08 牙討が連れる少女
外が、なにやら騒がしい。
セナは寝台に横たわったまま、窓の方へ目を向けた。
普段なら聞くことのないほど多くの足音と話し声が、家の前を行き交っている。
「牙討様、イリ様。あの子はまだひどく落ち込んでおりますので……どうか、あまり刺激なさらぬようお願いいたします」
村の人の声だった。
──牙討。リネが言っていた、今日この村に来るという男のことだろう。
「セナ……入るよ?」
今度はリネの声がした。木戸がゆっくりと開く。
リネが木戸の隙間から顔を覗かせながら、そっと中へ入る。その後ろから、大柄な男が姿を現した。
セナは寝台から、男を見上げる。
背丈ほどもある三又の槍を背に携え、首にはいくつもの牙を連ねた首飾りを下げている。齢は父さんと同じくらいに見えるが、優しそうだった父さんとはまるで違う。立っているだけでどこか近寄りがたい迫力があった。
その男が口を開く前に、少女の声が響いた。
「おーい、セナ……だっけ? 居るんだろ、返事しろ」
「…………は?」
セナは眉をひそめる。男の脇から、声の主の少女がひょいと顔を出した。白銀の髪は獣の毛のようにあちこちへ跳ね、杏色の瞳が部屋中を見渡している。
リネが言っていた少女は、この子のことだろう。たしかに同じくらいの年頃に見えた。
少女はそのまま、家の中にずかずかと入ってきた。
「おっ、居たな。なぁなぁ、お前の父ちゃんと母ちゃんが山で喰われたんだろ?」
「おい、イリ!」
大柄な男が低い声で制した。
「なんだよ、ヨハル」
「少しは言葉を選びなさい」
「なんでだ? 合ってるだろ」
イリは不思議そうにヨハルを見上げた。
「…………はぁ」
額に手を当てるヨハル。セナは上体を起こし、少女へ返答した。
「ああ、そうだよ。父さんも母さんも喰われた」
「だったらさ、そいつ殺しに行こうぜ」
セナの眉間に深く皺が寄った。
「なんだよ、お前……簡単に言うな!」
「何が?」
「何がって……!」
セナは言葉に詰まる。
腹の奥から、むかむかと苦い思いが込み上げてきた。こいつは何も知らない。父さんがどんなふうに殺されたのか。母さんが最後にどんな顔をしていたのか。何も知らないくせに、どうしてそんな簡単に言えるのか。
「父さんも母さんも……何も出来ずに死んだんだ。人喰の奴に……」
「知ってる」
「だったら──!」
「だから、オレたちが呼ばれたんだろ?」
イリは当然のように言った。
その瞳には、悪意も、からかうような色もなかった。
イリは不思議そうに首を傾げている。
両親を喰われた少年が、なぜ家に閉じこもっているのか。本当に理解できていないようだった。
「わかったか? さっさと案内してくれよ」
「…………」
「それとも、ずっとここで腐ってるつもりか?」
セナの拳が震えた。
「お、お前に……」
言い返そうとして、言葉が止まる。
──お前に何が分かる。そう言いたかった。
けれど、その先が出てこなかった。イリの言葉は無神経だった。今すぐ家から追い出してやりたい。それなのに、言い返すことができなかった。
ずっとこのままではいけない。セナも、心の奥ではそれに気が付いていた。それでも、あの日の光景を思い出すだけで身体が竦んだ。
再びヨハルの低い声が飛ぶ。
「イリ、もういい。この少年には話だけ聞こう。わざわざ現地へ連れ出す必要はない」
ヨハルの言葉に、イリは不満そうに眉を寄せた。
「なんでだよ、ヨハル。襲われた場所がわからないと探せないだろ」
不貞腐れるように口を尖らせるイリに、リネがすかさず割って入る。
「場所の説明ならできるよね? セナ」
「…………」
セナは俯いたまま、返事をしなかった。
リネは困ったようにセナを見つめたあと、ヨハルへ向き直る。
「牙討様。セナに道順を聞くので……それで、探せませんか?」
「ふざけんな! 道順ってお前なぁ!」
イリが声を荒らげた。馬鹿正直なその声は鬱陶しいほどによく通った。
「そもそも、遭遇から二十日も経ってるんだぞ? あのクソ広い山の中で。いくらオレたちでもある程度は案内してくれねぇと探せねぇよ!」
「でも……!」
リネも負けじと声を張る。
「今のセナには、無理なんです!」
「なんでだよ」
「なんでって……だって!」
リネは思わずセナを見る。
セナは俯いたまま、膝の上で拳を強く握りしめていた。
怖い。
あの山へ戻ることを考えるだけで、身体が震えそうになる。
それでも、父さんと母さんを殺した奴が、今もあの山にいる。
「……もういい。リネ」
「……え?」
リネが振り返る。
「僕が連れて行くよ。その子と牙討様を」
セナはゆっくりと顔を上げた。
「父さんと母さんが……襲われた場所まで」
「セナ……」
リネの表情が曇る。
セナは寝台から足を下ろすと、そのまま立ち上がった。ずっと横になっていたせいか、僅かに足元がふらつく。
「おっしゃー! そうこなくちゃ!」
イリがぱっと顔を輝かせる。
「イリ。お前は少し黙っていろ」
「なんでだよ!」
ヨハルに睨まれ、イリは不満そうな表情を浮かべる。
セナは二人のやり取りには目も向けず、部屋の隅に掛けてあった外套を手に取った。それを羽織ると、壁際に置かれた革のベルトへ手を伸ばす。
父がよく腰に巻いていたものだった。使い込まれた革の鞘には、一本の短剣が収められている。セナはベルトを腰に回し、慣れない手つきで留め具を締めた。そして、そのまま家の木戸へ向かう。
「セナ、本当に平気?」
背中にリネの声が届いた。
「…………うん」
木戸に手をかける。
一瞬だけ、その手が止まった。あの日以来、一度も外へ出ていない。
セナは小さく息を吐き、木戸を押し開けた。冷たい風が吹き込み、頬を撫でる。
「…………っ」
その瞬間──あの日の光景が脳裏をよぎった。
荷橇が山を滑り落ちていく。凍てついた風が頬を打ち、木々がものすごい速さで左右へ流れていく。
荷橇を両手で突き放した母さんが、こちらを見つめている。その背後、大きく裂けた口が開く。
母さんの首元へ、牙が深々と喰らいついた。倒れ込むその瞬間まで、母さんはセナから目を離さなかった。
「──っ!」
セナはぎゅっと目を閉じる。身体がぶるりと震える。瞼を閉じても、あの恐ろしい光景が消えてくれない。
「……大丈夫か?」
すぐ後ろから、ヨハルの低い声がした。同時に、節くれだった手がそっと肩に置かれる。
冷たい風を頬に受けたまま、しばらく木戸の前に立ち尽くしたセナは、やがてゆっくりと目を開いた。
「大丈夫です。行きましょう」
そして、一歩。家の外へ踏み出す。その背中を、リネは心配そうに見つめていた。
背後から、イリの声がした。
「なあ、セナ」
「……なに?」
振り返った途端、イリがぐいっと顔を近づけてきた。
「わっ、な、なに!?」
イリは答えず、セナの首筋に鼻先を寄せた。
ひくひくと鼻を動かし、何かを確かめるように匂いを嗅いでいる。
「ちょ、ちょっと! 何してるんだよ!」
「…………」
イリはしばらくすると、満足したように顔を離した。
「うん、覚えた」




