020 隠蔽
「ゴホッ、ゴホッ……!」
六道 飛鳥は、必死に顔に驚愕の表情を張り付かせながらも、内心では狂喜乱舞していた。
防衛軍の情報システムときたら、下層区の下水道よりもザルじゃないか。
とはいえ、規制局の方はまだリスクがある。
あいつらはすでに「劉備」という偽名まで辿り着いているんだ。
二つの事件を紐付けられる可能性は十分にある。まだ油断はできない。
飛鳥が「異獣の残虐さ」に怯えて沈黙していると思い込んだ羅川少佐は、すぐさま最後の手札——極上の餌を投げ込んできた。
「安心しろ。特別行動小隊は確かに危険だが、待遇はフェルムの中でも間違いなくトップクラスだ」
羅川は飛鳥をじっと見据える。
「入隊すれば、外での衣食住に関する費用はすべて防衛軍が全出しだ。そして何より……」
「任務達成ごとに支給される功勲は、通常の清剿小隊の三倍だ」
三倍の功勲! 衣食住完備!
飛鳥の瞳が大きく見開かれた。
この世界において、功勲は金だ。
金は電気だ。
そして電気こそが、【六船踏】でステータスを底上げするための資本となる!
だが、彼はすぐに冷静さを取り戻した。
(随分と調子のいい話だな……)
飛鳥は、阿吽の呼吸で話を進める二人を冷ややかな目で見ていた。
これほど好条件を提示するということは、この「特別行動小隊」とやらは……間違いなく死亡率の極めて高い「肉挽き機」に違いない。
おそらく前任の隊員たちは骨の欠片すら残さず全滅し、それで急いで補充要員(生贄)を探しに来たのだろう。
だが——。
(……むしろ、望むところだ!)
昨日、覚醒試験の地下水路でわざと実力を見せつけたのは何のためだ?
上層部の目に留まり、こういう実入りのいい「美味しい仕事」を引き寄せるためではないか。
今の自分は、黒電の一度分すら買えない極貧状態だ。
パネルに表示された数百もの染色体も、エネルギーがなければ宝の持ち腐れでしかない。
これ以上、金もエネルギーも手に入らなければ、このクソッタレな世界に力ずくで抗うことなど夢のまた夢だ。
危険?
鼻で笑いたくなる。
毎日、あの「愛」のせいでランダムに染色体を消滅させられ、いつ突然死してもおかしくない自分にとって、これ以上の絶望がどこにあるというのだ。
自由な姿を晒し続け、染色体を貪欲にかき集める。
そして一日も早く「SSS級」に到達し、この忌々しい呪いを解いてやる。
「いいでしょう」
飛鳥はティッシュを置き、顔を上げた。その眼差しは、先ほどまでの怯えが嘘のように鋭い。
「加入します。ですが……一つだけ条件があります」
羅川はわずかに眉を寄せた。
(条件だと?)
内心で冷笑する。金か、禁制品か、それとも女か。
今の若造は、身の程というものを知らない。
「言ってみろ。私の権限で済む範疇なら聞いてやる」
羅川が冷たく言い放つ。
飛鳥は人差し指を立て、机の端を軽く叩いた。
「簡単なことです」
彼は羅川の不気味な機械義眼を真っ向から見据えた。
「入隊後、俺の私生活……特に『服装』に関しては一切口出ししないでほしい」
「俺、涼しい格好が好きなんですよ」
「は……?」
羅川は呆気に取られた。高速演算を続けていた義眼さえも、一瞬フリーズしたかのように止まる。
あらゆる強欲な要求を想定していたが、まさかこれとは。
服装? 涼しい格好?
羅川は飛鳥を上から下まで眺め、呆れて言葉を失った。
(……思考回路の読めない変態か)
内心でそう毒づいたが、羅川にとってはどうでもいいことだった。
異獣さえ殺せるなら、こいつが戦場でスカートを穿いていようが全裸だろうが知ったことではない。
「……ああ、構わん」
羅川は簡潔に答えた。
「明日朝八時、防衛軍第七駐屯地に集合だ。一分でも遅れたら、その足をへし折ってやる」
「取引成立だ」
飛鳥は頷き、パチンと指を鳴らした。
数分後。
飛鳥は羅川少佐に伴われ、学長室を後にした。
カチャリ、と重厚な扉が閉まり、廊下の光が遮断される。
広大な学長室は、一瞬にして静寂に包まれた。
熊田 雄一は、まだ広いソファーに腰掛けていた。
だが、その顔から。
先ほどまでの弥勒菩薩のような慈愛に満ちた笑みは、まるで雑巾で拭い去られたかのように消え失せていた。
代わりに浮かび上がったのは、背筋が凍るような冷徹な無表情だ。
熊田は冷めきった紅茶を一気に飲み干した。
「……全く、驚いたものだ」
彼は茶杯を置き、指先でデスクをトントンと叩く。
「特別行動小隊に送り込んだ前回の『消耗品』が、こうも早く全滅するとはね」
「羅川という狂犬は、部下を絞りかすになるまで使い潰す。相変わらずだ」
熊田は冷笑を漏らした。
「幸運だったのは……六道 飛鳥という『異物』が現れたことか」
彼は立ち上がり、窓際へと歩み寄る。
背中で手を組み、眼下の操場を見下ろした。
「異禀の徒、か……」
熊田は細長い目をさらに細め、その奥に計算高い光を宿した。
石田が昨日提出した報告書は、今もデスクの最下段にある金庫に眠っている。
そこには明確に記されていた。
——六道 飛鳥は、一切の外物的刺激なしに、高濃度のエロス粒子を可視化させ解放を成し遂げた。
——「脳補境」に達している可能性が極めて高い。
しかし、この極めて重要な情報を、熊田は都市の最高幹部層には報告していない。
飛鳥の異常な資質を隠蔽しただけでなく、先ほど羅川に推薦した際も「かろうじてE級に届くレベル」と、わざと過小評価して伝えたのだ。
理由は単純だ。
もし上層部が飛鳥の真のポテンシャルを知れば、即座に身柄を拘束されるだろう。
戦略級兵器として厳重に保護され、重点育成の対象となる。
そうなれば、熊田自身に何の利がある?
得られるのは、せいぜい数通の表彰状だけだ。
この食うか食われるかの世界において、自分の手の中に残した切り札こそが、真の籌策となる。
何も知らない向こう見ずな飛鳥を、防衛軍の死の小隊で存分に戦わせ、戦績を稼がせる。
そして飛鳥が「替えの利かない価値」を証明したその時に……。
自分は「救世主」の面をして表舞台に立ち、利益を最大化するのだ。
飛鳥が死ぬ可能性?
「ふん」
熊田の口角が、残酷に吊り上がった。
「消耗品加工工場」と揶揄されるこの嬲嫐学院において、天才など。
……少しばかり値の張る「消耗品」に過ぎない。
「六道 飛鳥。見せてもらおうじゃないか」
「一番威勢よく跳ね回っているバッタが、果たして『消耗品』の運命から逃げられるかどうかをね」
そう呟くと、彼は顔を上げた。
視線は幾重にも重なる建築群を越え、雲を突くほどに高く、電弧を放つ高圧隔離ネットの向こう側へと向けられた。
第五区のさらに先。
普通の男性が立ち入ることを禁じられた聖域。
女子居住区。
そして、女子校区。
熊田の頬が、どす黒い嫉妬と憎悪によって微かに引き攣った。
彼は拳を固く握り締め、節々を「パキパキ」と鳴らす。
「あの女狐め……」
「今度こそ……絶対に、お前には負けんぞ!」
……




