# 01
「大変申し訳ありませんが、所長の萩原は只今不在でして」
何の変哲もない四階建て雑居ビルの三階。整理整頓が行き届き、シンプルでありながらも息苦しさを感じさせない一室。
そこに踏み入れて早々、迎え入れてくれた黒縁眼鏡の女性の一言に、僕は出鼻を挫かれた。
しかし、挫かれたといっても鼻先程度。心まで挫けることはない。
その返答は十分想定していたことだし、可能性としてはそちらのほうが高いと忠告されて来ているのだから。
だから落胆というよりは予想通りという感じで、思わず僕は言葉を零してしまった。
「そうですか。やっぱり『不在』ですか」
「やっぱり?」
「あ、いや、すみません。ちょっと話に聞いてたもので……」
「いえいえ、お気になさらず。私どもも、そのように呼ばれていると知ってますので」
それにまあ事実ですしね、と朗らかに笑う女性。
しかしそれでも居心地が悪く、すみません、と僕はもう一度だけ頭を下げた。
――不在探偵。
未然探偵こと萩原探偵は、事件を事件化する前に食い止めるという神業を行うため、時として世界各地を飛び回り、自身の事務所にも関わらず滅多に帰らない(あるいは帰れない?)らしいのだ。
故に、付いたもう一つの呼び名が『不在探偵』。一説によると、彼の活躍で仕事を失った同業者が、揶揄してそう呼んだとも言われているそうだが。
しかし、望み薄と重々承知の上でやって来たが、やはり不在となると二重の意味で方向転換せざるを得ない。
だから「それじゃあ、お忙しいところ失礼しました」と踵を返し、ドアノブを握ろうとした僕の手を止めたのは、もちろん他ならぬ彼女だった。
「あ、待ってください。もしお急ぎでないのなら、お話だけでもいかがでしょうか?」
もちろんお代は頂きません、と真っ直ぐな眼差しを向けてくる女性。
その瞳からは、嘘や迷いといったものはまるで感じられない。
だが、それでも考えてしまう。
そんなことをして一体彼女に何の得があるのだろう、と。
そして、そんな僕の考えを見透かしているかのように、彼女は続けた。
「実は、萩原から言いつけられているんです――この扉を叩いた者をそのまま帰すな、と。依頼内容も聞かないなど探偵にあるまじき行為だ、と。ですから、ためしに相談だけでもされていかれませんか? もしアレでしたら、他の事務所をご紹介することもできますので」
――お願いします、どうか私を助けると思って。
両手を合わせてそう言って、少し困ったように笑う彼女。
「はぁ……」
まったくこれじゃあ、どっちが依頼人か分からないな。
そんなことを胸の中で呟きながらも、結局僕はその言葉に甘え、ソファーに腰を下ろすことにした。




