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人喰-ヒトクライ-の子  作者: 鳥部 本太郎
第二章 セナとリネ

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09 喰らう理由

 

 山道をしばらく進んだところで、セナは足を止めた。


 目の前には、周囲の木々よりひと回りも太い大木がそびえている。その根元を境に、細い山道が左右二手に分かれていた。


「うーん……こっち? あれ、こっち?」


 セナは首を傾げ、右を見て、左を見て、しばらく考え込む。


「おいおい、頼むぜ、セナぁ」


 背後から気の抜けた声が飛んできた。


 振り返ると、ヨハルが引く荷橇(にぞり)の上で、イリが胡坐(あぐら)をかいている。


 その表情には明らかに呆れた色が見えた。


「しょうがないだろ! 道は父さんと母さんが知ってて、僕はいつも荷橇に乗っていただけなんだ!」


「自分の足で歩け、怠け者ぉ」


「お前が言うな!」


 思わず声を張り上げる。


 このイリとかいう少女(ヤツ)は、さっきからずっとこれだ。


 人を家から無理やり連れ出そうとしたかと思えば、自分は当然のように荷橇に座って歩こうともしない。


 セナは早くも、この白銀頭の少女に辟易(へきえき)していた。


「ワタシが見よう」


 ヨハルが荷橇の引き手を置き、セナの横を通り過ぎる。


 分かれ道の前で腰を落とすと、地面へ目を凝らした。


「……右だな」


「分かるんですか?」


「ああ。こちらの方が土が固く踏み締められている。それに、車輪の跡も残っている」


 ヨハルが地面を指差す。


 言われてみれば、落ち葉の下にうっすらと二本の筋が伸びていた。


「山菜を採りに入る者が、よく使う道なのだろう」


「すごい……そんなことまで分かるんだ」


「山に入る者なら、これくらいはな」


 セナは素直に感心した。


 牙討(きばうち)とは、ただ人喰を倒す者だと思っていた。だが、それだけではないらしい。


「なぁ」


 荷橇の上から、イリが二人の会話を遮った。


「お前の父親って何者なんだ? 荷橇なんて持ってるし」


「え?」


「そういえば、ワタシも気になっていた」


 ヨハルは再び引き手を握り、右の道へ歩き出す。セナもその横について歩いた。


「牙討でもないのに荷橇を持っているのは、珍しい」


「父さんは、猟師だったんです。よく山に入って鹿とかを狩ってたから……」


「猟師か」


 ヨハルが僅かに目を細めた。


「ならば、この山にも人喰がいることは知っていただろう」


 セナの足が止まった。


「……でも!」


 思わず、強い声が出る。


「父さんは悪くない!」


 ヨハルが振り返った。


「父さん、この季節なら大丈夫だって言ってたんだ。人喰はもう山の上に戻ってるから、この辺には出ないって……!」


 山道に、セナの声が響いた。


 ヨハルはしばらく黙ってセナを見つめていたが、やがて静かに頷いた。


「ああ。君の父さんは間違っていない」


「……え?」


「ワタシとて、同じ判断をしただろう」


 セナは目を見開いた。ヨハルは山頂の方へ視線を向ける。


「人喰は暑い季節に獲物を求めて山を下り、夏の終わりから秋にかけて山頂へ戻っていく」


「どうしてですか?」


「冬を越すためだ。寒くなると、ほとんど動かなくなる」


「……冬眠するってこと?」


「いや、近くに獲物がいれば食う。だが、自分から追うことはない」


「追わないんですか……人喰なのに?」


「うむ。体力を無駄に消耗しないためだ。冬に獲物を追えば、かえって飢える。戦えば傷を負う危険もある」


 ヨハルは再び歩き始めた。


「だから夏の間に栄養を蓄え、冬は山頂付近で春を待つのだ」


 セナも少し遅れて、その後を追う。


「じゃあ……今ここにいるのは、おかしいってことですか?」


「ああ。本来なら、とっくに山頂へ戻っている時期だ」


「だったら、なんで……」


「それを確かめるのも、ワタシの仕事だ」


 ヨハルは山道の先へ目を向けた。


「人喰も生き物だ。必ずしも習性通りに動くとは限らん」


「…………」


「牙討は、そうした習性から外れた行動を“異(たが)れ”と呼んでいる」


「あー、出た出た」


 荷橇の上で、イリがうんざりしたように手をひらひらと振った。


「最近多くねぇか? タガレ、タガレって」


「……そうだな」


 ヨハルの眉が僅かに動いた。


「でも……なんでそんなことするんだろう」


 セナが呟く。


 ヨハルが答えるより先に、荷橇の上から声が落ちた。


「腹減ってんじゃねぇの?」


 イリは胡坐をかいたまま、頬杖をついていた。


 ヨハルが小さく頷く。


「その可能性はある」


「じゃあ……食べるものを探して、山を下りてきた?」


「分からん。だが、山頂にいても飢え死にするなら、危険を冒して山を下りる個体がいても不思議ではない」


 ヨハルはそこで足を止めた。


「イリ」


「んー?」


「そろそろ拾えそうか?」


 その一言で、イリの様子が変わった。


 荷橇からひょいと飛び降りると、鼻先を僅かに上げた。


 すん、すん、と短く息を吸う。


 風向きを探るように顔を左右へ巡らせ、何度も鼻をひくつかせる。


「…………」


 セナは不思議そうに、その様子を見つめる。


「何してるの?」


「嗅いでんだ。黙ってろ」


 イリがじろりとセナを睨む。


「……っ」


 その目つきに、セナは思わず口を噤(つぐ)んだ。先ほどまで荷橇の上でぼやいていた時とは、まるで目つきが違っていた。イリはすぐに視線を戻すと、再び顔を上げ、大きく鼻から息を吸った。


 そして、ぴくりと眉を動かす。


「……いるな」


 それを聞いたヨハルが、背中の三又の槍へ手を添える。


「方角は?」


 イリはゆっくりと顔を巡らせる。やがて山道から外れた木々の奥を指差した。


「あっち」


「距離は?」


「うーん、まだまだ遠いな。もっと寄らねぇと、はっきり掴めない」


「そうか」


 ヨハルは槍から手を離し、再び荷橇の引き手を握った。


「匂いで居場所が分かるのか?」


 セナがイリへ尋ねる。


「ああ。鼻が利くもんでね」


 イリは得意げに、自分の鼻先を指でとんとんと突いた。


「だから牙討様と一緒にいるのか」


「まあ、そんなとこだ」


 イリはそれだけ答えると、前を向いた。セナもその隣を歩く。しばらく、誰も口を開かなかった。


「なあ、イリ」


「ん?」


「……なんで、僕の父さんと母さんが殺されなきゃいけなかったんだろう」


「なんでって、理由が知りたいのか?」


「だって……何も悪いことしてないのに」


「そんなの関係ないだろ」


「……え?」


「お前だって、腹減ったら飯食うだろ?」


 イリは、表情ひとつも変えずにそう答えた。


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