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人喰-ヒトクライ-の子  作者: 鳥部 本太郎
第二章 セナとリネ

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08 牙討が連れる少女


 外が、なにやら騒がしい。


 セナは寝台に横たわったまま、窓の方へ目を向けた。


 普段なら聞くことのないほど多くの足音と話し声が、家の前を行き交っている。


「牙討(きばうち)様、イリ様。あの子はまだひどく落ち込んでおりますので……どうか、あまり刺激なさらぬようお願いいたします」


 村の人の声だった。


 ──牙討。リネが言っていた、今日この村に来るという男のことだろう。


「セナ……入るよ?」


 今度はリネの声がした。木戸がゆっくりと開く。


 リネが木戸の隙間から顔を覗かせながら、そっと中へ入る。その後ろから、大柄な男が姿を現した。


 セナは寝台から、男を見上げる。


 背丈ほどもある三又の槍を背に携え、首にはいくつもの牙を連ねた首飾りを下げている。齢は父さんと同じくらいに見えるが、優しそうだった父さんとはまるで違う。立っているだけでどこか近寄りがたい迫力があった。


 その男が口を開く前に、少女の声が響いた。


「おーい、セナ……だっけ? 居るんだろ、返事しろ」


「…………は?」


 セナは眉をひそめる。男の脇から、声の主の少女がひょいと顔を出した。白銀の髪は獣の毛のようにあちこちへ跳ね、杏色の瞳が部屋中を見渡している。


 リネが言っていた少女は、この子のことだろう。たしかに同じくらいの年頃に見えた。


 少女はそのまま、家の中にずかずかと入ってきた。


「おっ、居たな。なぁなぁ、お前の父ちゃんと母ちゃんが山で喰われたんだろ?」


「おい、イリ!」


 大柄な男が低い声で制した。


「なんだよ、ヨハル」


「少しは言葉を選びなさい」


「なんでだ? 合ってるだろ」


 イリは不思議そうにヨハルを見上げた。


「…………はぁ」


 額に手を当てるヨハル。セナは上体を起こし、少女へ返答した。


「ああ、そうだよ。父さんも母さんも喰われた」


「だったらさ、そいつ殺しに行こうぜ」


 セナの眉間に深く皺が寄った。


「なんだよ、お前……簡単に言うな!」


「何が?」


「何がって……!」


 セナは言葉に詰まる。


 腹の奥から、むかむかと苦い思いが込み上げてきた。こいつは何も知らない。父さんがどんなふうに殺されたのか。母さんが最後にどんな顔をしていたのか。何も知らないくせに、どうしてそんな簡単に言えるのか。


「父さんも母さんも……何も出来ずに死んだんだ。人喰の奴に……」


「知ってる」


「だったら──!」


「だから、オレたちが呼ばれたんだろ?」


 イリは当然のように言った。


 その瞳には、悪意も、からかうような色もなかった。


 イリは不思議そうに首を傾げている。


 両親を喰われた少年が、なぜ家に閉じこもっているのか。本当に理解できていないようだった。


「わかったか? さっさと案内してくれよ」


「…………」


「それとも、ずっとここで腐ってるつもりか?」


 セナの拳が震えた。


「お、お前に……」


 言い返そうとして、言葉が止まる。


 ──お前に何が分かる。そう言いたかった。


 けれど、その先が出てこなかった。イリの言葉は無神経だった。今すぐ家から追い出してやりたい。それなのに、言い返すことができなかった。


 ずっとこのままではいけない。セナも、心の奥ではそれに気が付いていた。それでも、あの日の光景を思い出すだけで身体が竦(すく)んだ。


 再びヨハルの低い声が飛ぶ。


「イリ、もういい。この少年には話だけ聞こう。わざわざ現地へ連れ出す必要はない」


 ヨハルの言葉に、イリは不満そうに眉を寄せた。


「なんでだよ、ヨハル。襲われた場所がわからないと探せないだろ」


 不貞腐(ふてくさ)れるように口を尖らせるイリに、リネがすかさず割って入る。


「場所の説明ならできるよね? セナ」


「…………」


 セナは俯(うつむ)いたまま、返事をしなかった。


 リネは困ったようにセナを見つめたあと、ヨハルへ向き直る。


「牙討様。セナに道順を聞くので……それで、探せませんか?」


「ふざけんな! 道順ってお前なぁ!」


 イリが声を荒らげた。馬鹿正直なその声は鬱陶しいほどによく通った。


「そもそも、遭遇から二十日も経ってるんだぞ? あのクソ広い山の中で。いくらオレたちでもある程度は案内してくれねぇと探せねぇよ!」


「でも……!」


 リネも負けじと声を張る。


「今のセナには、無理なんです!」


「なんでだよ」


「なんでって……だって!」


 リネは思わずセナを見る。


 セナは俯(うつむ)いたまま、膝の上で拳を強く握りしめていた。


 怖い。


 あの山へ戻ることを考えるだけで、身体が震えそうになる。


 それでも、父さんと母さんを殺した奴が、今もあの山にいる。


「……もういい。リネ」


「……え?」


 リネが振り返る。


「僕が連れて行くよ。その子と牙討様を」


 セナはゆっくりと顔を上げた。


「父さんと母さんが……襲われた場所まで」


「セナ……」


 リネの表情が曇る。


 セナは寝台から足を下ろすと、そのまま立ち上がった。ずっと横になっていたせいか、僅かに足元がふらつく。


「おっしゃー! そうこなくちゃ!」


 イリがぱっと顔を輝かせる。


「イリ。お前は少し黙っていろ」


「なんでだよ!」


 ヨハルに睨まれ、イリは不満そうな表情を浮かべる。


 セナは二人のやり取りには目も向けず、部屋の隅に掛けてあった外套(がいとう)を手に取った。それを羽織ると、壁際に置かれた革のベルトへ手を伸ばす。


 父がよく腰に巻いていたものだった。使い込まれた革の鞘には、一本の短剣が収められている。セナはベルトを腰に回し、慣れない手つきで留め具を締めた。そして、そのまま家の木戸へ向かう。


「セナ、本当に平気?」


 背中にリネの声が届いた。


「…………うん」


 木戸に手をかける。


 一瞬だけ、その手が止まった。あの日以来、一度も外へ出ていない。


 セナは小さく息を吐き、木戸を押し開けた。冷たい風が吹き込み、頬を撫でる。


「…………っ」


 その瞬間──あの日の光景が脳裏をよぎった。


 荷橇(にぞり)が山を滑り落ちていく。凍てついた風が頬を打ち、木々がものすごい速さで左右へ流れていく。


 荷橇を両手で突き放した母さんが、こちらを見つめている。その背後、大きく裂けた口が開く。


 母さんの首元へ、牙が深々と喰らいついた。倒れ込むその瞬間まで、母さんはセナから目を離さなかった。


「──っ!」


 セナはぎゅっと目を閉じる。身体がぶるりと震える。瞼を閉じても、あの恐ろしい光景が消えてくれない。


「……大丈夫か?」


 すぐ後ろから、ヨハルの低い声がした。同時に、節(ふし)くれだった手がそっと肩に置かれる。


 冷たい風を頬に受けたまま、しばらく木戸の前に立ち尽くしたセナは、やがてゆっくりと目を開いた。


「大丈夫です。行きましょう」


 そして、一歩。家の外へ踏み出す。その背中を、リネは心配そうに見つめていた。


 背後から、イリの声がした。


「なあ、セナ」


「……なに?」


 振り返った途端、イリがぐいっと顔を近づけてきた。


「わっ、な、なに!?」


 イリは答えず、セナの首筋に鼻先を寄せた。


 ひくひくと鼻を動かし、何かを確かめるように匂いを嗅いでいる。


「ちょ、ちょっと! 何してるんだよ!」


「…………」


 イリはしばらくすると、満足したように顔を離した。


「うん、覚えた」



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