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人喰-ヒトクライ-の子  作者: 鳥部 本太郎
第二章 セナとリネ

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13 迫る脅威

 

 セナとイリ、二人のやりとりを静観していたヨハルが口を開いた。


「セナ……こいつは、君の両親の仇ではないな」


「…………え?」


 セナは顔を上げる。


「違うの?」


「だからぁ、人喰はオスが人を襲うって言ったろ」


 イリが割って入った。


 セナは倒れた人喰を見る。


「じゃあ……父さんと母さんを襲った奴は……?」


「たぶんだけど、こいつの番(つがい)だ」


 イリはそう答えると、ヨハルへ顔を向けた。


「しかもそいつ……かなりやばい、よな? ヨハル」


 ヨハルの表情が険しくなる。


「そうだな。一度人の味を覚えた成獣と考えると、野放しには出来ん」


「…………だよなぁ」


「とにかく、早く山を降りた方がいい」


 そう言って、ヨハルは人喰の前にしゃがみ込んだ。胸の前で両手を合わせ、静かに目を閉じる。


 セナはその姿を、不思議そうに見つめていた。意外だった。牙討(きばうち)というのは人喰(ヒトクライ)を殺す者だ。人喰に対して慈悲など持たないのだと思っていた。けれどヨハルは、わずかな間ではあるが、確かにその死を悼んでいた。


 やがて目を開けると、何も言わずに立ち上がる。


 ──三人は来た道を引き返し、山を下り始めた。


 先を歩くヨハルの背中を追いながら、セナは恐る恐る口を開く。


「あの……」


「なんだ?」


「僕の父さんと母さんを殺した人喰は……牙討様でも勝てないですか?」


 ヨハルは歩みを止めなかった。


「それは、実際に対峙してみなければ分からん」


「…………」


「だが、番が身籠っている時期の人喰はかなりの脅威だと言える。腹を空かせた家族のため、オスは死に物狂いで食料を集めるからな」


 セナの足が、ふと止まった。


「……待って」


 ヨハルとイリが振り返る。


「村は……大丈夫かな?」


 その声には、はっきりと不安が滲んでいた。


 ヨハルは答えなかった。わずかな沈黙の後、山の麓へ目を向ける。


「大丈夫とは言い切れん。村が襲われる可能性は十分にある」


 ヨハルは荷橇(にぞり)を引く手に力を入れた。


「急いで山を降りよう」



❖



「なぁ……本当に、もう森へ入っていいのか?」


 弓を背負った男が、不安そうに辺りを見回した。


 山の麓。二人の狩人が、ノルヴァの森へ足を踏み入れていた。


「まだ人喰がいるかもしれんのに……」


「心配しすぎだ」


 先を歩くもう一人の男が笑う。


「牙討様が来てくださったんだぞ。今頃はもう仕留められてるさ」


「だが……」


「カイたちが喰われてからもう二十日、その間ずっと狩りを休んでたんだぞ。そろそろ新鮮な肉を持って帰らんと、今度は俺たちが飢えちまう」


 先頭の男は背中に掛けた手斧を揺らしながら、さらに森の奥へ進んでいく。


「…………」


「行くぞ」


 もう一人も渋々その後に続いた。


 その時、茂みの奥で、何かが動いた。


「……なんだ?」


 二人の足が止まる。風が木々を揺らし、枝葉が擦れる。その隙間から、二つの瞳がぎらりと光った。


 男の顔から血の気が引く。


「で、出た……! 人喰だ!」


 叫んだ時にはもう遅かった。一息の間に巨体が茂みを突き破る。


「──っ!」


 異常なほど長い腕が伸びた。


 男は背中の手斧へ手を伸ばした。だが、その指が柄に触れるより早く、人喰の鋭い爪が胸へ突き刺さった。


「ぐふっ……!」


 背中から血に濡れた爪が突き出す。男は目を見開き、口から大量の血を吐いた。


「ひっ……ひいぃぃっ!」


 もう一人は、弓を構えることすらできなかった。背を向けて、ただ本能のままに走り出した。


「た、たた、助けてくれー!」


 枝を掻き分け、転びそうになりながら森を駆ける。


「人喰だ! 人喰が出たぁああ!」


 木々の向こうには、エルンの村へ続く道が見えていた。


 その背後。人喰は胸を貫いた男から爪を引き抜くと、雑に投げ飛ばし、太い木の幹へ叩きつける。ぎらつく瞳は、逃げていく男の背中を捉えていた。


 長い両腕を地面につく。そして、飛ぶように地を蹴った。



❖


 ──エルンの村。


 ノルヴァの森へと続く道、その脇に建てられた小さな監視小屋で、ハルドは声を聞いた。


「ハルド! おい! ハルド!」


 直後、扉が激しく叩かれる。


「開けてくれ! 早く!」


「……ロナ?」


 ただ事ではない様子だ。


 ハルドは壁に掛けてあった槍を掴み、片手に持つ。もう片方の手で素早く錠を外し、扉を開けた。


「ロナ、どうした!?」


 そこにいたのは、弓を背負ったロナだった。肩で激しく息をし、顔は血の気を失っている。


「で、出た……」


「何が?」


「人喰だ! ダンが殺された!」


「何だと!?」


 ハルドはロナの後方に目を向ける。しかし、人喰の姿は見えない。


「……どこだ? 姿が見えんぞ」


 ハルドが首を傾げると、ロナも後ろを振り返る。


「えっ……あれ? さっきまで追ってきて──」


 刹那、巨大な影がロナへ迫った。


「うわっ!?」


 人喰がロナもろとも戸口へ突っ込む。巨体が扉の枠をへし折り、木片を撒き散らしながら監視小屋へ飛び込んだ。


「な、なんだ!?」


 ハルドが槍を構える。


 人喰の鋭い牙がロナの首に深々と突き刺さっていた。


「ぐうっ……!」 


「ロナ!」


 人喰がさらに顎に力を入れると、鮮血が噴き出す。生温かい血飛沫がハルドの頬を濡らした。


「こ、こいつ……ロナを放せ!」


 ハルドの両脚が震えた。人喰は、ロナの首を咥えたまま、頭を大きく振った。


「──っ!」


 咥えられたままのロナの身体が、まるで鞭のように振り回される。力なく垂れた脚が、ハルドの身体を横殴りに打ちつけた。


「ぐあっ!」


 身体が弾き飛ばされ、背中から壁へ叩きつけられる。肺から息が漏れた。


 それでもハルドは槍を手放さなかった。


「く、くそ……!」


 震える両手で柄を握り、どうにか穂先を人喰へ向ける。


「来るな……化け物!」


 人喰がロナを口から離した。どさり、と床へ身体が落ちる。


 その直後だった。人喰の長い腕が、一直線に伸びた。


「ぐっ!」


 逃げる間もなかった。


 大きな掌がハルドの顔面を覆い、そのまま凄まじい力で壁へ押しつけた。


「ぐっ……!」


 背後の木板が、みしりと軋む。

さらに力が加わった。ばきり、と鈍い音が響く。


 ハルドの両脚から力が抜け、握っていた槍がからんと床へ落ちた。


 人喰が腕を引くと、支えを失ったハルドの身体は、その場に崩れ落ちた。


 監視小屋に、静寂が戻る。

 

 その中で人喰だけが、ゆっくりと村の方角へ顔を向けた。



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