007 貴様、異獣か!?
ゴミが山積みになった袋小路の突き当たり。
白いスーツを着た男が路地の方に背を向け、手元で高級そうなライターを弄んでいた。
「連れてきました」
白い制服の男が恭しく一礼し、そのまま路地の入り口へと退がる。
まるで門番のように出口を塞いだ。
スーツの男が振り返る。
そこにあったのは、エリートビジネスマンを思わせる隙のない笑みだった。
彼は金縁のメガネを押し上げ、六道 飛鳥に向かって微かに腰を折った。
「初めまして。お会いできて光栄ですよ、劉備先生」
その言葉を聞いた瞬間、飛鳥の心臓が跳ね、全身の筋肉が瞬時に引き締まった。
やはり、バレていたか。
「そう緊張しないでください、先生」
「私は『克制局』の人間ではありません。私は、こういう者です」
男は微笑みながら、ポケットから金箔押しの名刺を取り出し、飛鳥の前に差し出した。
飛鳥が受け取った名刺に目を落とすと、その端がピクリと動く。
【メロン出版社・シニアエディター・武田】
「メロン出版社……?」飛鳥は目を細めた。
その名は知っている。「フェルム」内でも数少ない『規制品出版許可』を持つ巨大メディアの一つだ。
彼らは高ランクの市民に「心の糧」を提供する専門家。
ある意味、連邦公認の「エロ本屋」と言ってもいい。
この世界の『克制法』は、ランクの高い市民ほどその拘束力が弱まる。
彼らは低ランク市民よりも多くの権利を享受しているのだ。
飛鳥のような「準市民」は、都市の居住権を持っているに過ぎない。
最低限の安全保証すら、そこにはないのだ。
「先生、私はメロン出版社を代表して、正式にあなたを我が社の『神作家育成計画』に招待したいと考えています」
武田は両腕を広げ、まるで神の奇跡を説く預言者のような熱っぽさで語り始めた。
「あなたの才能は、こんな不潔な場所に埋もれさせておくべきではない」
「契約に同意していただければ、月々2万連邦ドルの最低保証給をお支払いします。インセンティブは別です」
「さらに、成果次第では10年以内に『二等市民』の身分を勝ち取ってみせましょう!」
二等市民。
それは法律の保護を受けられるだけでなく、AAランク以下の規制品にも合法的に触れられることを意味する。
エリートになれば、合法的な『繁殖枠』を持つことさえ許される。
下層区に住む無登録者や準市民にとって、それは拒絶しがたい誘惑のはずだった。
だが、飛鳥は心の中で冷笑していた。
――デカい餅を描いて釣るつもりか?
前世で見てきた「やりがい搾取」の数は、お前が食ってきた米の数より多いんだよ。
メロン出版社の悪評はブラックマーケットでも有名だ。
『神作家育成計画』などと言っているが、実態は「監禁式創作」に他ならない。
一度サインをすれば、完全に封鎖された空間に閉じ込められ、飯と睡眠以外はひたすら執筆を強要される。
一日10話更新は当たり前、20話更新してようやく合格点。
どれほど才気溢れる作家も、その精神的搾取によって一年経たずに涎を垂らす廃人と化す。
キーボードの前で過労死する者さえ珍しくないのだ。
何より、今の身分は偽装だ。
『虚偽の仮面』を維持するには異力を消費する。
E-ランクの異力では、8時間の連続維持さえ怪しい。
F-
そんな閉鎖環境に放り込まれれば、正体が露呈するのは時間の問題だ。
彼が報酬は低くとも束縛のない闇出版社を選んできたのには、相応の理由がある。
「……悪くない話だな」
飛鳥は首を傾け、口角に挑発的な弧を描いた。
「だが俺は自由を愛するタチでね。少し考えさせてくれないか?」
武田の顔から笑みが消え、その眼差しが冷酷なものへと変わった。
彼は首を振り、ため息をつく。
「先生……あなたは状況を理解していらっしゃらないようだ」
「実は、あなたの正体はすでに克制局の情報課に特定されています。彼らは今にも網を絞ろうとしている」
「我が社があなたの才能を惜しみ、『特殊なコネ』を使って情報を先回りして遮断したのですよ」
武田は一歩踏み出し、あからさまな脅しを口にした。
「安心してください、ここには監視カメラもありませんし、あそこにいる白制服も我々の仲間です。あなたが頷けば、『メロン』の貴賓だ。だが、もし首を横に振るなら……」
彼は言葉を切り、残酷な光を宿した。
「あなたは『規制品の意図的な拡散、および連邦の安全を脅かす重罪犯』となる。ここで『現場射殺』されても、何ら不自然ではありませんからね」
飛鳥は数秒間沈黙し、それから声を上げて笑い出した。
肩を震わせて笑うその姿に、武田の心に微かな不安がよぎる。
「……何がおかしい?」
「いや、あんたの描いた餅があまりに立派すぎて、喉に詰まりそうだなと思ってな」
飛鳥は不意に顔を上げた。その瞳は冷徹な刃のように研ぎ澄まされている。
「提案は魅力的だが……断る!」
その返答を聞いた瞬間、武田の顔は完全に怒りで歪んだ。
彼は即座に後退し、指を鳴らした。
「ふん、情けをかけてやればこれだ。仕方ありませんね。少し乱暴な手段で、先生には『静養』していただくことにしましょう」
合図とともに、路地の入り口にいた二人の男がニヤつきながら電撃棒を抜いた。
同時に、周囲の影からさらに三つの影が飛び出す。
……5分後。
路地の両脇に積まれていたゴミの山は、暴虐な力によって粉々に粉砕されていた。
武田は地面に腰を抜かしていた。
高価な金縁メガネは地面に落ち、レンズは粉々に砕けている。
彼は全身をガタガタと震わせ、目の前の光景に絶望していた。
実力者揃いだった5人の護衛は、今や満足な死体すら残っていない。
まるで分子レベルで分解されたかのように、その体は虚無へと霧散していった。
飛鳥は手にした巨大な黒い棍棒――『黒影』をゆったりと引きずりながら、武田へと歩み寄る。
その一歩一歩が、武田の心臓を直接踏みつけるような重圧を放っていた。
「き、貴様……一体何者だ……?」
飛鳥の体に刻まれた銃創が、目に見える速さで再生していくのを見て、武田は歯の根が合わないほど震え、声を裏返らせた。
「こ、こんな力……まさか、貴様……『異獣』か!? 人の形をした異獣なのか!?」
飛鳥は武田の目の前で止まり、見下ろした。
彼は答えず、ただ『黒影』を重々しく地面に突き立てた。
――ドォォォォンッ!
硬いコンクリートの地面に、蜘蛛の巣のような亀裂が一瞬で広がった。
飛鳥は首を軽く鳴らし、武田が一生忘れられないであろう凶悪な笑みを浮かべた。
「編集さんよ、次に督促に来る時は、もう少し誠意のある手土産を持ってきな」
「あんな腐った餅、犬でも食わねえよ」
……




