013 どうして立(・)ち(・)上(・)が(・)っ(・)て(・)る(・)んだよ!?
「やったぞ!」
張が歓喜の声を上げた。
巨大ゴキブリは一転して、狂乱状態に陥る。
跳ね起きるように体勢を立て直すと、背中のキチン質の甲殻を激しく開閉させ、高周波の摩擦音を撒き散らした。
シュッ!
猛烈な加速。それは暗赤色の残像と化し、速度は先ほどの三倍以上に跳ね上がっていた!
石田は瞳孔を収縮させた。
回避は間に合わない。
両腕を掲げて受けるのが精一杯だった。
ドカッ! バキィッ! ドゴッ!
一人と一匹が瞬時に激突し、もつれ合う。
耳を刺すような衝撃音が絶え間なく響く。
石田の放つ一拳一拳は千貫もの重みを持ち、V力場を叩くたびに光の欠片が飛び散った。
対するゴキブリの鎌のような脚も、石田の防衛線を狂ったように切り刻む。
彼の戦闘服を裂き、肉に骨まで届くほどの深い傷跡を刻んでいった。
ズドォォォンッ!
小細工なしの正面衝突。
強烈な衝撃波が周囲に弾ける。
石田は血の混じった唾を吐き捨てると、五、六歩後退し、背中を強く壁に叩きつけた。
巨大ゴキブリもまた三歩ほど押し戻され、六本の脚が地面に深い溝を刻んだ。
ゴキブリが体勢を立て直し、再び致命的な突撃を仕掛けようとした、その瞬間――。
チャリン、コロコロ……。
墨緑色の、丸っこい鉄の塊が数個、地面を転がって怪物の足元へと滑り込んだ。
高威力の手榴弾だ!
片膝をついた佐藤 陽が、口にいくつものピンを咥えたまま、狂気に満ちた冷笑を浮かべる。
「死ね、この害虫野郎がぁ!」
ドォォォォォンッ!!!
連鎖爆発の火柱が、ゴキブリのいた空間を瞬時に飲み込んだ。
熾烈な爆風が、無数の破片を伴って吹き荒れる。
V力場が熱線と弾丸を必死に防いだものの、爆発の巨大な衝撃はゴキブリの重心を無慈悲に破壊した。
その巨体は、仰向けにひっくり返る!
石田の目が輝いた。口元の血を拭う。
「小僧、よくやった!」
彼は両脚に力を込めた。
放たれた砲弾のように十メートルの距離を一瞬で詰めると、ゴキブリの腹部へと跨り、マウントを取った!
「砕け散れぇっ!」
石田の両腕に青筋が浮かび、拳は杭打ち機のごとき速さで、亀裂の入ったV力場へと叩きつけられる。
ドゴッ! バキッ! ズドッ!
一分一秒を争う戦いだ。
「解放」状態は体力を激しく消耗する。
体内の「絶頂亢奮」が冷め、クールダウンに入ってしまえば、この場にいる全員が死ぬことになる!
パキパキ……、メキメキ……。
石田の捨て身の猛攻により、V力場の亀裂は蜘蛛の巣のように広がっていく。
「これで、トドメだぁ!」
右拳を高く掲げる。
籠手の蒼い光は極限まで濃縮されていた。
生死を決する一撃が振り下ろされようとした、その刹那!
――ゥゥゥンッ!
背後から、魂までをも凍りつかせるような、凄まじい危機感が石田を襲った。
総毛立ち、頭皮が弾けるような戦慄!
極限まで研ぎ澄まされた石田の戦闘直覚が、寸前で必殺の拳を止めさせた。
強引に腰をひねり、両腕を交差させて胸を守る。
ドゴォォォンッ!!!
抗いようのない暴力的かつ強大な力が、彼の両腕を粉砕せんばかりの勢いで叩いた。
両腕の骨が砕ける音を聞いた気がした。
過積載の大型トラックに正面から撥ねられたような衝撃を受け、石田の体は宙に舞い、大量の鮮血を吐き出した!
ベチャッ。
石田はボロ雑巾のように、数メートル先の泥水の中へと叩きつけられた。
激しく血を吐きながら、もがいて立ち上がろうとする。
だが、絶望的なことに、両腕の【重岩】から蒼い光が急速に失われていくのが見えた。
光が消え、籠手は縮み、ついには淡い輝きとなって体内へと戻ってしまった。
解放制限時間が、切れたのだ。
亢奮状態が引き潮のように去り、代わりに来たのは極度の虚脱感と空虚さだった。
石田は血の混じった視界を必死に上げ、前方を見た。
そこには、いつの間にか、もう一匹の巨大ゴキブリが姿を現していた。
先ほどの一匹よりもさらに大きく、甲殻の色もより深い。
その真紅の複眼が、じっと石田を射抜いている。
「に……二匹だと?」
石田の心は、底知れぬ深淵へと沈んだ。
絶望が彼を完全に飲み込む。
情報が完全に間違っていたのだ。
昆虫型がいるだけでなく、しかもE級が二匹!
「年貢の納め時か……」
石田は自嘲気味に笑い、目を閉じた。
しかし。
予想していた、肉を裂かれる苦痛はやってこなかった。
静かだった。
死のような静寂。
直後。
二分の気だるさ、三分のおちょくり、そして五分の不遜さを孕んだ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
それは、先ほどゴキブリが突き破った壁の穴の向こう側からだった。
「おいおい、逃げるんじゃねえよ、ゴキブリ野郎」
「俺様はまだ満足してねえんだわ」
ドゴォォォォンッ!!!
石田が勢いよく目を見開く。
水牛ほどもある巨鼠の死骸が、まるでボウリングの玉のように穴から投げ出されたのだ。
それは正確無比に、新しく現れた巨大ゴキブリを直撃した!
凄まじい運動エネルギーがゴキブリを宙へと吹き飛ばし、巨鼠の死体諸共、対面の鉄筋コンクリートの壁にめり込ませた!
砕けた石が崩れ落ち、砂煙が舞い上がる。
【宿主が至高の「自♂由(自由)」な姿を見せたと検知。Y染色体+5!X染色体+5!】
【周囲の人間への強烈な心理的衝撃を検知。追加報酬、Y染色体+3!】
目の前で踊り狂うシステムメッセージを背に。
一人の屈強な影が、おぞましい黒いメイスを担ぎ、我が物顔の足取りで煙の中からゆっくりと歩み寄ってきた。
石田は目玉が飛び出しそうなほど見開き、顎が外れんばかりに驚愕した。
あれは、六道 飛鳥か!?
見間違いじゃない、間違いなく飛鳥だ!
しかも……飛鳥は全裸だった!
全身、下着の一枚すら身につけていない!
そんな、どこまでも清々しく、正々堂々とした姿で、自分よりも巨大な黒いメイスを担ぎ、二匹のE級異獣の前に立ちはだかっているのだ!
石田の思考は完全に混乱に陥った。
このガキ、今、E級異獣を一撃で吹き飛ばしたのか!?
本当に人間か?
だが次の瞬間、石田の目は飛鳥が肩に担ぐメイスに釘付けになった。
【黒影】の、棘だらけの漆黒の棒身から、肉眼ではっきりと確認できるほどの「蒼い光の霧(粒子)」が漂い出していたのだ。
その粒子は空気中を舞い、まとわりつき、息を呑むほど美しい。
しかし同時に、致命的なまでの狂暴さを孕んでいた。
石田は息を呑み、己の価値観が崩壊していくのを感じた。
あれは……「エロス粒子」の可視化現象!?
異武の解放度が30%以上に達した時にのみ現れる、覚醒の証明だ!
石田の脳(CPU)が焼き切れそうだった。
命に代えても誓える。彼はまだ、この試験場のどの受験生にも管制級資料の閲覧権限を与えていない!
映像も見ていなければ、外部からの刺激もないはずだ。
ついさっきFマイナス級を数匹殺したばかりの、たかが経験者になったばかりのド素人が……。
どうやって、こんな尿の臭いと血肉が飛び散る最悪の環境で……。
あんなにも猛り狂い、ピンピンと「立ち上がって(支柱となって)」いられるんだ!?
このガキ、一体どんな種類の変態なんだよ!?
……




