009 異獣(いじゅう)とは何ぞや
覚醒テスト当日。
「フェルム」第十区の端にある、廃棄された工業地帯。
――キィィィッ!
重武装を施された黒いバスが水たまりを跳ね飛ばし、折れ曲がった高架橋の下で静かに停車した。
プシューという排気音と共に、ドアが勢いよく開く。
「全員降りろ! 早くしろ! 女みたいにモタモタしてんじゃねえぞ!」
静寂を破る粗暴な怒号。
戦闘服に身を包んだ一年生の男子生徒たちが、各々の装備を担ぎ、押し合いへし合いバスから降りてきた。
最後尾を歩く六道 飛鳥は、周囲を軽く見渡した。
「第十区か。来るのは初めてだな」
隊列の先頭には、逞しい体格の坊主頭の男が立っていた。
男は剃刀のような鋭い視線で目の前のひよっこ共を射抜き、不敵な笑みを浮かべる。
「整列しろッ!」
その一喝で、それまでひそひそと話していた生徒たちは一瞬で静まり返った。
「もう一度だけ言ってやる」
男は手を後ろに組み、閲兵する将校のように歩き回った。
「今回の第六試験場の監視は、この俺が全権を担う。俺の名は石田。貴様らの主考官であり、これからの数時間は神も同然の存在だ」
石田は背後にある、どす黒く口を開けた下水道の入り口を指差した。
「ここは先日発見されたばかりの異獣の根城だ。コードネームは『錆びた迷宮』」
「情報によれば、ここは純粋な『X区』だ」
『X区』という言葉を聞いた瞬間、生徒たちの間にざわめきが広がった。
「X区? ってことは、出てくるのは全部X型異獣か?」
「終わった……教科書だと、X型異獣は男の股間を最優先で狙ってくるって……」
「黙れッ!」
石田が猛然と睨みつけると、目に見えないほどの威圧感が放たれ、数人の生徒は恐怖で腰を抜かしそうになった。
「何を怯えてやがる。ここらのE級以上の異獣は一度掃討済みだ。今残っているのはF級の雑魚に過ぎん」
「そんなゴミ共すら片付けられないってんなら、さっさと家に帰ってママの乳でも吸ってな!」
そこまで言うと、石田の瞳に底意地の悪い光が宿った。
「……それから、貴様らも知っての通りだ。異獣は不気味な姿をしているが、根源的には生物だ。長年の研究により、あいつらにも縄張り意識があることが分かっている」
彼は指を三本立てた。
「X区、Y区、そしてXY区。生息地は三種類に分けられる。大半のX型とY型は互いに干渉し合わないが、ごく稀に混在する『変態』もいる。だがここは純粋なX区だ。これが何を意味するか……座学の授業で習ったよな?」
後方に立つ飛鳥は、思わずあくびを噛み殺した。
異獣の種類と『異武』の相性。
X型異獣はY型の異武でしか殺せず、逆にX型異獣の攻撃はX型の異武でしか防げない。
逆もまた然り。
飛鳥は頭の中で教科書の内容を反芻した。
「石田の野郎、ガサツな見た目の割に話が長いな……」
「……コホン」
石田は軽く咳払いをし、続けた。
「だが、今回の任務はE級の異態者である俺が率い、相手はF級の雑魚。ゆえに――」
石田は声を一段張り上げ、どこか楽しげに宣言した。
「今回の試験に、女性異態者の参加は必要ないと判断された!」
「えええええええッ!!?」
その瞬間、野郎共から悲鳴のような絶叫が上がった。死を宣告されるよりも悲惨な叫びだ。
「嘘だろ!? めっちゃ期待してたのに!」
「女のコにいいとこ見せようと思ってワックスで髪固めてきたんだぞ!? 男祭りかよ!」
「最悪だ……楽しみが消えた……」
抑圧された世界で生きる十八九歳の少年たちにとって、覚醒テストそのものよりも、女子生徒とチームを組んで言葉を交わすこと――願わくばその匂いを嗅ぐことこそが、最大の関心事だったのだ。
負け犬のように項垂れる生徒たちを、石田は内心で蔑みつつも、表面上は「教育者」らしい偽善的な笑みを浮かべた。
「まあそう嘆くな。テストに合格すれば、女子と組んで異獣を狩る機会なんていくらでもある。そうなれば、話をするどころか……その先だって……」
石田が言葉を濁し、含みを持たせると、
「おおおおおおお!!!」
「女のコのために! 殺るぞおらぁぁぁ!」
「異獣はどこだ! 俺の獲物が血に飢えてるぜ!」
士気は一気に爆上がりした。
「……単純な連中だ」
石田は内心で冷笑した。覚醒テストの合格率は例年三割を切る。この中の大半は、失意のうちに去ることになるのだ。
石田の視線は、さりげなく隊列の後方にいる飛鳥に注がれた。
(……こいつが、会長から直々に『潰せ』と指名された男か)
やる気のなさそうな眼鏡の男を観察し、石田は目を細める。
(見た目は悪くないが、運がなかったな。会長に目をつけられたからには、貴様の人生はここで終わりだ)
主考官である石田には、広範な裁量権がある。
少し操作すれば、「合格」を「不合格」に変えることなど造作もない。
「出発だ!」
石田の号令と共に、一行は異臭の漂う下水道の入り口へと足を踏み入れた。
錆びた迷宮・地下二層。
ペタッ……ペタッ……。
湿った通路に足音が不気味に響く。
「無理だ、臭すぎる……。腐った卵と古靴下とドブネズミを電子レンジでチンしたような匂いだぞ」
一人の生徒が鼻をつまみ、顔を青くしている。
「我慢しろ。それより……」
「……来たな」
その時、飛鳥の口角が微かに上がった。
ほぼ同時に、鼓膜を劈くような摩擦音が通路の奥から響いてくる。
「ギィィィィィッ!!!」
鋭い鳴き声と共に、暗闇の中で三対の赤黒い瞳が光った。
三つの巨大な影が、獣臭を撒き散らしながら砲弾のような勢いで飛び出してきた。
「敵襲ッ!!!」
先頭を歩いていた副考官が悲鳴のような声を上げる。
薄暗いライトに照らされたのは、巨大な「ネズミ」だった。
だがそれは通常のネズミの数十倍、大人の狼ほどもある体躯をしていた。
毛並みは病的な紫紅色で、粘つく液体に覆われている。
何より恐ろしいのは、大鎌のように外側に反り返った二本の門歯から、緑色の涎が滴っていることだ。
それが「異獣」。
外宇宙からの来訪者であり、現地の生物を模倣すると言われている。
動物型が最も一般的だが、その真の姿を知る者はいない。
一般的に、X型異獣は紫紅色、Y型異獣は青色の特徴を持つ。
飛鳥の前に現れたのは、紛れもないX型の捕食者だった。
……




