようにと考えると、僕たちは自然と廊下のほうへと移動することとなった。


「ホントにごめんね、こんな風に押し掛けることになって」

「あ、いえ。その……むしろ私のためにここまでしてくれて、ありがとうございます」


 まさか探偵の方を呼ぶとは思いませんでしたけど、と苦笑いを浮かべる柚子ちゃんに、僕も同じ表情を返すしかない。僕だって、まさか探偵に依頼(正確には、その前段階だけど)する日が来るとは思いもしなかった。


 だけど僕は、これをやり過ぎだとは思っていない。


 ――柚子ちゃんを見守り続ける。


 当の本人は知らないが、それが彼女の兄と交わした最期の約束であり、彼から多くのものをもらった僕ができる唯一の恩がえ――


「お待たせしました。検証、終了しました」


 その言葉とは裏腹に、待っているなんて感覚すら受けないうちに、荻原さんは僕たちの前に立っていた。

 そして今度はこちらの返答を待たず、彼女は続ける。


「では、萩原に確認の電話をさせていただきますね」

「え……ええ、どうぞ」


 僕たちの横を通り過ぎ、ドアを開けて部屋の外へと出ていく荻原さん。

 その背中をぼんやりと見送った僕はこのとき、彼女の言った『確認』の意味をまだ知らなかった。



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