004 廃棄(デッドストック)
放課後、学園寮。
六道 飛鳥が自室の扉を開けると、そこは足の踏み場もないほど散らかっていた。
同居人の九条 凛が床にしゃがみ込み、巨大なスーツケースに衣類を詰め込んでいる。
もともと華奢だった彼の背中は、今やさらに細く、どこか……「守ってやりたい」と思わせるような、柔弱な雰囲気を纏っていた。
飛鳥は自分の椅子に座り、しばらく沈黙した後、口を開いた。
「……まあ、退学も悪くないだろ。準市民の権利はもう手に入れたんだしな」
「退学?」
凛の手が止まったが、顔は上げない。
「誰が退学するなんて言ったのさ?」
飛鳥は眉をひそめた。
「『異武』を壊されたんだろ? 異態者じゃなくなった奴を、学園がタダ飯食らいとして置いておくはずがない」
「半分正解で、半分間違いだよ。僕の『白鷺』は壊れたけど……完全に死んだわけじゃない」
凛が立ち上がり、飛鳥の方を振り返った。
飛鳥は息を呑んだ。
わずか半日会わなかっただけだというのに、凛の変化は別人かと思うほど劇的だった。
もともと整っていた顔立ちはさらに柔らかく、肌は透き通るように白い。
そして何よりの違和感は――。
凛の平坦だった胸元が、今はわずかに……本当にわずかだが、膨らみを帯びていたことだ。
それが校服を押し上げ、絶妙なラインを描いている。
「僕は『半砕武』。だから、まだ異態者のままだよ」
「半砕武……?」
飛鳥は凛をジロジロと眺め、納得したように頷いた。
なるほどな。
二つある「金玉」の一つを失ったようなものか。
影響は大きいだろうが、まだ戦えないわけじゃない。
「知ってるだろ、僕はXXY型の異態者だ。Y型の『白鷺』が砕けても、僕にはもう一対の、X型の異武がある」
凛は自嘲気味に笑ったが、その瞳には深い疲労が滲んでいた。
「ただ……その影響で、僕の体内のX染色体が主導権を握り始めてるんだ。僕の身体は今、不可逆的な『修正』を受けている」
飛鳥は頭を掻き、一つの可能性に思い至った。
「……ってことは、お前、女子校舎に転校するのか?」
「クラスの野郎どもが知ったら、発狂するほど羨ましがるだろうぜ」
「羨ましい……?」
凛が突然激昂し、一歩詰め寄った。
「本当に、この気持ちが分かって言ってるの!? 六道飛鳥!」
彼は自分の胸を指差し、震える声で叫ぶ。
「たった半日で、ここが大きくなり始めて……なのに『下』は、少しずつ小さくなっていくんだ!」
「声が細くなって、力が抜けて……何でもないことに傷ついて、涙が出てくるんだよ!」
言葉の端で、一粒の雫が凛の頬を伝い落ちた。
彼は呆然とし、自分の顔の涙痕に触れると、泣きっ面のような笑顔を浮かべた。
「見てよ……涙が出てきた。これも『女性化』の影響なのかな。僕は……僕じゃなくなっていくみたいだ」
飛鳥は沈黙した。
この世界において、XXY型の異態者は極めて稀少だ。
純粋な火力ではXXYやXYYに劣ることもあるが、X型とY型、両方の異武を扱える柔軟性がある。
しかし、それは同時に「最も不安定」であることを意味する。
一度Y型が破壊されれば、凡人に戻るだけでなく、性別そのものが変異してしまう。
そして、その原因を作ったのは――紛れもなく自分だった。
「……わりぃ(悪いな)」
飛鳥は珍しく真剣な表情で、低く呟いた。
凛は深く息を吸い、涙を拭って再び荷造りを始めた。
「……全部君のせいじゃないよ。僕も冷静じゃなかった」
最後の一着を詰め込み、スーツケースのロックを閉める。扉の前までそれを引きずっていくと、彼は足を止めた。
背中を向けたまま、凛はポツリと、まるで母親のように言い置いた。
「僕がいなくなった後、布団はちゃんと畳むんだよ。山積みにしちゃダメだ」
「洗濯も溜め込まないで自分でやって。一週間分溜めて僕に押し付けるのも、もうおしまい」
「朝食は食堂で食べなよ。栄養スティックばかりじゃ胃を壊すし、それから……」
「わかった、わかったよ! ったく、お袋かよ」
飛鳥はその言葉を遮った。口調はいつも通り嫌そうだったが、視線はずっと床に落としたままだった。
「さっさと行けよ。何かあったらメッセージを送れ」
凛は一瞬沈黙し、最後に五文字だけ残した。
「……元気でね(。)」
カチャリ。
扉が閉まる。
遠ざかっていく足音を聞きながら、飛鳥はデスクを指先で叩いた。
「……ふん。女ってのは、どいつもこいつも面倒くせぇな」
「転生して十八年か。……やれやれだぜ」
……
同時刻。
男子校舎、学園長室。
学園長・熊田 雄一は巨大な革張りの椅子に深く腰掛け、膝の上の猫を撫でていた。
「わっはっは! 活気があって良いじゃないか」
厳主任の報告を聞き終えると、熊田は豪快に笑った。
厳主任はデスクの前で冷や汗を流している。
「ですが学園長、六道飛鳥の件は看過できません。操場での『露出』行為もさることながら、九条の異武を破壊したのです。
九条は我が校唯一のXXY型……天才ですよ!」
熊田の猫を撫でる手が止まり、笑みが消えた。
「天才? 厳主任、君はこの場所にいながら、まだ適応できていないのかね?」
彼は立ち上がり、窓の外で訓練に励む生徒たちを指差した。
「連邦の目から見て、彼らは何だ? 英雄か? 未来の希望か?」
熊田が振り返る。その瞳は、毒蛇のように冷酷だった。
「違う。彼らはただの『資材』だ」
「都市の機能を維持し、異獣を食い止めるために『生産』された『消耗品』に過ぎない」
厳主任は心臓を射抜かれたように震え、慌てて頭を下げた。
「入職時の研修を覚えているだろう?」
熊田は詰め寄る。
「六道飛鳥が何をしたか、誰を壊したかなど、どうでもいいのだ。重要なのは、彼が同年代を遥かに凌駕する『破壊力』を示したという事実だけだ」
熊田は椅子に座り直し、特供の煙草に火をつけた。
紫煙の向こうで、彼の表情が歪む。
「他人の異武を容易く粉砕するような問題児は、百人の天才より価値がある。使い道がある限り、彼は『宝』だ」
彼は灰を落とし、まるで壊れた家電の話でもするかのように淡々と言い放った。
「もし、使えなくなる日が来れば……」
「その時は、ただ『廃棄』するだけだ。分かったかね?」
「……了解いたしました、学園長」
厳主任は冷や汗を拭い、後退りするように部屋を出て行った。
「ふふ……」
熊田はデスク上の六道飛鳥の資料を見つめ、口角を吊り上げた。
「面白い。実に面白いじゃないか……」
彼は資料のページをめくり、露骨な文章の数々に指を這わせる。
「六道飛鳥。君という『消耗品』が、どれだけ保つか……楽しませてくれよ」
……




