003 規制品(コントロール・グッズ)
薄暗い部屋の中。
無精髭を生やし、目の下にひどい隈を作った男が、机の上に置かれた一つのパッケージをじっと見つめていた。
「へへっ、苦労したぜ……。三つのコネを辿って、ようやく手に入れたんだ……」
男は手を擦り合わせ、呼吸を荒くする。その瞳には、狂気にも似た渇望が宿っていた。
彼は震える手で、その神聖なるヴェールを剥ぎ取ろうとした。
――ドン! ドン! ドン!
突如として響いた重苦しいノックの音が、重槌のように男の心臓を打ち抜いた。
男はびくりと体を震わせ、動きを止める。
「だ、誰だ……?」
男は声を潜めて問いかけながら、素早い手つきでパッケージを机の下の隠し棚へ放り込んだ。
返ってきたのは、感情の欠片もない声だった。
「……お届け物です。デリバリーです」
男は呆然とした。
デリバリー?
合成食品すら節約して食っている俺のような貧乏人が、デリバリーなど頼めるはずがない。
そもそも、今は午前二時だ。こんな時間に配達に来る店など、この街にあるはずがない。
「送り先の間違いだ!」
声を押し殺して叫び、男は後ずさりした。
同時に、逃げ道がないかパニック状態で部屋を見渡す。
だが、ドアの向こうからは何の返答もない。
静寂。
その静寂が、男の背筋に凍り付くような恐怖を刻み込む。
――ドゴォォォン!!!
轟音と共に、防盗ドアが紙細工のように無残にぶち破られた。
凄まじい衝撃でドアロックが吹き飛ぶ。
真っ白な制服を身に纏い、胸元に『克制』の二文字を刻んだ大男たちが、雪崩のように踏み込んできた。
彼らの動きは極めてプロフェッショナルであり、手にした電磁警棒の先端からは紫色の火花がパチパチとはじけていた。
「動くな! 克制局だ!」
「なっ……」
男が声を上げる暇もなく、白い制服の一人が彼を床に組み伏せた。残りのメンバーが迅速に部屋の捜索を開始する。
「長官、目標物を確認しました!」
ほどなくして、一人が机の隠し棚からあのパッケージを回収した。そして、リーダー格の男の前へ恭しく差し出す。
リーダーは無表情にパッケージを開封した。中から現れたのは、一冊の豪華な装丁の小説だった。
表紙には、極めて大胆な絵柄で描かれた二次元美少女が、頬を染めてこちらに微笑んでいる。
タイトルはこうだ。
――『俺の幼馴染がこんなに積極的なわけがない』。
リーダーはパラパラと数ページめくり、本を閉じた。
「やはりな。AA級規制品だ」
「このレベルの描写は、成人男性の『エロス識別度』を二十パーセント以上跳ね上がらせるに十分だ」
彼は冷たい視線を床の男へ向けた。
「こいつの市民ランクは?」
「野呂 井造、三等市民です」部下が即座に答える。
「なるほど、また一人《克制法》への意図的な違反者か」
「こういうゴミは、酸素の無駄遣いだ」
リーダーは短く手を振った。
「連行しろ。『去勢室』送りだ。今後、彼にこれ(・・)は必要なくなる」
「嫌だ! 嘘だろ! やめてくれ!」
「一目……一目見せてくれ! せめて一目だけでも! ああああああ!!」
野呂は狂ったように暴れたが、白い制服たちに死体のように引きずり出されていった。
リーダーは視線を本に戻し、表紙の隅にある目立たない作者名を見つめ、眉をひそめた。
「『劉備』……またこいつか」
「今月だけで十二冊目だぞ、こいつの作品が押収されたのは」
「情報科に伝えろ。手段を問わず、この『劉備』を炙り出せとな!」
……
嬲嫐学院・男子校舎、上院。
六組の教室内。
「……ですから、皆さん。肝に銘じなさい。欲望は毒であり、異獣を呼び寄せるビーコンなのです!」
教壇では、干先生が唾を飛ばしながら《連邦克制法》の講義を行っていた。
身体にフィットしたスーツを隙なく着こなし、全身から「禁欲主義」という名の圧迫感を放っている。
背後のスクリーンには、異獣に襲われた後の凄惨な光景が映し出されていた。
「規制品はその危険度に応じて、A、AA、そしてAAAの三段階に分類されます」
干先生は黒縁メガネを押し上げ、厳格な口調で続ける。
「ランクが高いほど、使用者のエロス識別度を増大させやすい。一般市民がこれらに触れることは自殺行為であり、さらには周囲を巻き込む殺人行為なのです!」
生徒たちは興味津々で聞き入っていた。
特に「規制品」という言葉が出た瞬間、多くの男子生徒が無意識に唾を飲み込んだ。
恋愛すら禁じられたこの世界において、それら規制品こそが彼らに残された唯一の幻想だった。
「もちろん、皆さんは一般市民とは違います」
干先生の声が少しだけ和らぎ、どこか特権階級的な響きを帯びた。
「君たちは『異態者』であり、人類の盾です」
「積極的に異獣を狩り、戦功を立てれば、連邦から合法的な『配当』が与えられます」
「管理された環境下で、一部の規制品に触れる権利……。君たちには、それ(・・)が必要ですからね」
「おおお――っ!」
教室に、抑えきれない興奮のどよめきが走る。
「コホン、静かに」
干先生は軽く咳払いをし、付け加えた。
「いずれにせよ、普段から薬を服用し、性ホルモンを抑制することを忘れないように。学園周囲には遮断フィールド(シールド)が展開されていますが、あまりに強いエロス波動は異獣を引き寄せますから」
「あはぁ~……」
最後列の窓際に座る六道 飛鳥は、退屈そうに欠伸を漏らした。
窓の外、学園を覆う半透明のシールドを見つめ、心の中で冷笑する。
(フン……。馬の鼻先にぶら下げたニンジンかよ)
規制品は、この世界の住人にとっては垂涎の的なのだろう。
だが、前世で酸いも甘いも噛み分けた「熟練ドライバー(老司机)」である自分にとっては、その程度の刺激などたかが知れている。
彼は密かに【真理パネル】を呼び出し、スキル欄の下方へ視線を落とした。
【スキル:聖器コレクター】
【説明:一定量のXY染色体を消費し、確率で『聖器』を生成する。消費する染色体が多いほど、排出率と品質が向上する】
(聖器、聖獣、聖者……。このパネル、ネーミングセンスが宗教じみてんな)
飛鳥は内心で毒づく。
この世界では、性染色体異常を持つ者を「異態者」と呼ぶ。
彼らがXY染色体から作り出す武器を「異武」と呼ぶ。
どこからともなく現れる化け物を「異獣」と呼ぶ。
だが、俺のパネルでは、それらすべてに別の呼び名がついている。
そして何より皮肉なのは。
この俺、六道飛鳥という性染色体が極めて正常な「ただの男」が。
このパネルのせいで、世界最大の「異類」になってしまったことだ。
異態者ではないのに、異武……いや、聖器を使える人間。
そこまで考えて、彼は右隣の空席に目をやった。
そこは、九条 凛の席だった。
「あいつ……もうここには、いられないんだろうな」
飛鳥は顎をさすり、その瞳の奥に複雑な色を浮かべた。
……




