019 異獣(いじゅう)は恐ろしい
「……こいつ、ただ者じゃないな」
六道 飛鳥は、目の前の見知らぬ男を視界に入れ、わずかに瞳孔を収縮させた。
その男の左目には、極めて精密な機械義眼が嵌め込まれている。
暗紅色のバイオニック瞳孔が眼窩の中で不気味に蠢き、まるで飛鳥の骨格構造をスキャンするかのように、じりじりと全身を舐め回していた。
さらに目を引くのは、その右手だ。
肩から先が、冷たく重厚な銀灰色の機械義肢に置き換わっている。
装甲の表面には無数の刀傷や爪痕が刻み込まれ、関節部分からは微かに青い光が漏れていた。
下層区の闇市で売っているような、力仕事用の安物とは訳が違う。
それは紛れもなく、殺戮のために造られた軍用規格の単兵武装だ。
「六道くん、よく来たね。まあ、座りたまえ」
学園長の熊田 雄一が、ニコニコと親しみやすい笑みを浮かべてソファーを指差した。
まるで近所の親切なおじさんのような口調だ。
三人が席に着くと、熊田は卓上の紫砂壺を手に取り、飛鳥のために湯気の立つ紅茶を自ら注いだ。
「まずは紹介しよう」
学園長は、隣で殺気を放っている義肢の男を指し示した。
「こちらの方は、フェルム都市防衛軍の少佐、羅川少佐だ」
飛鳥は茶杯を手に取り、湯気を吹き飛ばすと、適当に頷いて見せた。
「少佐、どうも」
羅川少佐の機械の赤い瞳が飛鳥を射抜くが、表情も反応もない。
「学園長、多忙な身でありながら、俺みたいな一年坊主をわざわざ呼び出したってことは、何かご指名でも?」
飛鳥は紅茶を一口啜り、単刀直入に切り出した。
熊田は顎の無精髭を撫でながら答える。
「ああ、それはだね……」
「私から話そう」
羅川少佐が、熊田の社交辞令を冷たく遮った。
重厚な機械の右腕がサイドテーブルを叩き、耳障りな鈍い音を立てる。
「六道くん、軍人は回りくどいことは嫌いでね。直球で言わせてもらう」
羅川少佐は飛鳥の目を凝視した。
「私は君をスカウトしに来た。私の小隊に入れ」
「小隊?」
飛鳥は茶杯を置き、眉をひそめた。
「そうだ」
羅川少佐の声は、砂紙を擦り合わせるような掠れた響きだった。
「深刻化する異獣の浸透脅威に対抗するため、都市防衛軍最高司令部は最近、『特別行動小隊』を設立した。私がその隊長だ」
彼は一呼吸置き、義眼の赤光を明滅させた。
「先の高難度任務で人手が著しく不足していてな。学院から新鮮な血を取り込みに来た。そこで熊田学園長から、君を特別に推薦されたというわけだ」
話を聞き終えた飛鳥の口角が、皮肉げに釣り上がった。
彼は背もたれに深く寄りかかり、足を組む。
「学園長、そいつは解せませんね」
飛鳥は両手を広げて見せた。
「なぜ俺なんです?俺はまだ一年生で、昨日覚醒試験に通ったばかりだ。そんな光栄で過酷な任務なら、二、三年生の先輩方の方が適任でしょう。一年生はせいぜい、下水道のネズミ駆除みたいな簡単な掃除から始めるもんだって聞いてますよ。防衛軍直轄の特別行動なんて……」
飛鳥は言葉を引き延ばした。
「水が深すぎて、俺みたいな小身者には荷が重いですよ」
それを聞いた熊田が、豪快に笑い声を上げた。
「はっはっは!六道くん、それは謙遜しすぎだよ!」
学園長は飛鳥を指差し、称賛の眼差しを向ける。
「石田くんから提出された考査報告書はすでに読んでいる。覚醒試験での君のパフォーマンスは、まさに『驚異的』だった!E級相当の実力を持つ君なら、十分にこの任務を遂行できる」
「それにだ、六道くん。君はまだ『異態者』という存在を誤解しているようだ」
「二、三年生の『古参』連中と比べて、君には比類なき大きなアドバンテージがあるんだよ!」
「ほう?」
飛鳥は殊勝な態度を装い、先を促した。
「座学で習ったはずだ」
熊田は太く短い指を一本立てた。
「異態者の力の源は、体内の性染色体の異常、そして常軌を逸した『亢奮状態』にある。だが、人間の性衝動と内分泌レベルは、加齢とともに著しく低下していくものなんだ」
「特に男性はね!」
学園長は熱を帯びた表情で続ける。
「C級以下の異態者にとって、その衰退は致命的だ。二十歳を過ぎれば『解放』は困難になり、実力は急落する」
熊田は身を乗り出し、飛鳥の肩を力強く叩いた。
「だが、君は違う!六道くん、君は今年で十八歳!異態者として最も脂が乗り、最も輝かしい黄金期にいるんだ!」
「ホルモン、衝動、瞬発力……そのすべてが頂点にある。同じランク評価なら、君は年上の先輩たちよりも圧倒的に強い!」
学園長は諭すように飛鳥を見つめた。
「自分を信じるんだ。若者はそれくらい威勢が良くていいんだよ!」
(このタヌキジジイ、よくもまあペラペラと……)
飛鳥は内心で冷笑した。
黄金期だの、若者の威勢だの。
要するに「十八歳の世間知らずは騙しやすいし、一番火力が高いから使い捨ての肉壁には最適だ」と言いたいだけだろう。
沈黙を守っていた羅川少佐が、再び口を開いた。
「六道くん、隠さずに言おう。現在の局勢は君の想像以上に悪化している」
少佐は眉間に深い皺を寄せ、義眼を高速回転させた。
「異獣の浸透は深刻だ。都市の下層だけでなく、厳重に警備された内部区域でさえ、奴らの活動の痕跡が見つかっている」
「先週、第七区で極めて凄惨な襲撃事件が発生した」
彼は机を重く叩いた。
「メロン出版のベテラン編集者が、白昼堂々の繁華街で……いや、異獣に骨の髄まで食らい尽くされたんだ!」
「現場には血痕以外、まともな骨一つ残っていなかった。分子レベルで標的を分解し、死体すら残さないその手法……間違いなく異獣の仕業だ!」
「ぶっ——げほっ!ごほっごほっ!」
飛鳥は飲み込んだばかりの紅茶を、鼻から吹き出しそうになった。
激しくむせ込みながら、慌ててティッシュを数枚ひったくって口を抑える。
メロン出版の編集者?
第七区?
死体も残らない?
(それ、俺が棒で『超度(昇天)』させてやったあの画餅野郎のことじゃねえか!!)
隠滅工作はバッチリやったつもりだったが、まさか防衛軍が「異獣の仕業」として黒星をつけていたとは。
「六道くん、大丈夫かね?」
熊田が心配そうに声をかける。
「い、いえ……大丈夫です」
飛鳥は涙目になりながら、手を振った。
「ただ、あまりにも衝撃的だったんで……。」
「異獣がそんなに暴れ回ってるなんて、本当に恐ろしいですね」
……




