026 実験
「……」
六道 飛鳥は口を閉ざしたままだった。
彼は顔を上げ、素早く周囲の状況を観察する。
枯れた雑木林、放置された変電箱、錆びついた滑り台……。
「空に浮いているのは通常警戒用のドローンが二機だけか。上位モデルのアイロス監視レーダーは積んでいないようだな」
「ふん、ここは監視の死角というわけだ」
飛鳥は瞬時にそう判断を下した。
彼は視線を戻すと、九条 凛に向かってニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「今夜の12時、どうにかして寮を抜け出してここで合流しろ」
「兄貴分のおれ様が直々に、マンツーマンで……全方位的な『試験前特訓』を叩き込んでやるよ!」
「特訓……?」
凛は呆然と立ち尽くした。
飛鳥のその含みのある表情を見て、彼女の心の中に得体の知れない不安が込み上げる。
「特訓って、一体何をするつもり? まさか、規制級の資料でも持っているの?」
凛は焦ったように言葉を継いだ。
「私たちがそのデータにアクセスできるのは、明日のテスト本番の時だけよ」
「それとも……正式な異態者になれば、いつでも閲覧できるようになるっていうの?」
「ああ、そんな代物か……」
飛鳥は鼻で笑うと、親指で自分自身を指さした。
「おれが持ってないはずがないだろう? 当然、あるさ」
「で、でも……」
凛はどうしても納得がいかなかった。
彼女は複雑な視線で飛鳥を見つめる。
「あんた、さっきまで私に退学しろなんて言ってたじゃない。なのに、どうして急に助けるなんて言い出すのよ? それに……」
「つべこべ言うな」
飛鳥は彼女の言葉を遮ると、木の枝にかけていたヘルメットをひったくり、再び頭に被った。
「決まりだ。今夜12時、バックれるなよ」
「もし来なかったら、明日学校に乗り込んで『ここに男を連れ込んでる女子生徒がいる』ってチクってやるからな」
言い捨てると、彼は振り返ることなく公園の外へと歩き出した。
ヘルメットの奥で、その瞳は鋭く、冷徹な光を宿している。
もし、凛が本当にただの凡人に成り下がったのなら、退学もやむを得ないだろう。
だが、彼女は違う!
彼女は今もなお、異態者なのだ!
ここで終わらせるわけにはいかない。
……
時を同じくして、アッパータウン。
地図上には決して記されることのない、極秘施設の一室。
白衣を纏い、金縁の眼鏡をかけた男が、巨大なマジックミラーの前に立っていた。
彼はワイングラスを手に、冷ややかな視線でガラスの向こう側を見つめている。
「新しい『実験体』は、例の学園から届いたか?」
眼鏡の男が背後に問いかける。
その後ろでは、防護服に身を包んだ研究員が恭しく頭を下げていた。
「はい、主管。すでに到着しております」
「今回の素材は質も悪くなく、大半が良好な活力を示しています」
研究員は言葉を区切ると、不満げな色を滲ませて続けた。
「ただ……以前と同様です」
「総倉庫に到着した直後、『アルファ・プロジェクト』の連中に強引に横槍を入れられました」
「奴らは権限を盾に素質の良い個体を根こそぎ持っていき、我々の手元には脆弱な残りカスしか残されておりません」
「忌々しい……!」
男はワイングラスを強く握りしめた。赤ワインが激しく揺れる。
「あの愚か者どもめ!」
「上の老人たちも、なぜ分からん。我々の『ベータ・プロジェクト』こそが正解であり、最も価値ある研究方向だということを!」
研究員は諦めたように溜息をついた。
「主管、それも仕方のないことかもしれません」
「あちらは十数年以上続く古参のプロジェクトであり、すでに目に見える成果を挙げています」
「彼らが開発した『第二世代』は、今や良品率が日増しに向上している」
「現在はまだ低強度の戦場でしか運用できず、戦力も原生代には及びませんが……」
そこまで言うと、研究員は声を潜めた。
「噂では、現在開発中の『第三世代』が成功すれば、中・高強度の戦場すらカバーできる可能性があるとのことです」
「そうなれば、原生代はいよいよ歴史の表舞台から消えることになるでしょう」
「対して、我々のベータ・プロジェクトは……」
研究員の声が次第に小さくなる。
「立ち上げから三年、莫大なリソースを費やしながら、未だ実質的な成果が出ていない。上層部も痺れを切らしています」
「それどころか、我々より一年遅く始まった『ガンマ・プロジェクト』ですら、一つの成功事例を叩き出したというのに」
「ふん!」
男は鼻で笑い飛ばした。
「目先の利益しか見えぬ連中め!」
彼は振り返り、眼鏡の奥で狂気的な光を走らせる。
「ガンマなど論外だ。あのような臆病者たちの研究は人道に反する異端。遅かれ早かれ自滅するだろう」
「だが、アルファだと? 奴らが我々と肩を並べるなど、片腹痛い」
男はグラスのワインを一気に飲み干すと、病的なまでの陶酔を瞳に宿した。
「奴らの造り物は、所詮生物の限界を超えられん!」
「だが我々は……今直面している難関さえ突破すれば、奴らの滑稽な第三世代など一瞬で凌駕し、蹂躙できるのだ!」
そこまで言うと、彼は苛立たしげに手を振った。
「時間の無駄だ。能書きはいい」
彼はマジックミラーの向こう側にある、無数の管に繋がれた十数本の培養槽を指さした。
「新しく届いた素材をすぐに運び込め。ただちに次の実験を開始する!」
「先送りにした検体は拒絶反応に耐えきれず、数体が廃物になったばかりだ」
「今夜中に、新しいデータを見せろ!」
「はっ、直ちに!」
研究員は身を震わせ、深く頭を下げてその場を後にした。
……




