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010 経験値は独り占めだ

「こ、これが、異獣いじゅう……!?」


さっきまで下水の臭いに文句を言っていた男子生徒が、腰を抜かして地面にへたり込んだ。


あまりの恐怖に、膝の震えが止まらない。


主考官の石田いしだは傍らに立ち、腕を組んだまま助けに入る様子も見せない。


それどころか悠然とタバコに火をつけ、副考官のちょうに目配せを送った。


「……見せてみろ」


張が鋭い視線で後方を睨み、怒鳴り声を上げる。


「補助組! 前へ出ろ! 撃てッ!」


「は、はい……!」


指示を受け、五人の男子生徒が震える手で自動小銃を構えた。


狙うは前方の巨大なネズミ共だ。


そのうち四人は明らかに実戦が初めてで、銃を持つ指がガタガタと震えている。


だが、これまでの訓練が彼らに引き金を引き込ませた。


――ダダダダダダダダッ!!!


銃口から火花が散り、無数の弾丸が豪雨のように降り注ぐ。


狭い通路は一瞬にして耳を劈く銃声と火薬の匂いに満たされた。


しかし、絶望的な光景が繰り広げられる。


弾丸が巨鼠に命中する直前、三体の怪物の体表に淡い紫色の波紋が広がったのだ。


――ゥゥゥン!


半透明の多角形をした光の壁が宙に浮き上がる。


高速で飛来した弾丸は、まるで目に見えないゴムの壁にぶつかったかのように、波紋を立てるだけで力なくひしゃげ、床に転がった。


チリン、カラン……。


空薬莢の乾いた音が響くたび、生徒たちの心に葬送の鐘が鳴り響く。


「こ、これが……V力場ブイ・フィールド……!?」


発砲していた生徒の一人が目を見開き、硬直した指で引き金を離した。


「実弾武器が有効だって聞いてたのに……。なんで貫通しないんだよ!?」


恐怖はウイルスの如く伝染し、他の三人も次々と射撃を止めてしまう。


「止めるな! 誰が止めろと言ったッ!」


張がすかさず一喝する。


「攻撃を続けろ!」


だが、蛇に睨まれた蛙のように怯えきった彼らの耳には届かない。


その時だった。


――パンッ! パンッ! パンッ!


リズム感のある、恐ろしいほど落ち着いた単発の点射音が響き渡った。


佐藤さとう ようだ。


彼は他の連中のように無闇に乱射したりはしない。


両手で銃を固定し、腰を落とした姿勢で、中央の巨鼠の眉間だけを凝視していた。


放たれた全ての弾丸が、寸分の狂いもなく同じ一点を叩く。


一発目、光の壁が激しく振動する。


二発目、光の壁に亀裂が走る。


三発目、光の壁が大きく凹む。


「……ちろッ!」


陽の額に青筋が浮かび、四度目の引き金が引かれた。


――ガシャァンッ!


まるでガラスが砕けるような音が響き渡る。


中央の巨鼠を覆っていた紫色の光壁が粉々に砕け散り、星屑となって霧散した。


次の瞬間。


後続の弾丸が、遮るもののなくなった頭蓋へと吸い込まれた。


――グチャリッ!


紫黒色の血飛沫が舞う。


「ギィッ!!」


巨鼠は悲鳴を上げ、凄まじい衝撃に巨体をひっくり返した。その勢いで左右の二体をもなぎ倒し、数回転した後に動かなくなった。


「やった! 当たったぞ!」


周囲の生徒たちから歓声が上がる。


「すげえぞ陽! さすがはNO.1だ!」


しかし。


彼らの喜びは二秒と持たなかった。


地面に倒れていた巨鼠の体が、不自然にピクリと跳ねたのだ。


「ギギ……」


おぞましい蠕動ぜんどう音が響く。


撃ち抜かれた半分の頭部から、どす黒い霧が噴き出した。その霧の中で、砕けた骨が再構築され、爛れた肉が猛烈な勢いで増殖していく。


わずか三秒後。


巨鼠はふらつきながらも立ち上がった。


吹き飛んだはずの眼球が再生し、より一層凶暴な紅い光を宿している。


それは人間を嘲笑うかのように、大きく裂けた口を開けて咆哮した。


「ギィィィィィィッ!!!」


死のような静寂。


「……生き返ったのか?」


一人の生徒が泣きそうな声で漏らす。「こんなの、殺せるわけねえよ……」


陽の銃を握る手も、微かに震えていた。


理解してしまったのだ。


これが「常識」だということを。


異武いぶを持たない常人の物理攻撃は、たとえ相手を肉片に変えたとしても、無限に再生されるだけなのだ。


「凡人の悲哀だな」


見物していた石田が煙を吐き出し、満足げに笑った。


これこそが彼が狙っていた効果だ。


まず素人に無力さを叩き込み、その後に「異態者」の特権を理解させる。


「よし、お遊びは終わりだ」


石田は吸い殻を踏み消すと、腰から金属球のような装置を取り出し、戦場の中央へと放り投げた。


――ジジジッ!


金属球は着地と同時に三脚状に展開し、淡い青色の磁場を展開して異獣と生徒たちを包み込んだ。


【アイロス抑制フィールド・展開】


「これは貴様らが異武を出した時に出る波形を抑えるためのもんだ。大規模な獣潮じゅうちょうを呼ばないための予防策だ」


石田は手を叩き、向き直る。


震え上がる生徒たちを飛び越え、その視線は六道りくどう 飛鳥あすかの顔に固定された。


その笑みは、獲物を見つけた飢えた狼のように歪んでいる。


「張、お前の部下を下げさせろ」


「……さて、ここからは貴様らの番だ」


石田は飛鳥と、傍らにいた五人の一年生を指差した。


その声は氷のように冷たい。


「一歩でも後ろに下がってみろ。異獣に食われる前に俺が始末してやる」


指名された一年生たちは、数メートル先の巨鼠に視線を向けた。


体勢を立て直した三体の巨鼠は、紅い眼光をさらに強め、寒気がするほどの殺気を放っている。


「ほ、本当に僕たちだけでやるんですか?」


生徒たちは歯の根が合わず、手足がミシンのように震えている。


映像で見るのとは訳が違う。死んでも蘇る怪物など、正気の沙汰ではない。


「何だ、敵前逃亡か?」


石田が冷笑すると、E級異態者の圧倒的なプレッシャーが場を支配した。


「嫌ならやめてもいいぞ。だがよく考えろ。退学すれば今の待遇は全て消え、一生『準市民』としてドブ板を舐める生活が待ってるんだぞ」


石田はわざとらしく説教を垂れるが、内心ではほくそ笑んでいた。


本来の試験は、補助組が異獣を弱らせたところに受験生がトドメを刺すのが通例だ。


初心者をいきなり実戦に放り込むのはリスクが高すぎる。


だが、今回は「会長」からの依頼がある。


ここで難易度を跳ね上げ、六道 飛鳥という男を再起不能にしてやるつもりなのだ。


(さて、どう出る……?)


そう思って飛鳥の方を見た石田の顔から、余裕が消えた。


「……あいつ、どこに行った!?」


石田が慌てて周囲を見渡すと、いつの間にか飛鳥は隊列を飛び出していた。


三体の巨鼠に向かって、猛然と突き進んでいる!


同時に、飛鳥の上着はどこかへ脱ぎ捨てられていた。


露わになったのは、限界まで鍛え上げられた精悍な上半身。


「小僧、正気かッ!?」


張が思わず叫ぶ。まさか単身で三体もの異獣に挑むなど、想定外もいいところだ。


だが飛鳥は聞き入れず、口角を不敵に吊り上げた。


「――経験値は、独り占めさせてもらう」


……

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